人間失格
人間失格
「恥の多い生涯を送って来ました」
「弱虫は、幸福さえおそれるものです。綿でけがをするんです」
「世間とは、個人じゃないか」
「愛情もまた、自分にとって深すぎました」
「恥の上塗りをするだけなんだ」
「自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした」
「神に問う。信頼は罪なりや。ヨシ子が汚されたという事よりも、ヨシ子の信頼が汚されたという事が、自分にとってそののち永く、生きておられないほどの苦悩の種になりました。」
何をやってもだめな育ちのいい男の人がどんどん堕落していってどうにもならなくなる話
人間の命題みたいな物語
クソデカ感情になる、何回読んでも
人間が分からずに、不信、恐怖から苦悩しながら仮面を演じ、後半には信頼を求めたが、世の中にはそれを汚され、最終的に狂人、人間ではないとレッテルを貼られる
人間とは何なのか
後半はどんな感情読んだのか分からなかった、自分の感情と本の中の感情がごっちゃになる
クズ
実際にこんな人間に関わるのはたまったものじゃないけど
消化ならない気持ちの救いを本に求めてしまうあたりは共感できるかなと思うけれど
わたしの心があんまり健全でない時に読んだ、読んでしまったから、より親近感というか、興味深く読むこともできてしまった
自分の汚い部分を覆い、仮面をかぶって人間同士は付き合いを行う
その欺瞞性を受け入れらず、「ひょうきんもの」という仮面をかぶる主人公
でも、その無理はだんだんと歪みを増していき、肺を病み、精神病院にぶち込まれ、人里離れた田舎で住むしかないという結末を迎える
葉蔵は、栄養も良く、顔も良く、交流もあり、才もあるので、相応の活動ができ、少しも衰弱するということはないのに、自分の出来ないことを深追いし過ぎて苦悩する
出来事に対して有効なことを思わず、失ったことや失われるであろうことを思ってる
自分の立ち位置に満足せずに無駄に悩む
人の目を異様に気にするから相手に合わせた行動しかとれない
だから、自分を蔑ろにしてしまう
意思を持たず、何かを成そうという気概もなく、流れるままに生きて、酒や薬や自分の演技に溺れるしかない
本当に生きづらそうな性格
おかしいのは主人公か、それともこの社会なのか
対面したらだるい人間ではあるが、内面の気持ち悪い部分をわざわざみせてくる有象無象のファッヘラとは違う
それは魅力とかカリスマ性とかじゃないけれど
葉蔵は太宰治の分身?
色んな所で似ているが、これだけ赤裸々に自分の事を曝け出せるって怖い
普通は隠してしまいたい事だと思うし、いくらでも美化して書ける
刹那的に生きて来たのは、太宰治に憧れた私じゃなかった
太宰治に憧れて、そして畏れていた自分に再会した
ここまで、醜いほどに人間として生きている人は他にいないのでは?と思った
ただ、彼の立場に立ってみると、生きるのには辛すぎるな
今の時代に太宰がいたらHSPとか何か名前を付けてもらえてたのかな
賢くて繊細で、周りがよく見えていたためにずっと生きづらさを感じていた
幼い頃から道化を演じ、演じなくてもよくなった頃には酒に溺れやっぱり素ではいられない
酒をやめたくてモルヒネに手を出し中毒になり、狂人扱い
どんどん狂っていったのではなく、自分の弱さを認めてはいたが受け入れられず、ただただ怯えていただけのように思う
人が怖いけれど、人恋しくて女の元に転がり込んで酒に溺れてさ、悲しい
葉蔵は自身を人間失格と思っているが、欲に溺れ狂人であることが失格を意味するの?なら合格の人はいる?そんな人はいないと思う
どれほどの善人だろうと悪人だろうと「人間」でありそれ以上でも以下でもない
人間の醜い部分が現れているだけで、それは人間ならば誰もが持つ一面だと思ってる
孤独で辛い小説で、ストレートに、生きる希望や勇気が湧くような作品ではないけど、きっとずっと忘れない
読めば読むほど苛立ちも怒りも湧くけど、共感も湧いてくる
世間とうまく折り合っていけるのが人間、合格か考え続ける必要がある
ありがとう
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?