ひととの、かかわりかた
今日、夕飯を、食べているときに、両親と、すこし、言い合いに、なった。
ずっと、家に、いる、ぼくに、向かい、言った。
『そとに、出て、ひとと、かかわったらどう?』と。
それは、外で、仕事をして、生身の、ひとと、かかわれば、いい、というものだった。
ぼくは、外に、出て、仕事を、しようとは、考えていない。
絵本作家として、在宅で、仕事を、している。
ひととの、かかわりだって、ネットで、関わっている、と。
ただ、両親には、あまり、理解されなかった。
外で、働くことが、当たり前で。
ひとと、かかわるなら、生身の、ひとと、かかわる。
そして、ネットで、ひととかかわっている、と言う、ぼくに対して、言った。
『ネットで、トラブルに、あったら、どうするの?』
両親の頭の中では。
ネット=危険。
たしかに、ネットで、知り合って、トラブルに、巻き込まれるケースも、あるだろう。
それは、理解できる。
ネットで、知り合うことが、危険で。
外に出て、生身のひとと、知り合うことが、安全。
そうかもしれない。
けれど、それは、見方、捉え方、だ。
ネットでの、出逢いも、たくさんの、素敵な、出逢いが、ある。
ぼくは、noteで、知り合ったかたと、絵本を、つくることが、できた。
これからも、あたらしい、絵本を、つくりたい、と思っている。
ただ、視点が、違うだけなのだ。
けれど、両親の、気持ちも、わかる。
だから、これから、歩み寄ろう、と思う。
ぼくが、やりたいこと。
ぼくの、ひととの、かかわりかた。
じかんが、かかっても、いいから、すこしずつ、話そう、と思う。
ひとは、知らないことに対して、嫌悪感を、持つ。
未知のことに対して、こわい、と思う。
理解できないことに、レッテルを、貼って、避けよう、とする。
けれど、それを、否定は、しない。
ぼくは、ぼくの、意見で、ねじふせよう、わからせよう、とは、思っていない。
在宅でも、仕事ができる、ということ。
ネットでも、素敵な、出逢いが、ある、ということ。
ひとと、会わなくても、音声配信を、通して、ひとと、かかわれる、ということ。
べつに、生身のひとと、会うことを、否定するつもりは、ない。
この、感染症が、おさまったら、会いたいひとがいる。
ぼくは、いつも、家に、いるけれど、ちゃんと、ひとと、かかわってる。
ひとりで、いるように見えて、たくさんのかたと、まいにち、出逢っている。
ひととの、かかわりかたは、時代とともに、変わってきている。
あまり、時代、という言いかたは、好きじゃないけれど。
けれど、両親には、感謝している。
心配してくれている気持ちは、つたわった。
そして、ひととの、かかわりかたを、考える、きっかけを、くれた。
ぼくも、歩み寄ろう、と思う。
ぼくのことを、もっと、知ってもらおう、と思う。
ぼくも、両親のことを、理解しよう、と思う。
ここまで、あなたの貴重なじかんをつかって読んでくれて、ありがとうございます。
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