独り言。 優しさ。

優しさってなんだろう。

パッと思いつくのは、

誰かのかわりに嫌なことを引き受ける。
みんなが嫌がることをする。
誰かが嬉しいと思うことをする。
気が利く。

こんなところだろうか。
もちろんこれは表面上でしかない。

では、本当の優しさってなんなんだろう。
面接で、獅子の子落とし、の話を聞いた。
確かに、厳しいが、それは愛であり、優しさでるだろう。必ずしも甘いことが優しさではないばかりか、優しくないからこそ甘くする場合もある。本当の優しさは目に見えないものなのかもしれない。一見厳しく見えるものこそが優しさなのかもしれない。

ここで自分自身を考えてみた。そういう意味で僕は優しくできているだろうか。答えはノーだった。いわゆる僕が定義する表面上の優しさだった。そう気付いてから、後輩に厳しく、というよりも丁寧に、真剣に向き合うことにしている。僕は厳しくは向いてないことに気づいた。人を怒ろうとすると、とても心が痛い。

丁寧に、真剣に、向き合うことも優しさではないだろうか。どうでも良い人の話や質問は、深く聞かなくても、なんとなく正しいと思うことをいうこともあるだろうが、真剣に向き合う人には、その人の事情や、なぜそう悩むのかまで深く考える。浅い回答では物足りない。

そこで、優しさとは一方的なものではなく、相互的なものであると気づいたのだ。優しくされたい、優しくしたいというよりも、あなたが自分に真剣に向き合ってくれるから、優しく、話したい。そんなものではないだろうか。

優しさと真剣に向き合って考えた結果。
相互的な感情によって生まれるものだと気付いた。これが真の優しさではないだろうか。

もちろん、初対面の人にも好かれたい。
好かれたい気持ちもそこに関与する。人間の感情は複雑だが、優しさとは、案外コミュニケーションさえ取れれば容易いものではないだろうか。

最初にあげた思いつく優しさも
〜さんは仕事を頑張ってるから嬉しいと思うことをやる、というようになると、真の優しさではないだろうか。

では、なぜ、そんな簡単なことを人は出来ないのだろうか。そこを、ずっと疑問に思う。人は感情が複雑だ。

そして、こんな風に優しさについて考える僕は、たぶん優しくない。


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