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「楽しく」歌うことに慣れていない

合唱部を卒業してから20年以上たってから、
声楽を習いはじめました。
一つのパートとしての歌い手ではなく、
一人で歌えるようになりたい、
楽しくずっと歌っていたい!
そんな動機でした。

選んだのはミュージカルコースでしたが、
思ったとおりにそのままいくわけではなく
いろいろなことが重なり、
なぜか古典、イタリア歌曲を専門とする先生につくことに。

週に一回のレッスンでは、
これまでいかに自己流で声を出していたか、
思い知らされる日々。
いつのまにか、
楽しく歌うはずがかなりストイックになっています。
・口の開け方
・体の使い方
・音程と歌詞
・・・などなど
毎週ついていくのがやっとです。

歌う楽しさ・・・再び

いつもの先生の都合で、数回代行の先生に習うことがありました。
ストイック先生(とでも呼びましょう)に慣れてきた頃で、
正直お休みしてしまおうかと思っていたくらいです。

お休みしなくてよかった・・

楽しいのです。
歌う楽しさ、これを思い出させてくれます。

・口の開け方などは特に注意されない
・発声は響きを意識する
・久しぶりの日本語の曲
・・・・

合唱のベースを活かしてくださるレッスン。
なんと楽しいのか・・!
今までストイックになりすぎてた。
こちらの先生に代えられないかしら。

そんなルンルンした気持ちになりました。


楽しく歌いたいが、楽しいだけでは嫌だ

そして、
いつもの先生に継続して習っています。
楽しく歌いたいし、
気持ちよく歌いたい。
でも、それだけでは嫌なのだと思うのです。

私の中で合唱で歌っていたあの時期は
決して楽しいものではありませんでした。
楽しいポップスを歌うチャンスもなく、
駅前で歌ったクリスマスコンサートでのリクエストは、
おなじみの楽しいナンバーのはずなのに、
どことなく冴えない曲に仕上がっていたのを覚えています。

どちらかというと、
この曲を届けたい
という使命感のようなもので歌っていたのですね。
楽しんでいいのに。


そしてまた歌を極めたくなってしまう

もうコンクールに出るわけじゃないんだから、
委嘱曲を歌うわけでもないんだから、
おとなになっての趣味なんだから、
楽しい方に行けばいいとはわかっているのです。
でもなんとなくそれだと物足りない。

美しく慣れ親しんだ日本の唱歌を歌ったり、
気持ちよくのびのびと声を出していた方がいいのでは?

それなのに
自分の言葉になるのはいつになるかわからない
イタリア語やフランス語で歌ったり、
口の開け方や舌が上がってきてしまう度に意識するような、
どこかで披露するのかもわからないのに高音を美しく出す訓練のレッスンを選ぶ。

根っから
楽しむことに慣れていない性分を備忘として残しておこうと思います。