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焦げたバゲットのように

2005 夏


 あれは、フランスのムティエの近くの避暑地に行ったハタチの夏。真っ青な空が近く、山や湖の合間に転々とするログハウスの美しい軒並みで創造された天国のような高級リゾート地。
 ホテルの廊下で二度目にすれ違った時、彼は私に話しかけてきて連絡先を交換した。その後、初めて二人で会った時、振り返ったその瞬間にキスされて、その次の瞬間に半ば強引に頭を鷲掴みにされて力強く唇を奪われた。あの瞬間に、私の少女時代はガラガラと音を立てて完全に終焉を迎えた。決してウブな少女だった訳ではない。しかし、これまでとは全然違う何か。それをフランスのエスプリというのか、アムールの国だからと片付けるのか、それとも運命だったのか、当時は大混乱してパニックの中にいたから分からなかった。20年近く経った今でも、あの瞬間を思い出すと心臓がギュウギュウと締め付けられて、心の中を数十匹の蝶がパタパタと舞い上がる。

 あの瞬間だけ鮮烈に覚えているのは、恐らく何度も記憶を反芻したからに違いない。1000ピースあったパズルが8ピースほどの残骸しかなく、私は今、それを拾い集めて、全体像を頭の中で想像して再構築するような作業をしている。

 その後、いつだったか山の上のレストランでクレープを食べた後、その日の夜だったのか私の部屋に来て恋に落ちた。実際は、恋に落ちたなんて軽いものではなかった。崖の上から、奈落の底の沼に堕ちたというほど、私は恋に取り憑かれて苦しみ悶えることになる。最初の夜、その情熱とは対極に、私は華奢なレースのMiss Chloeのランジェリーをつけていたことと、真っ白なリネンのシーツに包まれて、何か愛の言葉を囁いてくれていたと思うのだけど、何だったのか思い出せない。Je t’aime ではなかったのだけは確か。

 あの頃、私は「綴る」ということをしていなかったから、詳細を思い出せない。ただ、彼はいつもフランス人の友達に囲まれていて、二人きりではない時間が苦しくて、切なくて、沼から這いあがろうとするほど私は沈んでいった。今でも、灰のような自分の心模様だけは手に取り出せるぐらい鮮明な記憶。

 自分が住んでいた国に戻る日、ムティエ行きのバスの前で抱きしめられて何か囁かれた。多分、「あなたのことを忘れない」とか「また会おう」とか「連絡を取り続けよう」とか何か。

 これが孤独との出会いだった。ここから、私は孤独という友と一緒に愛を渇望して彷徨うことになる。Bonjour tristesse、悲しみよこんにちは。本当にそんな気持ちだった。

2005 秋

 私は、日本から帰る時にパリに寄ったのだけど、会うことができなかった。今、冷静に思い返すと彼にはSaint-Émilion出身の彼女がいた。私と付き合っていてブロンドの彼女と浮気したのだと後に憤慨することになるが、私が浮気相手だったのか何なのか。エスプリという煙に巻かれて、この話は有耶無耶になったけれど、もっとはっきり聞くのだったと思う。あの時は真実を知るのが怖かった。今になってはっきり問い正したくなるのは、年増の女になった図々しさか。夫も子供もいて、安定の中に身を委ねて、今度は孤独と葛藤を欲しているのか。

 このように、彼にスポットを当てて書き綴っていくと、純愛な気がするのだが、私は沼から這い上がろうと慌てふためいたせいか、191cmのハンサムな外資系金融に勤めるフレンチジャーマンとのロマンスや、同じ街に住んでいたブロンドでブルーアイズの恋人など、複雑に絡まった毛糸のような時間があった。それも同時に書いていくと、カラマーゾフの兄弟のように登場人物ばかりが膨れ上がっていくので割愛する。

