見出し画像

一般ルート通れると信じてた人間の話


こんにちは!百千鳥です。


今日は、頑なに自分は一般ルートを通れるものだと信じていた、という話をしたいと思います。大体、20年くらい!


将来のなろうとしてるものと、周りからの評価に大きなズレを感じている人

なんとなくそうなるのかなあ、と思ったけどなんか水が合わないじゃん…!?てなってる人向けです。

いるかな?ま、自分の供養記事でもあります。



共感できたあなたはもしかしたら…

もしかしなくても……一般ルートは無理かもしれませ~ん……(笑)

もくじ
0. 一般ルートに入りたかった
第一章 求められるものと望むもののズレ
第二章 絵とかピアノならいいよ
第三章 やだぁーやめて――――
第四章 ここの水、あわない…
0. 今。




0.一般ルートに入りたかった


一般ルート、入りたかった。

一般ルート、入りたかったです。

(大事なことなので)



敷かれたレールにのった上で、

楽しみたいことを楽しみたかった。


そんで、大往生できたら最高ですよ。

よくしらんけど。


そんで、できんじゃね?って思ってた。

だけど、ことごとくできなかった。


あれ…?こんなこともできないの…?て絶望した。

一時はできても、続けられないんだよね。

趣味は10年とか、細々とでも続けられてるのに。

できると思ってたけど、なんかできなかった。


それを認めるまでの、話。




第一章 求められるものと望むもののズレ


幼いころからそれなりの人生歩めればいいなあと思ってた。

おもしろいかわからないけど、

多分私も、他の人と同じように勉強して、

仕事について、結婚して、旅行したりするのかなあって。


別に心から望んでいたわけではない。

けど、そうなるんだろうなって漠然と、信じていたんですね。



そんな園児…6歳で、すでに浮いてました

何やらせてもそこそこできる、やたらしっかりしてる、気が利く…

本当に子どもか?て反応を何度かされたの、覚えてます。


象徴的な出来事が、

マーチングバンドの指揮に任命されたこと。



私は…

棒で細かいリズムを叩くやつが…やりたかったんや…


楽器選びに行こうって立ち上がったら呼び止められて

いきなり言われるんですね。

「あなたは指揮をおねがいしたいの。花形よ」

なんだろそれ。




親とか大喜びですよ。花形。マーチングバンドの指揮者。

一番派手で、真っ赤な衣装と白いブーツはいて、大きな指揮棒と笛を吹く。



いやだった~~~~~~~~~!!!!


めっっっっっちゃ、いやだった~~~~~~~~~!!!


え!あなた、やりたい???変わろうか?????????(ガチ)

だった



何が嫌かわからなくて一通りやって気づいた。

嫌だったのは、注目されること

私はモブが良かった。

だって楽じゃん、モブ。

何しててもバレない…

目立つとこにいると好きなことができないんだよ…


気ままに過ごしてたいのに、しっかりしないといけない…

いいよ、頼まれたらやるよ、一人先生に教えられて遊べる時間が少なくなっても頼まれたんだものやるよ、やってみせますよ、けどね?


こんな派手な衣装だとか、目立つ立場って聞いてない…!!!


日陰がいい…!日陰にいさせて…!!!



(当時の集合写真には、花形というのにしかめっ面してる自分が残ってます)(言い訳:まぶしかったから)



そこで気づいたんですよね。

私、表に出たくないって。

根暗になろうって、園児で決意します。







第二章 絵とかピアノならいいよ


小学校二年生…8才からピアノを習い始めた。

最初は、妹の付き添いで習い始めたけど楽しくて私が習うことになった。


そこで一見難しいことも、

ひとつひとつクリアしていけばできるってことを教わったり、

先生との相性も良くて、感性の育てかたは先生から影響をたくさん受けた

たのしかった…!

