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人生の心残りに手をつけた話

これは1人の元優等生が、それなりに人生に満足してしまった上で、残りの人生をどうするか考えあぐねた結果、起業することにしたその一連の備忘録です。
初めてマガジンという形式にしてみようと思っています。
また、事業内容なども書ける範囲ギリギリまで書いていくので、中には一部有料の記事も出てくると思います。
※今回は序章なので全公開


  • 人の言うことをきちんと聞いて、真面目に生きてきた人

  • 漫然と生きてきた自覚がうっすらあり、それでも全然いいはずなのになぜか少し焦る気がする人

  • 自分のことが好きになれずに苦しんでいる人、あるいは身近にいる人

  • いち会社員が起業するまでと起業してからの一連のリアルを垣間見たい人

そんな人に読んでほしいです。


イライラ優等生


記憶がある、小学生時代から私は「真面目な優等生」だった。
先生の言うことをしっかり守り、学級委員の常連、テストはいつも1番。(特に才能があったわけではない。田舎の小学校で、皆が放課後に友達と遊んだりしている中、塾に習い事に忙しいのは私だけだった。)
全国展開の塾でもなかなか良い成績だったため、塾長に「この子は将来絶対東大に入れますよ」と言われていたらしく、親は相当期待に胸を膨らませていたことだろう。

中学受験をし、中高一貫の名門女子校に入学。
1番にはなれなかったが、それでも上位ではあり続けた。
イベントごとのリーダーもよくやっていたし、高校では風紀委員長なんかも経験した。

ただ、学校も厳しい、習い事も厳しい、親も厳しいという逃げ場のない鬱屈した環境の中で過ごす毎日だったので、精神的には決して健康とは言えなかった。
承認欲求と自己正当化の権化だった。
友人たちともよくよく揉めていた。(もうこの時点で優等生ではないのかもしれない笑)
頑張っているつもりなのにちっとも認めてくれない大人たちも嫌いだった。

そして何より、誇れるスキルもなく、人に認められない・好かれない、不器用な自分が大嫌いだった。

▼習い事をやりすぎてどんどん自己肯定感が削られていった様子はこちら


全部ブスなせい

ただでさえ自分が嫌いだったが、とあるはっきりとしたきっかけ(極めてシンプルで、初めてお付き合いした方に1年ほどの交際の後「かわいくないから」と言ってフラれた)があり、高校1年生の冬から私は自分の要素の中でも「容姿」を憎み、見た目を改善することだけに脳みそのほとんどのシェアを奪われて生き始めた。

あぁ、なるほど!
何もかもうまくいかないのは、ブスだからだ!

こんなブスが何をしたって無駄!勉強ができてもブス、歌がうまくてもブス、ブスが努力しても意味がない!

恐ろしい思想だが、本気でそう思っていた。

当時はそんな言葉は知らなかったが、いわゆる「醜形恐怖症」だったと思う。
毎日毎分、自分の顔のどこがどうダメなのか考えていた。
鏡を見ては絶望し、叩き割った。
他人に顔を見られるのが嫌で、コロナ禍でもないのに毎日のように大きなマスクをして登下校し、ベランダでひとりでお弁当を食べる日も数えきれないほどあった。
生まれながらにして美人な人間が死ぬほど憎らしかった。
そのくせ、美人ではない方に対しては「なんで美人じゃないのにあんなに楽しそうに生きられるんだろう」と、失礼極まりないが素朴に「逆にすごい」と感じていた。

「こんな顔の自分」でなくなりたかったので死んでしまおうと思ったことも何度もあったが、美人になれる未来があるのなら美人になるまで死ねないとも思っていた。

「美しくなること」それが私の全てだった。

生きる原動力だった。

あまりにネガティブな原動力だけど、これだけが私を生に執着させた。

両親は田舎の古い価値観の持ち主なので、整形なんて容認してくれるはずもなく、それがわかっていたので「大学は実家から通えない距離にあるところにしよう」と、整形前提で受験校を決めたほど。

晴れて大学生になってからは、美容整形と名のつくものだけでも300万以上、髪や肌や体型の改善にまつわるものも合わせたら考えたくないほどの課金額。
かわいい子がチヤホヤされる飲み会が胸糞悪すぎてサークルなどは一瞬で辞め、バイトに明け暮れ、バイト代は全て整形代にぶっ込んだ。

お金だけではない。
非常にみずみずしく貴重なはずの若かりし時期を丸ごと費やしたと言っても過言ではない。
特に10代後半から20代前半は、持ちえるお金・時間・精神・労力を「美しくなること」に全振りしていた。
勿体無い青春(ちっとも青くも春でもなかったが)を過ごしたと、我ながら思う。

