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存分にゆとり #書もつ

ちょっとした違和感を感じながらも読み進めていくと、面白い方向に解決しているような、勢いと馬鹿馬鹿しさと、そして書き手の気配を感じるエッセイだった。

読みながら、言葉を操ることの可能性は、やや残酷な気もしてしまった。そりゃ経験も必要だろうけれど、どうしたことか、この作家の若さよ。こんなにも彩りのある言葉で語れるって、やっぱり才能なんだなと思う。

昭和生まれの僕らが戦々恐々としていた「平成生まれ」の冠がつく初めての年に生まれている作家のエッセイを読んだ。

時をかけるゆとり
朝井リョウ

彼の出世作とも言える「桐島、部活やめるってよ」は、原作を読まずにいきなり映画を観た。なんだかよく分からないような、高校時代を思い出させるような、そんな作品だった。

実は、なんとなく彼の作品には近寄り難い印象があって、これまで小説を読んでいなかった。

エッセイを大きく分けると、面白いかしんみりか、といった路線に分かれると思っているが、この作家は明確に「面白い」に振り切っている。さまざまな人との関わりの中で、自らの思いやハプニングを切り取り、共感と笑いを生み出していた。

大学生の時に作家としてデビューしているから、学生時代と作家生活が重複しているのが、なんとも羨ま・・印象深い。大学生らしい生活・・サークル活動だったり、夏休みの馬鹿馬鹿しい旅行計画だったり、さらには就活までやっている。

正直、作家になる人は、本当に毎日書いているのだろうと思う。この作家も、メモだとか日記だとかが随所に登場するが、”書いている”のである。


本編の後半に、直木賞を取った人が慣例として書いているエッセイ(これだけを集めた作品もあったはず)に、彼が作家を志した理由のようなものがあった。

心を揺さぶり、使命感を帯びるような経験は、やはり人生を変えるのだと思わずにはいられなかった。どんな思いで、文章に作品に言葉を連ねているのかと考えると、その作品を読み手は単なる娯楽として読めなくなるのではないかとも思う。

そんな彼の原点を読んで、物語は、読み手の救世主である前に、書き手にとっても救いなのだろうと思った。

おちゃらけたエッセイからは、彼の小説を思い起こすのは難しいかも知れない。けれど、これだけ言葉を知り、読み手を楽しませようとする術を知っているならば、その前に、書き手はずいぶん救われたのだろうと思わずにいられない。


それと同時に、先程お姉さんから受けとった白い箱が震え出した。

p141 スマートなフォンに振り回される

こんなことがあるのか、こんな人がいるのか、この時代に!と驚きとともに、笑いが込み上げてきた。

実は、この文章までに白い箱の正体は分かっているのだが、なんとなくこれだけを読むと、金田一少年の事件簿で”正体不明の箱”を持っていた女性を思い出してしまうのは、僕だけだろうか。


私はこのように、前日の夜、へのへのもへじのような表情になるようなプランを立てることが多い。

p176  地獄の500キロバイク

この文章に使われた”へのへのもへじ”、やほかにも”能面”は何度か登場してくるのだが、的確にその情景が思い出される特徴的な顔である。

エッセイにも登場する旅のプランニングは、その人の個性が、傾向が見えてくることが多い。旅は、書くことと相性がいいのだ。


「ゆとり世代」などと不本意な肩書きを付けられた筆者の思いは、それに対抗するなどという軽薄なものではなかった。

深いところにある熱意と、現代を鮮やかに切り取る語彙力にハッとさせられるものの、やっぱりちょっと“ゆとり”あるな・・と思わせる、肩の力が抜けるような、目に力が入るような、とにかく魅力的な作品だった。


スマホにレインボーなジュースが・・なんというか、いまっぽいサムネイル。infocusさん、ありがとうございます!楽しいエッセイ、やっぱりいいなぁ。


#朝井リョウ #エッセイを読む #ゆとり世代 #推薦図書 #笑い



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