『阿保の一幕』 短編小説

殺す。綺麗に透き通った山の空気を肺に入れた後のような、程度の低い快楽とは異なる汚れの一切ない恍惚感に包まれて私はkを殺すことにした。kは悪人なのだ。kの一番の罪は自身の罪を自覚していないことだ。これは最も恐ろしいことであり、最も幸福なことでもある。私はkに対して怨念や悪意を持って殺すのではない。ある意味で私はkを殺すとによってkを救うのだ。人を殺すことは悪、つまり罪だと多くの人は考えるのだろうが私はそう思わない。その理論なら、人助けをする人は善人になる。物事はそう簡単には出来ていない。
 例えばの話だ。たまたま、通りかかった道路で突然倒れたお婆さんを助けた青年がいたとする。しかし、人助けをした青年の善なる行為は気分が良かったから行っただけのことであり裏では詐欺師として人を騙し続けている悪人だ。いつに日にか、詐欺師である青年が捕まったのなら世間は彼を非難する。お婆さんは詐欺師の青年をニュースで見た時、青年に対して複雑な感情を持つだろう。最後には彼を応援してしまうかもしれない。だが、青年が詐欺師として行った活動の被害者にお婆さんの古くからの友達がいたらどうなる。罪か罪じゃないか、善か悪かそんなもの曖昧で簡単にひっくりかえる。話が逸れたてしまった私がkを殺すのはこのままkが生きていたら犯し続ける罪から彼を救うためだ。私の言うkの罪は先に言った普段用いられるようなたぐいの罪ではない。
罪とは超越的概念なのだ幸福と同様に。
「嗚呼k、君がまっとうに生きようとすればする程、君の周りの人間は傷つく。君が今幸せに暮らしていると感じているのは、僕やみんなの犠牲の上の幸せに過ぎないのだ。数年前に結婚したことも、就職できたことも、大学に入れたことも、生まれてきたことも誰かの犠牲の上成り立っているんだ。だから、僕は君を救うんだ。仮初の幸せでも偽物でもない、ある種人間を超えた幸福を君に届ける。まっていてくれ」
男は手に刃物を持ち、虫取りにいく少年のように玄関の扉を開けて街に紛れて消えた。

 

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