先日、混雑を避けお詣りに行って来ました。 この地球で起こっていること、私たちができることは、自分たち周辺において、誰も批判せず、互いの立場を尊重するということなのかもしれません。 善き行いの裏で誰かを批判する心があれば、それは善行ではなくなってしまう。 立ち止まって考えながら進むことは大切です。自分が何を考え、行動しようとしているのかを見極めるクセづけをする。 今、幸せの絶頂を味わっている人を心の中で心から祝福し、見守る。「おめでとう」を伝える。たとえ自分が真逆の人生を送
希望と悲しみの狭間で生きている 中には「悲しみしかない」と言う人もいるだろう だけど、本当にそうだろうか 本当に今の人生の中に悲しみしかないのだろうか たとえば、道を歩いていて流れてくる歌に出逢うことはないだろうか その歌声に耳を済ませると何かが流れてこないだろうか たったそれだけ? そう、たったそれだけが人生に希望を与えてくれることがある 空を見上げると、果てしなく青で、その中を雲がのんびり浮かんでいて… 目線を真っすぐ戻したら、今まで気づかなかった優しい
宇宙が他者を介して愛を届けてくれている。 感謝しかない「今」を噛みしめて、私の美学を貫き通す現実を創っていこう。 愛と恐れのオセロゲーム。 ちょっとしたキッカケで現実は変わっていくものなのかもしれない。 それは、自分自身が何を信じているかに由来するようだ。 自分をどんな人間だと思っているか? 時に、それを他者が証明してくれることがある。 先ず、自分を提示すること。 差し出してみるというか…、自分はこうですと。 自分が誠心誠意差し出したならば、負のものは返って
https://ameblo.jp/mona-o/entry-12829502230.html
『Solitude』が、先日、インドのゴア短編映画祭で入選しました。 昨年は1つ受賞、いくつか入選し、とても嬉しかったのですが、今年は2回目の入選連絡でした。 世界は近いんだなぁと実感させて頂ける出来事です。 ご協力下さったスタッフさん、役者の皆さんに感謝です。
思い出は心の中に。 ここ数日、いろいろなことがあり、心が乱れては鎮まり、鎮まっては乱れの日々でした。 疲れを溜めないよう休む時間も確保しつつ、合間にリストアップしたことをコツコツこなしています。 『振り返り』『見直す』って、本当に大切な『作業』です。しかも、しっかり時間を取る必要のあるものですね。国を救った経営者たちは当たり前のようにその時間を作り、次へと活かしていたそうです。 池の鯉たちは、実に優雅で落ち着き払っています。見習わなければ…笑
静かに、静かに、新しい時代へと踏み出している。速度はそれぞれだけど、感じ方もそれぞれだけど、古い制服を脱いで、新しいお気に入りの洋服に恐る恐る袖を通すような、そんな感覚だろうか。 ドキドキもするけど、ワクワクもする。 先陣を切って(いつの時代や🤣)邁進してくれている人の姿に励まされ、刺激を受け、まるで、自分の内側がツンツンと新しい細胞分裂をしているよう。 なんだか豊かだなぁ… 自分はコレ、と思っていたのが、実は違ってたのか🤔と気づけたり、又、新しい扉を開く時がきたのかな?
『誰かの成功を妬むということは、自分自身の成功をも妬むということになる』と、そんな考えが浮かんだ。 それは、地球上の世界(もしかしたら宇宙でも?)で、私たちの極身近で、起こっている。 その理由は、「私"のほう"が幸せ」という優越感への渇望なのだろう。 これは、相対性の罠。試されているんだろう。「さて、気高き選択は?あなたはどっちを選ぶ?」と。 人類がそのことに気づかない限り、(他人のものを羨ましがって、つい行う)搾取はなくならないのだろうと思う。
人生にはいろんなことが起こってくる。思いがけないことや、予感していたこと。 いつかはやってくるだろうことを受け止められないことだって起こる。 お金は大切だけど、それ以外のもので大切なものを守るという気持ちも大切だ。 たとえそれを守れなかったとしても、その気持ちは忘れたくない。 それがもたらしてくれた安堵感、思い出、それはかけがえのないもので、それは誰も奪うことはできない。 もう四半世紀前の話だけれど、とてもショックなことがあった。 私にとって、かけがえのない場所に
「人生(たび)の地図」が見えてきた|https://ameblo.jp/mona-o/entry-12816936565.html
この世には、必ず、必ず、救いはある。 あれだけもがき苦しんだ自分の時には訪れなくても、今の誰かの時に。 その「必ず」を目の当たりにした時、「ああ、良かった。この人は救い出される」と、あの時の自分と、今の自分に、何とも言えない歓喜が生まれる。 そして、私にはできたのかもしれない、と静かに自分を、労うというか、許せるというか、肩の荷を下ろしていいんだという想いが生まれる。 もう1つ、最後に生まれたものは、もっと優しくなろう、という決心。 人生の歓喜は、そんなところに潜んでい
皆様、暑中お見舞い申し上げます🎐 いつもの如く、以下もなまるの呟き。 前に進んでいるようで、グルグルしていることがある。 見極めるコツは、軽いけどモワ〜ンとした空気に取り囲まれているかどうか。これは気づかない可能性もあるからコワイ。 いや、コワイという表現は私個人の感想であって、そのままが(表面的には)楽だし、楽しいし、もしかしたら一生気づかないほうがいい人だっているかもしれない。 ただ、時代の風は明らかに変わってきている。 これまでは、気づかずに生きたほうがむし
海にも様々な歴史があるんだなぁと思い至ったのは、隠岐島の海と出逢った時だった。 流人の島の1つである隠岐島。 その海の前に立ち、その歴史に想いを馳せた時、これまで海が飲み込んできた悲しみが胸に迫ってきた。 「この海は、どんな想いで受け止めてきたのだろう」 眼の前に広がる、吸い込まれそうになるほどの深い深い美しい青色は、波音でしか答えてはくれなない。 だから、海が体験し見てきた歴史に想いを馳せて、その波音に耳を傾ける。 ここで映画を撮ろうと動き出した時、その歴史を学び、この海
久しぶりに記事を書く。 梅雨明けもまだの関東は、昨日から異常な猛暑で身体が驚いているかのようにアチコチが痛い。 年々、暑さ寒さがこたえるようになってきたなぁなんてチラッと感じたりもするが、一方で、この夏の日差しにトキメキを感じる自分もいたりする。 「それって、どんなトキメキ!?」 と尋ねられると、言葉がうまく出てこないけれど、それは遠い昔に感じた感覚の名残りかもしれないし、今の自分から新たに生まれつつある感覚かもしれない。 そうだ、夏という季節に味わいたい新たな何かを見つけよ
紡ぐ|https://ameblo.jp/mona-o/entry-12721462128.html