見出し画像

2000年10月1日

今から22年前の日記が出てきた。
子供たちが幼くて、自分の時間なんかなくて、いっぱいいっぱいだったころ。ちょっとシェアしてみます。
2000年10月1日
 なぜ、やりかけたことをすぐに忘れて一年も忘れていられるのかわたしにはわからない。とにかく毎日忙しすぎて、いつも時間に追われている。もしもまとまった時間がとれるなら作品を書きたいし、絵手紙もしたいし、英会話も習いたいし、、。でも現実は、月、火、水、と仕事して、木曜にたまった家事を片付けて、幼稚園の行事や小学校の行事などに追われて、私自身の時間をつくるのさえままならない。
 なにか気持ちがいつもイライラして、子供たちに早く早く、時間がない、時間がないを朝から晩まで言ってるような気がする。いけないと思っても、自分に対する歯がゆさとか、自分の生き方に対する矛盾とか、いつも心のどこかで葛藤していて、さかのぼれば、自分が親にどう育てられたかに答えがあるようで、すべて親のせいにしたくなってしまう時がある。そして、結婚してからはすべて旦那のせいにしたくなったりする。
 この自分自身の稚拙さを恥ずかしいと思うが、そう思うことが、いい子ぶってるような気もして、この際、自分が受けた幼いころの心の傷を誰かに分かってもらい、慰めてもらえば、何か前にすすめるような気もする。
 電話をかけるのがとてもいやだ。それは誰に対してもで、相手が今、どんな状況にいるのかもわからないのに、電話をかけるのはとても気をつかう。
 そんなこんなで、久しぶりの友達や、親や、知り合いには絵手紙を送りたい。なかなか書く時間がないけど…。

という内容だった。私のインナーチャイルドはきちんと癒されることのないままかも、、でもなんとなく昇華したように思う。いろんなことがあって、母は感情の起伏が激しくて、あのひとの価値観の押し付けになんの抵抗もできなかった。反抗期など出せない。親に受け止める隙がなければ、こどもは反抗期なんてだせないまま大人になる。私がそうだった。その母がボケて、本人はしっかりしてると思ってるが、、、(笑)ある意味子供のようになった母の面倒をみていると、押さえつけられて育ったことに対する根深い感情がおさまってきている。親も完ぺきではない。未熟な人間である。その未熟な人間に育てられた私も未熟な人間である。ただ、私は自分がされて嫌だったことは子供にしなかった。夜の鍵っ子もさせなかったし、子供の涙に寄り添う努力もしたと思う。あと子供の前で泣いたり、怒鳴ったりはしなかった。子供はわたしの気づかない傷を私から負ってるのかもしれないが、全くそんなことを気にもかけなかった母よりは、その辺はましかもしれない。
20年前の日記を読みながら、ふとそんなことを思った。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?