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いいねもコメントも欲しいから、わたしは今日もnoteでエッセイを書く

わたしは昔から、熱しやすく冷めやすい。noteだってはじめた当初は毎日更新しようと、それはもうがむしゃらに頭の中を整理しながら、ネタをかき集めながら、必死に書いていた。一度更新が途絶えてしまってから、わたしはサボることを覚えてしまい、noteに対する思いが冷めていってしまった。

書くことが好きだったはずなのに。書きたくて書きたくてどうしようもなかったはずなのに。気付いたら、いいねやフォロワーの数、毎日の連続更新に気を取られてしまって、書くことを楽しめていなかったようだ。

だって書くのが好きなら、毎日更新だってしんどくないもん。いくつも記事をストックして、画像を選んで、夜投稿すれば良いんだから。わかっているのにできないのは、やっぱり書くのが楽しくなかったのだろう。

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少し時間が空いたわたしの文章力は、やっぱり落ちていた。書くことが大好きだったときの文章を見返すと、「あ、わたし、良いこと言ってるじゃん」なんて思うこともあったけど、最近の文章はそれがめっきり減ってしまった。

エッセイを通じて何が言いたいのかわからない。この文章にどんなメッセージが込められているか読み取れない。そりゃそうだ。作者が迷走してるんだから、読み手がわかるはずもない。ただ、がむしゃらに文章を書く時期は終わって、何かを伝えようとする時期に入っていたはずなのに、わたしの文章は逆戻りした。

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小さいとき、わたしは歌が下手だった。音痴だった。今も決して自分では上手いと言えないけれど、自信を持って歌えるのは人前で歌う前にちゃんと練習をするから。

だから、カラオケで採点ゲームをしても、大体92点は超えてくる。調子がいいと98点を取ることもある。みんなわたしに「歌上手いんだね!」と言ってくれる。わたしは謙遜しない。純粋に嬉しいから。

純粋に嬉しいと思えるのは、わたしがちゃんと練習しているからなのだ。


音痴だったわたしを心配して、小学校1年生の時に担任の先生が母親を呼び出して「あなたの娘は音痴です」と言った。その後、音痴の直し方を教えてくれた。「必ず直ります」と、一言添えて。

毎日毎日、わたしは音痴改善のために練習をした。浜崎あゆみやEvery Little Thingの曲をひたすら聞いて、歌って、合わせて。歌手になる夢を見ているわけではないのに、毎日練習していた。そして、わたしは音痴を克服した。

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今でも歌うのは好きだ。でも、人前で歌う時はちゃんと選曲をする。がむしゃらに歌えばいいってもんじゃないし、自分に合っていない曲を歌えば下手くそなのは知っている。わたしが上手いのは、ちゃんと考えているからだ。

どの曲が自分に合っているのか、どの曲なら歌いやすいのか、どの曲なら気持ちが乗るのか。ちゃんと分析して、今の自分に合った曲を選ぶ。だから高得点が出せる。

「それじゃあ面白くない。好きな歌を選ぶ方が楽しいじゃないか」という人がいるかもしれない。だけど、それじゃあわたしの小さなプライドが許さない。わたしは、周りから「歌が上手い」と言われたい。毎日頑張って練習した成果を、他人にも評価して欲しい。

評価は自分でするものではなく、他人がするものだから、わたしは、わたしのベストを見せたい。

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文章だってそう、こうしてインターネットに挙げているということは、評価されたいから挙げているのだ。自己満足なら、紙の日記帳に今日あった出来事とかその日思ったことを、誰にも見せないように自分のためだけに書けばいい。

だけどわたしは、noteを選んだ。いいねもコメントも、欲しい。できればTwitterで紹介して欲しい。

そのためには、ちゃんと練習をしなきゃいけない。歌と同じように、文章も毎日書いてなきゃ腕は落ちる。現に落ちているのが目に見えてわかる。


わたしは、今日もちゃんと文章を書く。早く自分の好きなエッセイが書けるように、落ちた文章力を取り戻す。一週間後、一ヶ月後、一年後、未来のわたしを救うために、わたしはわたしのエッセイを書きたい。

そして、それがいつか誰かを救うエッセイになってたら、最高だ。

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