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1月2日の出勤

正月を過ごす場所・・きっと毎年のように変わる方も、同じ場所で過ごす方もいらっしゃるかも知れません。

子どもの頃には親の故郷に帰省し、結婚してお互いの実家に行くようなお正月を過ごされている方は、結構いるのではないかと思います。

僕は、子どもの頃、父の故郷である石川県の金沢に帰っていました。父に連れられて、家族で新幹線と特急の旅、あるいは飛行機とバスでの旅でした。

乗り物に酔いやすく、特に自動車が苦手だったので、時間はかかりますが新幹線の方が好きでした。

とはいえ、金沢で過ごす年末年始は、基本的にはつまらないものでした。寒くて出かけることもなく、車もなかったので祖父母の家の徒歩圏内での散策でした。

祖父は当時まだ仕事をしていました。駅前にあるデパートの清掃の仕事をしていたのです。子どもだった僕は、どんな仕事だかよくわかっていなかったのですが、とにかく仕事は朝早くから夕方まであって、祖父が家にいることはほとんどありませんでした。

言葉の少ない祖父と僕が話せたのは、夕食時だけ。1月2日も出勤だった祖父は、元日だけは一日中家にいました。お節を食べ、お雑煮を食べて、夕方になると「お汁粉」の時間でした。

お汁粉を前にして、祖父が話し出したのは、戦争の話でした。

戦時中、海軍に所属していたという祖父は、お汁粉を食べ過ぎてしまったというのです。僕はそれまでの知識から、食事なんて満足になかったと思っていたので、お汁粉があったことも、食べ過ぎるほどにあったことも驚きました。

祖父は笑いながら続けました。

「お汁粉が美味しくて、食べ過ぎたら・・お腹痛くなっちゃって・・。次の日に、飛行機乗るはずだったけど、乗れなくなっちゃったんだよ・・ハハハ」

子どもながらに、飛行機は旅客機のことではないのは分かりました。もしかしたら、お汁粉がなければ目の前の祖父がいなかったのではないかと思って、ハッとしたことを思い出します。

金沢の浜辺

ただ、金沢で食べたお汁粉は、今でも思い出すくらいに僕の口には合わないものでした。

あとで知ったのですが、祖父母の家の餅には塩が入っていたのです。餅がしょっぱく、お汁粉も甘くなかったので、甘いと思っていたお汁粉は、雑煮のようだったなぁと思い出します。

北陸新幹線が開通して、あっという間に金沢に行けるようになって数年、祖父母が他界しました。年末年始の、あの寒さと退屈さ、そして独特のお正月料理は、二度と味わうことができなくなりました。

華やかな金沢のイメージではなく、僕にとっては寒くて退屈な金沢・・でも、かけがえのない旅ができていたこと、大人になってから知るのでした。

温かなお汁粉のイラスト、新年早々作っていただきました。infocusさん、ありがとうございました!今年も旅ができるといいなぁ。


#旅 #祖父母 #つまらない #北陸 #餅


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