2006 夏

 彼が私の住む街にやってきた。機体の整備に問題があり、飛行機に閉じ込められて、「少し遅れる」が徐々に伸びて、10分になり、20分になり、30分になり、座ったり立ったり、数を数えたり、「待つ女」は辛かった。彼がようやく到着口から出てきた時、「悲しそうな顔をしていた」と言われて、即座に否定した。私、悲しみの中にずっといたから、それがデフォルトになってしまったのかもしれない。

 せっかく会えた夏だったのに、私の記憶のピースは散らばっている。断片的な記憶をかき集めてもストーリー性が足りないのだ。後に、「あなたが自分のためにバッハを弾いてくれたのが、自分の人生で美しい瞬間だった。」というが私は覚えていない。ただ、昼夜問わず、貪るように求め合った。
 その日は、ワールドカップのフランスとドイツの決勝戦だった。あの夏の陽射しの下を散歩して、帰宅して、私がSaint-Émilionの女性の写真を見つけて激怒した。そこから、取っ組み合いの大喧嘩になった。彼女を去って、私のところに来た事と、私の存在を彼女は悲しんだということ。何で写真があるのかと問い詰めると、入れたままにしていて忘れていたということだった気がする。私はこの件をかなり長い時間、許すことができなかったし、他の人と付き合ってもトラウマとしてゾンビのように蘇ってきた。
 大喧嘩のあと、激しく三回愛し合って、友人の家で決勝を観た。私にとってもこの日はワールドカップだったなという皮肉も込めて、四年ごとにこの日のことを懐かしむ。怒り狂うほどの嫉妬は、若さの象徴だった。若さを私は骨の髄まで堪能したのだと、波風のない無風の世界から過去を眺める。 

2006 冬

話がどのように進んでいったのか全く思い出せないのだが、私の日記はパリからの電車TGVの中で突然始まる。
25.Dec.
Anything could happen…
5ヶ月という時間があったのに、最後の10分が永遠に続くのかと思った。
こんなクリスマスの昼。不安で胸がいっぱい。空とは畑の同色のグレー。1年前、クリスマスにこの景色を見るなんて想像もしなかった。

地球の反対側は、生まれた町ととても似ていて、とても綺麗だと思った。何が起こるのか分からない人生、予想できない事ばかりに出会って、それに色々な感情が伴って、人生という見えない形が少しずつ色と形を変化させてゆく。自分がヒトより少しばかりの度胸がなかったら通り過ぎていた人と、点と点ではなく、思い出が心の一枚のスクリーンに投影されているのを確認して、自分の勇気を褒め称えた。

他に何もいらないと感じる幸せの瞬間。
この時間全てを保存したい無垢の幸せ。
涙が溢れてやっと言えるI love you.
こういう幸せが自分の中に何度やってくるのだろう。
傷つくことも愛することも全て怖がらず、面倒くさがらずに生きていきたい。この一年半がそうであったように。言葉にできないぐらい何か柔らかいものに包まれた感情を得るために存在した様々な出来事と、このクリスマスのことを私は永遠に忘れないでしょう。

 彼の実家でクリスマスのランチを食べた後、数日を一緒に過ごした。あの頃の彼は不安定で、遠距離恋愛に耐えきれないといい、一年以内に同棲することを熱望した。私には履修しなければいけない単位とゼメスターが残っていて、大学卒業を棒に振って同棲をするなんて馬鹿げていると怒った。私達の意見は平行線のまま、それなら出ていってくれと突き放されて、私達は別れることになったのだった。今考えても、あれは馬鹿げている。数年後に、彼もあれは間違いだったと認めているし、今は安定しているといっていたが、当時の彼は、愛の中で溺れていた。

 予定を早く切り上げて、私はパリ行きの電車に乗った。今でも思い出すと感情が蘇って、悲しくなる。ただ、電車が出発する直前、「あなたが去っても、愛していたら愛していると毎年送り続ける」と言われて、見つめられて、私は電車の中に乗った。そんな言葉も、電車の汽笛の発車音と共に虚しく散って、私の中で彼との愛も散った。

