あの日稲毛海岸でウィンドサーフィン中に漂流したアホは私です
「死ぬかもしれない」だと大袈裟だが、「死ぬほど恥ずかしいことになるかもしれないけど、なり振り構っていられない」と悟ったあの日。
実際のところ大事になる一歩手前だった。
あの日、私たち3人は千葉の稲毛海岸という浜にきていた。ここにウィンドサーフィンをしにくるのは2回目。1回目は海上で立てて、曲がりなりにも風に乗って進むことができていた。
そして、言っても2回目なのに、私は調子に乗った。
ホラー映画で最初に死体になるおふざけ担当こと雑魚キャラが、その日の私だ。雑魚が踏んだ地雷のおかげで後続のメインキャラが罠に引っかからないのだから感謝してほしいと思う。
以前仕事で、私はとんでもないミスを犯したことがある。人様のちょっと大事な情報をまるっと削除してしまったのだ。ミスることを想定しないフローで業務が行われていたことも問題だったが、とはいえ「何で確認しなかったのー??!」と怒鳴られれば「ごもっともです」としか言えない案件。それから他部署を巻き込んでてんやわんやの復興作業で、なんとか無事にデータは復活。よかったよかった!となったのだが、それ以来ミス防止のため対応フローが強化され、従来手作業だったことがシステム化された。
雑魚キャラの爆死を糧にした業務の進化だ。
そんなことを、海上でブーム(マストについた横棒)にしがみつきながら、走馬灯の如く思い出していた。
周りには誰もいない。私は、海の上でたったひとりで漂流していた。
たまにカモメが水面下の魚を狙って急降下してくる。浜辺にいれば夏の風物詩に見えるのどかなカモメも、海の上で目前をかすめるように飛ぶと恐怖に感じる。デカイ。目つきが怖い。
海面でたまにジャンプする魚は、浅瀬で見る時より大きい。海に落ちたら双方に食べられるのでは?とうっすら思った。
こうなった経緯はこうだ。
2度目のウィンドサーフィンだったが、1度目が思いの外うまくできたこと、子どもの頃水泳を習っていて比較的泳ぎは得意なこと、その日の風は初心者向け=弱めだったことなどで、少し物足りなく感じ、とにかくたくさん進もう。身体で早く覚えようとしていた。
そんな中、まずは前回のおさらいを、と地面に図を書きながら座学してくれる先生。ふんふんと真剣に聞く私の友達。座学はいいから早く海に出せと内心イラつく私。やっと海に出た時、あまりちゃんと話を聞いていなかった私は、とにかく風に任せて進み、その間に操作を覚えようとしていた。
その間友達は先生の近くを離れず、丁寧に操作方法を聞いていたらしい。
その日の風は2〜3m。風向きはちょいちょい変わるが、危険なんて微塵も思ってなかった。
そうやって風に任せて進み、習ったUターンもあまり使わず、もしくは使ったつもりになって数十分経過すると、私はありえないところにポツンとひとりでいた。
そして冒頭の回想に至る。
気がつくと、弱めだった風が時折強く吹き、しかも陸から吹いている。うる覚えながら教わった通り向きを変えて戻ろうとしたが、もがいてももがいてもその場をウロウロするばかりだった。そしてジワリジワリと沖へ流される。
見渡すも周りに誰もいない。さっきまで常に視界に入っていたSUPの人もはるか陸側にいた。
「やばいかも」と思った。
突然、突風が吹いてマストに直撃し、私は海に投げ出された。海に落ちること自体は初めてではなく、いつもなら楽しんで落ちてるところもあったが、今はまさに投げ出された感じだった。海水はさっきより冷たく、水中の感覚からかなり水深が深いことがわかった。
とにかくボードの上に這い上がった時、尋常じゃなく心臓がバクバクして手が震えていて、パニックを起こしかけてることに気がついた。
まず、先生を呼ぼう。それで戻り方を聞こう、と、恥ずかしさを殺して声の限り
「すいませーん」と呼んだ。
もはや沖からはどれが先生だかわからないため、とにかく陸に向かって「すいませーん」と叫び続けた。私の間抜けな声をみんなが聴いていると思うと恥ずかしかったがそれ以外に方法はない。
