『哀れなるものたち』の原作を読んで…
3度目の映画『哀れなるものたち』を観てきた。
またしても長〜くなります。
本当にこの映画が大好きになって、あまりにも好きだったから原作も読んだ。
原作も初見ではやっぱり映画を追ってしまったから、もう1度読んで、それから3度目の映画鑑賞をした。
今までは映画のラストシーンはハッピーエンドだと思っていた。
主人公が成長し、悪しき者には制裁を与えて、良き世界にする事に希望を持ち続けたまま終わる。
この間友達とこの映画について話した時に、その子はラストシーンが好きじゃなかったと言っていた。
あんな終わり方にしなくてもいいんじゃないかと。胸糞悪かったと。
その意見を聴いても、そういう人もいるんだなぁ、私はむしろ胸糞悪い奴を制裁出来てハッピーになった。
でも今回観たら違った。
ラストシーンで主人公のベラは、元夫の将軍に対して、彼がしてきた事と同じような残酷性を与えた。これは主人公たちのハッピーエンドでも観客たちのハッピーエンドでも無くバッドエンドだ。
エンドロールでは音があまり無い。
そして錆が所々映し出される。
私は錆が好きだし、単純に世界観が好きで観ていたが、この錆は主人公たちのその後ではないだろうか。
彼らが住んでいた家の中も映るが、天井は錆つき、風化を感じさせる。
活気あるラストに対比して、エンドロールでは静かだ。
映画では語られてないが、原作にはその後がある。
世の中を良くする事に野心的だった主人公は、結局世界は変わらない事を知る。
つまりエンドロールで映し出される”錆”は、結局何も変えられずに彼らは呆気なく死んでしまい、残された家や時代の経過を表してるのではないだろうか?
私は原作を読んでやっとこの映画の意図が分かった気がする(思い過ごしかもしれないけど)。
タイトル『哀れなるものたち』は、観客含めたこの世界の人々を表してるんだ。それは私も含め。
結局人間は残酷性を棄てる事が出来ない。であれば戦争は絶対に無くならない。
渋谷で観た帰り、駅までの道。
高級車や、トランクにスピーカーを乗せた車が集まり、音楽を爆音で流していた。それに群がる外国人観光客。
そしてその外国人観光客目当てに至る所から集まってきた車たち。
欲望にまみれていた。
ああ、世の中は変わらないんだなと、渋谷の街を見て改めて痛感した。
『哀れなるものたち』だと。
ただ私は欲望がいけないと言ってるわけではないし、生きる原動力にもなる。でも欲望には良い欲と悪い欲があって、自分を満たす対象が外界や他者に依存すると、それが支配欲へと変わり悪い欲になるんじゃないかなと思う。でも難しいね。
それにしても原作の知的なトリックには目が回るほどだ。挿絵も著者が描いているらしく、多才すぎる!
そして映画にもトリックが使われているのではないかと思うのは私だけだろうか?
(ちなみにハリウッドではハッピーエンドでないとヒットしないと言われている。しかもこの配給はディズニーだ。もしかしたらバッドエンドであることを気づかせないようにしているのかもしれない…。)
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