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krgma
その謝るは、誰のため?
通っているフィットネススタジオで、レッスン中にインストラクターが指示を間違えるハプニングがありました。
そこのレッスンは、音楽に合わせてからだを動かすスタイル。
インストラクターは、間違えたことに気づいて、とっさに「失礼しました!」って言ったんですけど…
これに、ちょっと違和感を感じたんです。
レッスン進行中は、受ける側は自分のことに必死。どんどん進んでいく音楽の中で、どんな動きをするのかに意識が向いています。
「失礼しました!」は丁寧なんだけど、それで流れが中断して「今、それじゃない」感があったんです。
このとき、わたしがいちばん聞きたかったのは、じゃあ、どう動いたらいいの?という次の指示でした。
スタジオ内も、音楽だけが進んでいく中、ちょっと困惑した空気が漂っていました。
これ、同じ教える仕事をしている立場としては、人ごとと思えなくて。
ミスしたとき、頭の中が「やっちゃった…」で埋め尽くされて思考停止することも、
次の一手が出ないから「一旦謝ろう!」って思うこともあるんです。
すごくわかる。
でも、嫌な言い方をすると、あのタイミングでの謝るという選択は、インストラクターが安心するためのものなんですよね。
そのとき、お客さんにとって、何がいちばん大事なのか。
これを瞬時に判断して行動できるようにしたいな、できたらかっこいいな、と思ったのです。
レッスン後、改めてインストラクターが謝って、ほっこりした空気が流れたことに、ちょっと安心している自分がいました。
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