誰もが生きやすい社会に
痛ましいニュースがありました。
男性の方の絶望を思うと非常に胸が苦しいです。
今、発達障害の方の支援を行う中で、知的障害の方とお話させて頂く機会もあるので、そこについて書きます。
知的障害とは、
最新の「精神疾患の診断・統計マニュアル 第5版(DSM-5)」では、「知的能力障害(知的発達症)」とも表記されています。
論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、学校や経験での学習のように全般的な精神機能の支障によって特徴づけられる発達障害の一つです。発達期に発症し、概念的、社会的、実用的な領域における知的機能と適応機能両面の欠陥を含む障害のことです。
また、知的障害グレーゾーンと呼ばれるIQ70~80の方もいらっしゃいます。
知的障害は、知的能力と適応能力を総合して判断されます。
グレーゾーンの方の中には、診断されるまで普通に中学に行き、高校に行っていた方も少なくありません。
高校の授業についていけなかったり、社会に出たものの精神疾患を発症し、心療内科や精神科を受診。そこで実は知的障害(もしくはグレーゾーン)だったと判明する、というケースもあります。
日常生活も送れている、仕事もしている、友人もいる、その中で知的障害の可能性があると医師や心理師に告げられることになります。
中には、診断を認めずに診断を受けることで得られる社会保障(障害者手帳など)を拒否する方もいます。
知的障害の方の中には、他の発達障害と同じように本人が言わなければ会話していてもそうであると分からないことも少なくありません。
仕事をしている方も多くいます。
人より少し苦手なことがあるだけです。
僕が伝えたいのは、「障害」と名前についていても健常者と変わらないということです。これは発達障害も同じです。
手が不器用だったり、歌が苦手だったりするのと同じです。目が悪い人がメガネを必要とするのと変わりません。
ただその苦手が日常生活に支障を来たすところに出ているのです。
苦労や困りごとは人よりも多いかもしれませんが、障害は人格には一切関係ありません。
というのも僕自身、知的障害の方とお話する前はどんな風にお話したらいいか分かりませんでした。
だからこれを読んで下さっている方に、障害と名前がついていても、健常者と変わらないということを伝えられたらと思って書いています。
苦手についての配慮(例えば伝え方など)は必要だと思っています。
冒頭のニュースを見て、たとえば男性に知的障害がなかったとしたら、自治体の人たちは同じような接し方をしただろうか、と考えます。知的障害だからといって接し方を変えていなかったか。
誰もが尊厳をもって自分らしく生きられる社会であって欲しいし、感情は誰もが持っています。決して、その人の持つ属性や障害によって扱いが変わっていいものではないはずです。
僕自身ADHDをもっていますが、以前ミスが重なった際に「気持ちの問題。どうして今みたいなミスをしたか過去を振り返って書くように」と言われ、「小学生の時からミスが多かった。ミスで目立ちたかったんだと思います」と書いて精神的に非常に追い込まれた経験を思い出して、これは書く必要がある、と思って書いた次第です。
多くの方に知的障害への理解が深まることで、もっとたくさんの人が生きやすい社会になることを心より願い、また、自分自身も差別や偏見がなくなるように働きかけていきます。
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