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ここにいるのは私ですか #書もつ

いままで気がついていなかったなんて、いや、考えようともしなかったなんて。読んでいるうちに、傍観者から当事者になった。なんということだ。

果たして僕は、妻にこの物語と同じように接していなかっただろうか。自分の物語こそ蔑ろにしていいはずがないのに。

朝井リョウをして「すべての作品において、全身全霊を懸けて書かれている」と言わしめた窪美澄は、またしても読み手の、僕の夫としての心を抉ってきた。

水やりはいつも深夜だけど
窪美澄

それぞれの人生を鮮やかに、そして精緻に描いた短編が6篇収められていた。あまりこだわりなく前から順番に読んでいくけれど、それぞれの主人公やそのパートナーが気になって仕方がない。

これは僕のことじゃないのか、と気がついたのは二篇目の「サボテンの咆哮」での場面だった。

僕は結婚前から、そして今も、同じ職業で暮らしている。しかし、妻は違う。結婚して、上の子が産まれ、仕事復帰をしたもののさまざまなことが積み重なって、辞めることにした。

このさまざまなことに、果たして僕が関与していることは無いと思ってたけれど、それは僕だけの思いというか期待であったのかもしれない。実際に責められたことこそないけれど、そのことについて話し合ったこともなかった。

もしかしたら…と思い始めると、物語の続きが気になって仕方なかった。

いくつも読んできてなんとなく分かっていることとして、ネタバレになってしまうが、この作家の作品は概ね救いがある。今作は短編ではあるものの、緊張感を保ったまま終盤まで危なっかしく進み、読み手が安心できるような展開を見せて幕が閉じる。

その緊張感は、読み手が経験を重ねれば重ねているほどに、鋭利になっているのかもしれない。今作のことではないが、作家がインタビューで「物語に出てくる人物は、この世界のどこかに必ずいる」としばしば語っている。

リアルだけれど、残酷だけれど、そこに命を感じる物語がある。こんなことを言うのは失礼だけれど、読み手を選ぶ作品とも言えそうだし、より境遇が似通っていたら、おそらく読み進められないだろう。

ただ今作は特に感じたが、思い切って飛び込んでみれば、必ず力がもらえるような、不思議な魅力がある。いったいそれはなぜだろうか。例えば僕は、主人公の体温を感じて、心を通わせながら読んでいる。そんな人間味に溢れた「どこにでもいるひと」だからかもしれない。設定や、展開はかなり重たいけれど、個人としての人を見ると、それは身近なあの人なのだ。

男と女、そして家族、生きていくには様々な存在が身の回りにある。物語の主人公になったつもりで作品を読み通すことができれば、ちょっとした人生経験を得たような、温かな励ましを受け取れる作品だった。


サムネイルはinfocusさんに作っていただきました。ありがとうございます!雑踏の中にポツリと感じる自分の存在、この作品にあるピリッとした痛みが表現されています。

#推薦図書 #家族 #人生 #窪美澄

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