ところが、何度も何度も声を張り上げても一向に、こちらに向かってくる様子はない。
ここで恐怖の仮説がよぎる。「もしや、私の声は誰にも聞こえていない?」
「すいません」という控えめな呼びかけが、いつしか「戻れませーん」というSOSに変わり、ついに、生きてて使うことがあったらやばいと思っていた、
「助けてくださーい」
を使った。何度も。
ところが呼び掛けても呼びかけても無反応だった。正確には反応や声が返ってきていたとしてもそれがわかる距離ではなかったのだ。後から聞いた話だが、陸からの風が吹いてる時沖から叫んでも一切聴こえないらしい。
ついに本当のパニックになった。
手が震えてブームが握れない。海面を見ると激しく上下に揺れ、頭を下げると陸の地面が見えないほどだった。大好きだった海が今や恐怖の渦になっている。最悪、ボードもマストも全部捨てて身ひとつで泳ごうと一旦海に降りてみたが、手足がこわばってうまく泳げなさそうだった。
落ち着け。ウィンドサーフィンスクールなのだから先生はプロだ。こっちは焦っていてもきっと向こうからは見えていて何か手を打ってるはず。
ボードに上がって、もがくのをやめてしばし漂流した。今私は漂流少女。世界が沈没しても魚釣りながら生きる。
とか思っていたら、防波堤の先に釣り人がいて、こちらをみていることに気がついた。防波堤まではギリギリ声が届くようで、私の叫びが少し聞こえたのかも知れない。
私は大きな声でもう一度「戻れませーん」とさけんでみた。
すると釣り人は何かを叫んだが聞こえなかった。とにかく、私を見つけてくれた人がいたことでだいぶ気持ちが復活した。何とかなるかも。そう思って陸の方を見ると、先生がメガホン片手にこちらに向かいながら、「そのままー!」と叫んでいた。
助かった。
「崩れ落ちそうになりながらギリギリでブームにしがみついていると先生が到着し、「風の向くままに進むとこうなるんだよー」と言った。
心からの「ですよね」が出た。
私のボードを先生のボードに括り付け、引っ張られて浜に帰りながら私は防波堤に会釈した。
するとその時どこからともなく白いジェットボートが現れ、防波堤付近を一周していった。聞くと、沖に流された人がいると、釣り人が心配してヨットハーバーの警備隊を呼んでくれるそう。先生曰くおそらくその船だろうと。
少し遅ければ私はあのボートの世話になっていたのかもしれない。今日は無駄に出動させてしまって申し訳なくて恥ずかしい気持ちでいっぱいだ。
その後、無事に浜に立った時、一緒にきた友達2人に聞いたところ、私の声は一切聞こえなかったそうだ。そして、「やっぱりあれは流されてたの?」と言う。遠くに行っちゃったなあとは思っていたそうだが、私が孤独漂流状態だったことは気がつかなかったらしい。あの間抜けな「戻れませーん」や「助けてくださーい」が聞かれていなかったのに少し安堵した。
浜に無事漂着した時、先生に改めて無茶して単独行動してしまったことを謝った。先生は、懲りずにまたおいでー、と言ってくれたが、ついでにこんなことも言った。
「若い時にちゃんと覚えて趣味にしちゃった方がいいよ。結婚して子どもがいるとなかなか来られなくなるから。一度覚えておけば老後の趣味としてまた楽しめるよ」と。
まさか1歳の子どもを置いてきておいて、無茶して沖に出た口です、とは言えなかった。
浜にみんなで集合した時、先生は「流されたのが1人だったら絶対助けに行けるんだけど、2人同時だったら厳しかったなあ」と言った。それを聞いた友達2人は「海は怖いね」と再確認していて、私の失敗がまたしてもみんなの糧になってよかったな思った。
しかしそう思った矢先、「そもそも私たちは絶対に1人で遠くに行くようなことはしないけどね」と頷き合っていた。
その日2度目の心からの「ですよね」が出た。
なお、先生でも間に合わないくらいのスピードで流されてしまった場合は、スクールでジェットを保有しておりそれで救出にいくらしいので、そうそう本当に遭難することはないそうだ。