大人の別れには、さよならがないから
小学6年生の春、3月に入ると、みんなで日めくりカレンダーを作って教室に貼った。「卒業式まであと何日……」をカウントダウンするためのものだ。
一緒にいられるタイムリミットがわかっているから、寄せ書きや手紙をいっぱい書いた。「別れの節目」があるのは、とっても貴重なことだったなと、最近になって気づく。気持ちを言葉にする努力をするからだ。
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式の当日にもらった手紙の便箋は「好き」と「ありがとう」でいっぱいだ。
一生懸命なところが好き。毎日一緒に帰ってくれてありがとう。実はマイペースなところも好き。6年間仲良くしてくれてありがとう。友だちになれて本当によかった。
二度と会わないかもしれないと知っていたからこそ、出てきた言葉だと思う。
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大人の別れには、さよならの儀式がない。
なんとなく次の約束をするきっかけがなかったり、たまたま都合がつかなくて延期してしまったり……。特に理由もなくそのまま会わなくなることは、意外によくある。
ふと思い出したときには、もう簡単に行けない場所にいたりして、気づかないうちに(たぶん)永遠のお別れを済ませていたなんて、やっぱりちょっと悲しい。
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だから、会うたび別れ際に、ありがとうと好きを思いきり伝えてくれる人を尊敬する。いつか会えなくなっても、私はきっとそのことを覚えていられると思う。
手紙や寄せ書きは読み返せるけど、記憶はだんだん薄れていく。そして何度も聞かないと、案外あっという間に忘れちゃうものなのだ。
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大人の世界には「仕方ないこと」がたくさんあって、さよならを言えずに済ませた別れも、その1つなんだろう。
でも、だからこそ私も、思ったことは何回でも言っておきたい。卒業やクラス替えがなくても、ずっと一緒にいられるわけじゃないのだ。
会えなくなった友だちが、「あの子は私のことが、とっても好きだったよな」と、いつかふと思い出してくれたらいいなーと思う。
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