誰に頼まれたのでもない、この不毛にも思える闘いを15年近く続け、30歳を前に、「私の素材ではここが限界」「これ以上いじると不自然な顔になる」というラインに達してようやく良い意味での諦めがついた。

▼整形に関する具体的な話

▼ダイエット試行錯誤記録

▼豊胸と脂肪吸引の詳細


ペラペラな中身


また、まだまだ見た目のことだけを考えて着実に顔面工事を進めていた21歳の頃、当時お付き合いしていた男性から「君の価値はその多少かわいい顔と穴だけだよ」と言われ、それまで何となく自覚はしつつも目を背け続けていた "自分の内面のスカスカ具合" と向き合う時が来てしまったように感じた。

「私は中身がないけど、それよりも見た目を磨く方が先!優先度が高い!」と思っていたが、流石にパートナーにそんなことを言われてしまったら人間として終わっている気がしてきた。「見た目もまだまだ磨かないといけないけど、中身を放っておくのはいい加減まずい」と思えた。


そこから10年弱、外見磨きと中身磨きを両輪で回す日々が続いた。

正直、中身磨きは外見を磨くよりも難易度が高かった。
どう磨いたら良いのか、見た目以上に情報が整理されていないし、何より「磨けたかどうか」が非常にわかりにくい。
見た目なら二重にすれば二重になるし、痩せれば細くなる。見たらわかる。
中身はそうもいかないので、果たして自分は前進できているのだろうか?と「進んでいる感」がないまま、これはこれで苦しい日々だった。

それでも、自分なりの試行錯誤を経て、今では「まぁ悪くないんじゃないの」くらいには思えるようになった。
この「中身磨き」の経緯については、きちんと伝えようとすると長くなりすぎるので、また別途どこかで書こうと思う。


ポジティブな虚無


そして迎えた30歳。
見た目も中身もそれなりに満たされてしまった私は、「ありがたい虚無」に襲われていた。

記憶がある時からずっとマイナスを埋めることに夢中で、その原動力だけで生きてきてしまったので、目立つマイナスを埋めきってしまった今これから、何をしたらいいのか、どう生きていったら良いのかわからなくなってしまっていた。


生まれてきた意味って、生きている意味ってなんだろう?

そう考え始めてしまったが最後、私が生きる意味も必要性も「ない」という答えに辿り着くしかなく、でも生まれてしまったし簡単に死ぬこともできないならなんとか私なりに幸せな人生をおくって、「生まれてきた意味も私が生きた価値も結局なかったんだろうけどとりあえず幸せだったなぁ」と思いながら死にたい。とだけ思うようになっていた。

では私にとっての幸せとは何か?

よくよく考えてみると、今すでにもう十分幸せなのであった。
仕事があって、しかも仕事内容が自分の好きなことだったりやりがいを感じられたりして、自分1人を養うには十分な収入があり、美味しいご飯と美味しいお酒を大好きな人たちと一緒に楽しめて、大切なパートナーもいる。

▼おびただしい数の恋愛の失敗経験を経てようやく


十分豊かだ。
ささやかかもしれないが、穏やかで、まごうことなき幸せな日々。
これ以上を求めたらバチが当たりそうなくらいの。


知ってしまった世界線


ところで、外見磨きから7割ほど解放されたあたりから、私の脳みそのシェアは「見た目のレベルを上げること」から「それ以外のこと」にシフトしていった。

ごはんが美味しいとか、人と話すのが楽しいとか。
景色がきれいだとか、この音楽が好きだとか。
行ってみたい場所、触れてみたいアート、飲んでみたいお酒、話してみたい人々。

それまで「どう自分の見た目を改善するか」にパンパンに使われていた脳に余白ができたことで、この世界の美しさに気がつくようになっていった。
自分以外のヒト・モノ・コトに目が向いて、興味が持てるようになっていった。

それは自分のことばかり(自分のネガティブな側面ばかり)見つめる日々よりもずっとずっと、素晴らしかった。

自分への執着を手放せた先には、こんなに美しく豊かな世界線があるんだ、と知った。

初めて、人生って楽しいなと思えた。



あえて幸せを壊すのか


人生が楽しいと思えてからまだ数年で、まだまだ見たい景色も食べたいものも話したい人もいるのだが、とにかく今の私は十分満たされている。
「自分を好きになること」が夢だったから、夢を叶えてしまったとも言える。
素晴らしいことだ。
このまま穏やかに健やかに生きていくという人生も、大いにアリだと心から思う。