本を読むみたいに、

曲を弾けるようになる過程で

知ったり考えたり音で表現したりするの。

邪魔されないし、いろんなものの見方を教わった。

いい音をだす上で必要な気づきや考え方ってのがあって、

それを先生から吸収した。


8才から20才くらいまで習ってた。

一番多感な時期に、先生からたくさん吸収した。


学校であったこととしては、

小学から高校の合唱コンクールの時、伴奏を請け負ったりしてた。

すぐ弾けるタイプじゃないから、丁寧に積み重ねて。

私よりすぐ弾けてうまくて作曲できる人ならいたから、目立ってないって思ってた。伴奏者賞、一回取れたのはうれしかったな。

一応、それくらいにはうまくなれたんだと形として得ることができて。

今思えばそれだけうまいってことだよね。謎の謙遜してたわ…。


絵も8才から漫画を中心に自分で研究し初めて取り入れてた。

小学生のころ、頭に見えたものを絵にしたら賞をもらった。

自由なのが良かったんだって。よくわからない。

中学のころは絵なんて描ける人たくさんいたから、

刺激を得つつ鍛錬して

高校でギリギリもらったかな。それくらい。たいしたことない。

絵で毎年賞をもらってる人いたし、

嫉妬するほど独特な見方できる子もいた。

文化祭のパンフレットの表紙がなんか絶賛された。

表立ったのはそれくらい。

だから、そんな目立ってないって思ってたのね。

それくらい、誰でもやってた。

途中でやらなくなる子はいたけど、

静かに日陰で絵を描いて、ピアノを楽しんで、たまに人の役に立つ

それが一番心地よかった

画像1



第三章 やだぁーやめて――――


大学にいくとあからさまに目立ち始めた


絵がうまい子だ…

住宅の課題で粘土使った子だ…

感性が独特…

不思議ちゃん?

君だからね(笑)


なに、笑ってんだコラ。

思う形が作れなければ粘土だってつかうだろ、なあ?

あそこで青い断熱材の塊で謎に掘り出してるやついるじゃん!

あれよか、まともじゃん…!?

粘土なんて!かわいいじゃん!(謎の抵抗)


普通だよ???

そう思うのは君だけじゃない???

私普通に生きてきたもん!

って思ってた。イタイですね~

本人としては、解せぬ…解せぬですよ

オタク活動してきたか否かの違いか…?とか思ってた。


ほら、普通じゃん!を大学生の頃で大体試す。

それを話すと行動力あるね…とか驚かれて

え、普通やらんの?やるんじゃないの…?という

ジェネレーションギャップを感じることになる(国内)


画像2




第四章 ここの水、あわない…


院一年生後期から就活が始まる。

建築業界はすんごく早い。

研究やってたかったのに組織事務所の設計部は10月とかから動き始める。


私の志望が意匠建築士だった。

施工や営業も合わないから、

職人的な建築士がやりたかった。

だけど就活するほどそんなもの、存在しなかった。


えーーーーーーーーーーーーーー??????

パリピタイプの集まりじゃん…!!!


やっちまった感すごかった

だって、

6年かけて奨学金借りて、お勉強してて今気づきます…?あほちゃう?


思い返せば、それまでもなんとなくあった。そういうところ。

建築業界のパリピ属性感…

アトリエとか、個人事務所とかだけだと思ってたら

企業がむしろ、よりパリピだった…やばい



しかも、体力異次元の方々ばっかり。


私のステータス:職人気質、馬力はあるが体力あんまり、もろ刃の剣


お呼びじゃなーーーい(んぐぅ)


なじめるわけがない。

仕事としては関わったら楽しそうだったし、

もし私に体力がたくさんあって、できてしまったら

そこでやりたいこともあった。

だけど根本的に体がついていけない環境だった。


そっちの方向に進む以外考えてなかったから

就活をやめるという選択肢を持てず

(疲労で頭疲れて判断できなくなってたし)

院2年生になった4月、うつ病と診断される。



くそがーーーーーーーーーー!!!!!!!!www(笑ってくれ)



前期の学費、無事払い終わった後ですよ…

とりあえず体引きずってでも前期最低限やったよね。


それで休学を9月からやろうっておもって。親に頭下げて。

いや、休めば、もとに戻ると思ってたんですよ。


今まで、忙しすぎたから

疲れがたまりすぎてそうなっちゃったんだろうなとか、

私がなる以前にうつ病になった子回りにいたし、

半年くらいで回復するのでは…?

