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スポーツがくれた、「考える力と時間」

幼いころから苦手だった”スポーツ”が、僕にくれたもの。

それは「考える力と時間」でした。

物心ついたときから、走るのは遅く、跳ぶのは低く、投げるのは下手・・典型的な「運動神経が悪い奴」でした。テレビで芸人さんが、運動神経の悪さを披露している番組には、当時の自分がいるようでした。

と言っても、今だって、スポーツが得意になったわけでも、まして大好きになったわけでもありません。

人生が変わった、なんて大それた経験ではありませんが、スポーツへの恩返しの気持ちを込めて、いま僕にできることを。


学校と名前がついている場には、体育という科目が用意されていて、僕はそれがとても嫌いでした。

様々な体の使い方を知ったり、いろいろなスポーツに親しんだり、成長に合わせて筋肉や身体を鍛えてみたり、知識を得るのとは違う重要性があることは、もちろんわかっていました。

わかっているけれど、身体は動かない。気持ちだって、消極的だから力も出ない。当時、僕は身体を動かす時には、意味を問うていました。

「なんで右手を振り上げるのか」
「なんで走りながら蹴るのか」

特に”問い”が積みあがってしまったのは、跳び箱だったように記憶しています。長年の体育教育の成果をもってしても、僕には、跳び箱を飛べた経験がありません。

当時の僕の頭の中では、いくつもの項目が「なんで」の対象でした。

助走、踏切の位置、踏切足、手をつく場所、手の向き、手の開き方、指の向き、跳ぶ高さ、足の開きかた、足の向き、体重移動の方法、箱を押す力、手を放す瞬間、足を閉じるタイミング・・

「上手な生徒の跳び方を見て、真似すれば跳べるから」と言われたのもあって、(当たり前ですが)見ても分からなかったので、自問していました。

さらに白状するなら、“逆上がり”も出来ないままに小学校を卒業しました。逆上がりが出来ないと、小学校は卒業できないんじゃないかと不安に駆られた夜もありました。

大丈夫、卒業できました。

見かねた両親は、僕をスイミングスクールに通わせてくれました。運動が得意な妹も一緒に。妹は2歳差だったのですが、やはり兄弟ということもあり、意識していました。ある進級テストの日、妹のほうが僕よりも先に進級してしまったことがありました。

それが悔しくて悔しくて、親の前で泣きじゃくりました。僕が5年生くらいの時だったと記憶していますが、そんな姿を見た親は驚いていました。そして、「それは根性があるってことだね」と伝えてくれたのです。

スクールでは、自問することが殆どなくなりました。それは、個性豊かなインストラクターの方々が、きちんと教えてくれたからです。

手の形、呼吸の仕方、足の裏の向き、息継ぎのタイミング、頭の高さ、姿勢・・・言葉で受け取ったことを、実践して身体や動作に落とし込んでいく、その方法は僕に合っていました。

相変わらず、運動は苦手で嫌いでしたが、スクールのおかげで水泳だけは幾ばくかの自信を得ていました。すると、頭の中で変化が起こったのです。

スクールの時間には、水の中で「考えている」ことに気がつきました。

「どうしたらもっと速く泳げるのか」
「どうしたらもっと楽になるのか」
「どうしたら力が抜けるのか」

動作の”意味”が分かってくると、視点は未来に向かっていたのです。

とは言っても、苦手な体育は続きました。そして、中学3年生の初夏、体育の授業中に膝の皿の骨を折るという不本意な経験をすることになってしまいました。

やはり、僕には運動は向いていない。

出来るだけ、スポーツや運動からは距離を置かなければ、命に関わるかも知れない・・などと、今考えても理解に苦しむ解釈をして、運動をしないことを正当化しようとしていたのです。

それでも、社会人になってから、外見を気にしていたことも手伝って、近所の公立体育館にあったトレーニングジムで、少しずつですが、筋トレやランニングのようなことをしていました。

しかし、もともと運動は苦手だし、通うのも面倒くさくなってきて、ランニングもマシンの上を走るだけで景色が全く変わらず飽きてしまいました。

そこで、外を走るのがいいかも・・と思い立ち、近所を流れている多摩川の河川敷を走り出しました。

同じ時期には、家族や親族も年齢を重ねて、それなりに体調に変化があったり、大きな病気にかかってしまうといったことがありました。

誰かと一緒でなくても良くて、道具もさして必要なく、競争をしなくても良い、そんなスポーツは、“走る”ことでした。

走る楽しさって何だろう?
大会って出たら楽しいの?
どんどん速く走ればいいの?

疑問は、本を読むことで解決していきました。ペースがわからなければ本を読む、フォームがわからなければ本を読む。読むことで得られた、僕なりの答えはこれでした。

長い距離をゆっくり走る
(Long Slow Distance)

トレーニングのひとつで、身体的な疲労を軽減させながら心肺機能を高める効果のある走り方です。

もともと速くは走れないし、速く走るつもりはなかったけれど、あえて遅くしているという意識は、僕の身も心も軽くしてくれました。

1キロごとに立っている標識を越えるたび、時計を見ながら、ペースを作っていきました。9分、8分、7分を行ったり来たりして、気がつけば2時間走っていました。

1キロも走れないと思っていた僕が、2時間も走り続けていたのです。

走っていると、景色を見た感想、すれ違うランナーへの激励、家にいる家族への思い、仕事の不安や苛立ち、自分自身の今と未来、そして懐かしい思い出など、ありとあらゆる「自分を構成している気持ちや記憶」が頭の中に現れました。

その時間は、着実に前に進んでいる足の感触と、心地よい息苦しさとともに、僕を癒し、勇気づけてくれました。

悩みや不安は汗とともに流れ、気がつくと景色が変わり、気分も変わっていたのです。

僕がここで書いている「考える力」というのは、気づき→考察→結論、のような一般的なものとは別です。

自分自身の体調や、周囲の変化に気付き、何かをとりあえず預かったり、受け入れることも含まれる「頭の整理整頓」のような精神的な作業ができる、そんな力です。

走っているその時間は、誰にも邪魔されない、“作業”のための時間。長い距離を走れば走るほど、長い時間を得ることができて、頭の中に様々なことが去来しました。

世界のライバルと競い合って高みを目指す人もいれば、仲間と一緒に楽しい時間を過ごす人、自分を鍛えるために苦しいトレーニングを課す人もいます。

大きな病気から復活して活躍したり、世界で注目される選手になったり、自分のチームを作ったり、大会で優勝したり、それはもちろん素晴らしいことです。

しかし、多くの人が考えているように、華々しい結果だけが醍醐味ではないと思うのです。


初めて東京マラソンを走った日、僕はひとつのことを決めていました。それは、どんなに辛くても笑顔で走り続けることでした。

大切なきっかけと時間をくれた“走ること”への感謝を形にするには、笑顔でいることだと考えたのです。

そうは言っても、はじめてのフルマラソン、いよいよ辛くなってきた30キロ過ぎ、沿道から見知らぬ人の声が耳に入りました。

見て、あの人!
走るのが楽しくて仕方ないって顔してる!



読んでいただきありがとうございました。



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