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料理で、ととのう #創作大賞感想

青春18切符を握りしめて、山梨の勝沼に行ったことがある。ぶどう狩りがしたくて、朝も早よから出かけて、目的地の勝沼ぶどう郷駅に朝9時台に着いてしまった。

そんな僕に、ぶどう農家さんが「こんなに朝早くに、おひとりでお越しになるなんて、相当ぶどうがお好きなんですね」と驚いていた。

山梨県、ソロぶどう狩りをした思い出の地が、いま家族の憩いの地となっている。勝沼に程近い石和温泉が僕たち家族の定番温泉だ。

勝沼を舞台にしたファンタジー小説、花丸恵さんの「夢と鰻とオムライス」を読んだ。

受験期というのは、とかく家族が危うくなる印象がある。期待も高まるし、本人の緊張感が半端ないだろう。

それが終われば、いつもの通りの仲良し家族に戻れる…ならいいのだ。耐えている間に、綻びが大きな溝になり、修復不可能な関係性へと崩壊してしまうのではないか…第1話の読後の不安感といったらなかった。

この重たいテーマのどこにファンタジーの要素が入ってくるのだろう、こんな兄がどうやって弟と仲直りできるのだろう、ワクワクというよりも主人公の気持ちばかりが気になって先へ進む。


主人公の男子高校生(弟)が、とにかく優しい。

目の前の人のことを思って行動しているのがありありとわかる。時代に関係なく、そういう存在は貴重であり、なかなか真似できないものだ。

その優しさの象徴となるのが、料理だったのではないかと思った。

料理を作るというのは、誰かを思って時間を使うことがほとんどだ。作中では、さらりと作っているように書いているが、ふつうの男子高校生がそんなことができるわけがない。

つまり、事前に動画やレシピサイトを見ているはずなのだ。考えて、工夫して、時間を使って作る。そして、手抜きをしても、頑張っても、失敗しても、美味しく食べてくれる存在(叔父)がいること。そのありがたさに、読み手は癒される。

僕は「料理は、ギブアンドテイクではない」と思っている。料理する側は常にギブだ。しかもギブしたものを食べられてしまう。相手からもらえるのは汚れたお皿くらいなものだ。

しかし、料理は、命を作ってくれる。

たとえ、お金をあげても、仕事を手伝ってあげても、代わりに試験を受けてあげても、ゲイバーに連れて行ってあげても、こうして感想文を書いてあげても、相手の命までは作り出せない。

主人公は、叔父との暮らしの中で命を与えていた。それは言及されてもいないし、命のいの字も出てこないけれど、叔父は明らかに元気になっていく。元気になって、幸せまで手に入る…かもしれない。

主人公が立ち回り、経験するさまざまな人間関係の間には、いつも食べ物があった。主人公が与えるだけではなく、主人公が与えられる場面もあってホッとする。

もはや金八先生のようだが、食という字は「人に良い」と書く。食べ物を介して、人間関係が良好になる例は、読み手の身近な記憶にもある。お腹がすいていると機嫌が悪くなる家族が身近にいるのではないだろうか。お腹を満たせば、空腹以外の問題も解決することもある。

反面で、食は引き金になってしまうこともある。つらい記憶が思い出されたり、食べられなくなった痛みなどを思い出してしまうことがあるだろう。いい面ばかりではないこと、この物語にもきちんと書いてあった。

ここまで料理について感想を書いているけれど、料理人の話でもなければ、食べ物屋さんの話でもない。単なる家族の、単なる元夫婦の話だ。

きっと、この主人公の優しさは書き手の優しさなのだと思う。男兄弟というのは時に難しい、男親も大抵難しい。こんなにも”男のこと”をきちんと書けている書き手の観察眼と想像力、キャラクター含めた物語の完成度の高さに、ただ嘆息が出る。

読み手に何かを教えてくれるような、“立派な家族”ではないけれど、読み手が癒される家族が、主人公がいた。読み手にとって懐かしい勝沼の風景も、不思議な設定の舞台には相応しいところだった。

兄弟の仲は、果たしてどうなるのか?ずっと気になって読み進めていた部分については、ここでは言及しないでおきたい。

すべてがうまくいって、兄弟仲良く美味しいプリンを食べて欲しいと願っている。



#創作大賞感想 #料理 #兄弟 #家族


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