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この悪夢、創作でよかった #創作大賞感想

物語の中の架空の事件、絶対に知らないはずなのに、なぜか落ち着かない。何かに似ているのか、それとも僕も何か知っていたのか、まさか夢で見たことがあったのか。読み進めていかなればならない、そんな使命感を帯びて読み進めていくことが新鮮だった。

読み始めると、この物語が緻密に設計されていることがよくわかるくらい、様々な伏線が張り巡らされている。この先どうなるんだろう、そんな思いすら嘲笑うかのような展開が目の前で繰り広げられる。現実社会ではなく、小説でほんとうによかった。

豆島圭さんの小説「残夢」を読んだ。

タイトルの「残夢」を辞書で引くと「見果てぬ夢、目覚めてなお心に残る夢」とあった。心に残るなら、良い夢であって欲しい。

僕はふだん、寝ながら見た夢のことをほとんど覚えていなくて、妻や子どもが「こういう夢だったよ」と話すのを羨ましく聞いている。子どもの頃は、苦手な虫に囲まれたり、巨大化した虫に迫られたりする夢を度々見ては、二度寝が怖くなって、明け方に布団から抜け出てぼんやりと早朝を過ごすことがあった。

子どもの頃の記憶って、意外と鮮明に覚えているものだ。色々とあったけれど、こうして立派に大人になって、あの頃の経験が自分を作っていると感じている。

……ほんとうに、そうだろうか……

危なっかしく読み進めていく物語の中で、僕の見ていた夢とあの頃の記憶は紙一重だと思った。ほんとうにそうだったのか、美化していないか、都合の悪いところは削いでいないか、絶対の自信を以って否定できる僕はどこにもいなかった。

奇妙な事件と、不可解な言動は、時間を超えて読み手を絡め取っていく。冷静に読み進めているはずなのに、次第に熱を帯びていくのは、ところどころに”僕に近い言葉”が出てきたからだろう。

中でも、1995年という年号は、どうにも心に残る。その年、僕は小学校を卒業していた。まるで、登場人物の一人として、彼らと同じ教室で机を並べていたような気持ちになる。それはとても怖いことだった。ミステリーは、あり得ない設定だから安心して読める…なずなのに。

仕事と心、記憶と信念めいた何か、そんな対比が思い浮かぶくらいに、不安と強さが両立している物語だった。なんだこれは。読み手である僕たちが生きてきた時代に合った設定は無理がなく、ひょっとしたら身近に起こっていたことかも、なんて思うと途端に背筋が冷たくなる。

どんな人でも持っている異常性が、実は微妙なバランスで抑え付けられているから、こうして平和に生きているのではないかと気付かされる。いったい書き手は何を見ているだろうか。そして、読み手は何を受け取ったのだろうか。

拙いながら、読み手が感じた「物語で問われていたこと」は、生きることと死ぬことの怖さだった。人間の、それも子どもの生を吸い取ろうとしていた、とある存在に、僕は震えが止まらなかった。

信じるものは、いったい誰に救われるのだろう。


豆島さんとは、昨年の創作大賞でベストレビュアー賞の受賞者としてご一緒させていただきました。(ほとんど会場ではお話ししていないくせに、ここで自慢する書き手。)そのご縁もあって、豆島さんの書く物語に触れては、性善説の凶悪性のような影に唸らされます。この作品も応援したい!と心から思います。すごいです、ほんと。

#創作大賞感想 #警察 #夢 #記憶




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