でも、「やりたいこと」に発展しそうな義憤、私の正義感(?)のド真ん中にある使命感なるものがくすぶっていることはずーーーーっと前からわかっていた。

完全にドス黒い学生時代を過ごしてしまった私は、私以外の、特に若い世代に私のような学生生活を過ごさせてはいけない、と心から思っている。

本来であれば楽しい思い出になったかもしれないのに。
大人になること・自身の未来に期待をしながらワクワク毎日を過ごして、その過程で友人や家族たちと煌めきに溢れた日々をおくり、今でも当時のことを思い出しては爽やかな気持ちになれたかもしれないのに。
無限の可能性があったかもしれない。
何にでもなれたかもしれない。
のに。

私は学生時代になど絶対に戻りたくない。
思い出したくもない。
昔の私を覚えている人たちがいることに、時たま絶望する。
恥ずかしいとか情けないとか、そんな言葉たちでは軽すぎる。
頼むから私に関連する記憶を全て消してくれと願う。


こんな私のような人間を二度と生まないために、私は「見た目が全て」と言わんばかりの、この世の風潮をどうにかしたい。

いわば、"ルッキズム(≒外見至上主義)から、人々を解放" したい。

こんなにくだらないものはない。
こんなにくだらなくて、それでいて厄介なものはない。

見た目に執着するのは、はっきり言って馬鹿馬鹿しい。
見た目への執着のせいで他のことに目がいかないのは、あまりに勿体無い。

今を生きる大人たちも、未来を創っていく若者たちも、そんなくだらないものに囚われていないで、自分の好きなことや心地良いものに時間もお金も労力も、心も使ってほしい。
※誤解のないように補足すると、「美容を楽しむ」と「見た目への執着に囚われる」は全く別物だと思っています。美容を否定したい訳ではないです。


どうせ私が何か事業を起こしたとてルッキズムのような大きすぎる敵がいなくなるとは思えないが、私のように「見た目への執着から解放されてやっと人生が始まった」人が1人でもいる以上、やる価値はあると思えるし、それが私である意味も腑に落ちる。

でも、今が幸せだから。
絶対に大変な起業なんてものにあえて手を出して、今ある幸せを壊す必要性はあるんだろうか。
いろんなものを失って、後悔する日が来るのではないか。

そんなふうに「やりたいことっぽいものはまぁなんとなくあるんだけど〜」とほざいているうちに日々はどんどん過ぎていった。

新卒から5年勤めた超優良企業である業界最大手の外資メーカーを辞める際、「私は自分のやりたいことをやります!」と勢いよく辞めたくせに、このザマである。
元同僚たちの中には私が退職と同時に起業しているものと思っている人も多く、後ろめたいやら情けないやらで合わせる顔がなかった。


覚悟と動揺


1月末、NEXT FOUNDERSの存在を知る。

訳あってSHElikesを受講していて、「起業コース」を面白半分で受講していたタイミングだった。

これは、「挑め」と、もうそういうことだろうと勝手に解釈した。

自分なりに真剣にエントリーフォームを作成したおかげで、たとえ1期生になれなかったとしてもそれはそれでなんとかして事業として形にしたいなと思えるくらいにアイデアを具体化することができた。


結果は、運よく通過。本当にありがたかった。

そして、先日のキックオフで30名の通過者たちが集い、自己紹介が始まり、30の事業アイデアと意気込みが次々に発表された時、子宮が縮む音がした。

みんなすごい…
レベルが違う…

普段Voicyでヘラヘラしゃべっているし、人前で話すのは問題ないと思っていたのに、胸が詰まりながら上ずった声での発表になってしまった。

でも、この人たちとここから3ヶ月間、切磋琢磨できると思うとこんなにありがたい機会はないと改めて思え、あれだけ手放したくないと思っていた穏やかな幸せも「9ヶ月くらい楽しめたしもういいか」「この9ヶ月の幸せを覚えておこう」と既に思い出になりかけている。



NEXT FOUNDERSについて、自分の事業について、起業にまつわることは全てこのnoteマガジンに残していこうと思っています。

もし万が一私が起業に漕ぎ着けてきちんと起業家として名を馳せるようになったらこのnoteを書いておくことには大きな意味があると思うし、なんらかの形で諦めることになっても、仮に借金を抱えて自死するようなことになっても、起業に関係することは全てここに残します。

月に何本更新できるかわかりませんが…笑


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

次の記事では、私がこれから進めていこうとしている事業案の内容であり「ルッキズムからどのように人々を解放しようとしているのか」について書きます。

それではまた!

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