2009 冬

その後、何があったのか覚えていない。きっと、それでも愛しているというメッセージと共に謝罪があって、恐らく何かのきっかけがあって、私達はほぼ2年ぶりにパリで再会することになった。

9.Jan.
愛でお腹がいっぱいになると、この日記帳を開かなくなる。歯が浮くような言葉は満腹になると、溢れ出ていく。
孤独でも卑屈になることもなく、その必要もなく、そのお腹が空くことを実は願っている。2009年になってしまった今、私を揺さぶった2005年は4年も後ろに過ぎ去った。
「恋愛術」は少し身についた。人生の術。
彼と別れたのは2年前。あの時は、彼と二度と会うことはないと思っていた。TGVで見た景色は忘れられないと思った。写真に撮ってもきっと何も写るわけでもなく、ただ心に映っただけのあの景色。
別れや出会いを何度も繰り返して、色々な場所に行ってみて、様々な感情と出会って24歳になった。
明日はパリに行く。色々な「前日」があったなと思い返す。これでいい….。

(支離滅裂な文章が私の心模様を表している)

10.Jan.
山の上でクレープを食べたあの日のことをとても懐かしく思い出す。私たちにとっての、最初の食事。

何度も喧嘩をしたし、もう二度と会うことがないと思った。何が起こるのか分からないと思ったのは2年前のこと。1ヶ月1ヶ月必死に生きることが20代の掟のような気がして、単純に生きようとしてきた。
彼を巡って、色々な感情が生まれたし、少なくとも2005年の夏からバリバリと激しく音を立てるように少女を脱して、自分の置かれていた環境をも音を立てるように壊して、自分の20代を作ってきた。全身で恋をする孤独な時間が永遠に続くかのように思えたし、それに何の疑いもなかったけれど、この不安定さの中にある煌めきが、いとも簡単に終わりが来るかもしれないことを、ある時突然気がついた。それに気がついた時、私は動揺した。ガクガクと何かが崩れるように動揺して、何かの闇に入ってしまったみたいな、ふわふわとしたものの中に紛れ込んだ。
しばらく経つと、後悔したくない気持ちと、整理したい気持ちと、連れ添った孤独と楽しく暮らしたいというこれまた新しい感情が湧いてきて、これらの気持ちが更なる変化に追い込んだ。そして、気がついたらパリ行きが決まっていた。
孤独を感じる時、それは永遠に続くかのように思われ、愛の中にいる時、それはあっけなく終わる恐怖が潜んでいる。

11.Jan 
飛行機の最後の10分が本当にノロノロと感じられた。2年間会わなかたことを、特に考えなかった。考える暇もなかったのだから。オルリーに着いた時、また「悲しそうな顔をしている」と言われた。また即座に否定する。しかし、この人が私を苦しめ、虜にしていた男なのかと思った。2年前に別れた時、苦しかった。
今、こんなに愛しているとあなたはいうけれど、それなら何であの時に手放したのかと問いたかった。
だけど、あの時付き合い続けていたら今の私は存在しなかった。歴史にifが存在しないのと同じように。
攻める気もなければ、飛び込む勇気もなかった。ただ、レストランでディナーをした時、目の前にいるのは確かに彼だけれど、私の知っている彼とは違って、2年の年月が与えた成長と、その時間の長さを感じずにはいられなかった。
その夜、突然、涙が出た。大粒の一つの涙だった。理由は分からなかったけれど、感動の涙だった。

11.Jan

私達はオルセー美術館に行った。私の大好きな美術館。彼との関係に悩んだとき、ここにきて、モネの絵の前で何時間も座り込んで色々なことに思いを馳せてきた私の場所。
ここに、彼と一緒に来ることになるとは全く想像できなかった。
人生ってなんだろう。
一つの線で繋がっている。願えば叶う。なんて恐ろしいの。
全部、全部、一本の線。本当にびっくりする。

ここで、私の日記は終わっている。
私は、2010年に帰国して、2012年に日本人の男性と出会って結婚して子供を産んだ。お受験に奔走しながら、全く別の世界に生きた。










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