「アナザーヒル」から考える「死」というものについて

今回は、ややテーマの重い、「死」について書いてみたいと思います。
そもそも、なぜこのテーマ設定にしたのかというところから始めます。

タイトルに記載ある「アナザーヒル」という言葉をご存知でしょうか。
「アナザーヒル」とは、『夜のピクニック』や『蜜蜂と遠雷』で有名な恩田陸さんの作品である『ネクロポリス』で描かれる世界のことです。どんな世界か。それは、
死者と交流ができる世界です。
私はこの作品をつい最近読みました。恥ずかしながら、恩田陸の名前を知ってはいたものの、実際に作品を読んでみたのはこれが初めてでした。
内容はファンタジーとミステリーを組み合わせたような内容で、想像力を相当に刺激され、かなり面白かったです。ファンタジーは、学生の頃に読んだ貴志祐介の『新世界より』以来であったので、非現実を味わうことができました。貴志祐介の『新世界より』も相当に面白いので、機会があればぜひ読んでみてください。
本題に入ります。もし仮に、「アナザーヒル」、すなわち、
死者と交流ができる場所がこの世にあったとしたらそこに行ってみたいでしょうか。
近親者や恋人を亡くされた方にとって、おそらく多くの方が「アナザーヒル」に行ってみたいと思われるのではないでしょうか。
個人的な話になりますが、私も数年前に父を病で亡くしております。
父親は私が小さいころから、私たち家族に様々なことを教えてくれました。ためになることも、ためにならないことも、面白いことも、つまらないことも。
最後に教えてくれたのは「死に様」でした。
父親は亡くなる寸前まで、「俺の死に様をちゃんとみておけ」と私たち家族に語っていたのです。
突然死ではなかったため、最後の最後まで色々と話をすることができましたが、それでもやっぱり話したりないことや、もっと教えて欲しいことがあります。
ただそうはいっても、「アナザーヒル」がもし仮にこの世にあったとしても、私は行かないと思います。
なぜならば、「アナザーヒル」という場所は自分の心の中にあると「思う」から、厳密にいうと、「思うようにした」からです。
すなわち、「アナザーヒル」という場所に行かずとも、父親は私たち家族のそばにいてくれると思うのです。
少し怪しげな宗教的な話をしてしまったのですが、私は本当にそのように思っています。もし私と同じような境遇の方がいらっしゃれば、自分の心に尋ねてみてください。
あの人は私のことを置いてどこかに行ってしまうのだろうかと。
そのようなことはないと思います。
今回のこのテーマは今まで私が書いてきた中で最も重いものであり、書くべき内容か迷うところもあります。
ただ、どうしてもこの小説を読んで心に浮かんできたものがあったので、いつものことながら、ダラダラと書いてしまいました。
当たり前ですが、「死」というものの考え方や、向き合い方について人それぞれだと思います。他の方の考えを否定するつもりはまったくありません。ただ、私はこのように思っているということを書いただけです。
重要なのは、自分がどう捉えるのか、ということだと思います。
最後までお読みくださりありがとうございました。

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