もしかしたら、休学しないでもいけんじゃないかな?とすら思ってましたけど


まあ回復どころか悪化するんで

休学しましたけど。


休学は最長2年できるから、

えっ、あと半年くらいで治るんじゃね?

それなら残り半年でアトリエ事務所回って

よさそうなところ探したりしたい!いい時間の使い方!

貯金もなくなっちゃうから

リゾートバイトで集中的に稼いで50万くらいは貯めたいな!とか思ってました。


結論。二年休学して退学しました。



まじかーーーーー!!!!!

まったくできんかったーーーー!!!

まじかーーーー!!!



回復すんじゃね?って思ってた半年後から、人生冬眠に入ってた!

休学して一年後、やっと起きれるようになってきて、

休学して二年後、やっと人としての最低限の生活整った程度

復帰できる状態でもなければなんかこんな体調じゃ

どこも無理だしやっと諦めたよね!退学!なんかすっきり!



なので私は院生で休学のちの、ただのニートなのです…すげえね?

リハビリなアルバイト…内職ができるようになってきたけどね?

ここまで書いて気づいたけど諦めが悪いね。

諦めるにもとことんやりたい癖があるなあ…あかん(ちゃんと選んで)

画像3

(写真撮るのもすきなんよ)



0.今


ここまで諦めが悪いってのもすごいなって思えるようになってきました。

ダメ男に良いところ見出しちゃう女の人みたい…

合わないってさっさと自覚してその性質が活かせるところにつかお…?


まだアルバイトでも都合が良ければ関わるのもありだなとか思ってます。

まあ、入り込むほどまた挫折しそうですね。ほどほどにな。



そんな矢先に、なおとさんに出会えて

なおとさんから見た私を言葉にしてくれて、

だんだん私ってどんな人間か、っての分かってきた。


多分、今まで周りにいた人、言葉にできなかったんだと思う。

ああ、あなただからね、ってみんな言うの。

具体的にはどういうこと?て聞いても、

言葉にできないって言われちゃうのがほとんど。


そしたら元トップアスリートのなおとさんと、

感覚で共感しながら会話できる不思議。

あんたやばいよ、っていわれた。

あれ、私アスリートだった…?

絵を中心にしてるから、絵のアスリート…?


まだ、よくわからないけど

今までの中では一番しっくりしてるから絵のアスリートらしい…!

なんかすごそう…(笑)

自分のこれから、どうなっていくか、楽しみにできるようになってきた

人生絶望なら何度もやってきて、先が見えないよ~おいおい~してたけど

楽しみに思えるようになったってのは、すっごく大きい。


画像4

自分が生み出した

適応しよう、普通になろうとしたからこそ生まれたズレ

そのズレの解消が、少しずつ。

私ってこれができたんだ、とか、

こういうところがほかの人と違ってたんだ

とかがやっとわかってきた。


自分の基準が普通、てなりがち。

客観視で物事は見えても、

自分のことは主観でしか判断できてなかったんだね。



自分を作ってるのは趣味の絵やピアノだった。

できてるってどこまでやればできてるのか、分からない。

上手い人が近くにいて、私はそこに行けなかったから

たどり着けてないとおもってたけど、

私の出すものを好んでくれる人はいた。


教室じゃなくて、美術室なら、活躍きるかも!

活躍できる場でやるぞ~!(* ̄0 ̄)/ 




頂いたサポートは調べ物や調査の活動資金とさせていただきます!よろしければおねがいします( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )