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雑文 #126

前回の雑文に「私はワールドミュージックとくるりだけでいい」というようなことを書きましたがその翌日の昨日、ジャズを観に行ってきました。
ジャズもワールドミュージックだということにしといてください(笑)

大西順子さんのピアノトリオでした。

初めて観ましたが、細い体でパワフルな演奏。超絶ピアニストでした。

ベースの井上陽介さんが(あれ、タンテの井上さんと同姓同名⁈)、エモーショナルで素敵な演奏をされていて、ついそれに目がいってしまい(大西さんが見えづらい位置だったのもありますが)井上さんの直線上にいた私はちょいちょい目が合ったような気がしてときめきました。

盛んにアルバムの宣伝をしておられたし、大西さんもサイン会をするというので演奏後お話ができそうだったけど、私はすぐに帰りました。
CDを買うお金を用意してこなかったし、タクシーは使わずバスで帰りたかったからです。
でも最終バスも行ってしまっていたので私は一時間以上の夜道を歩いて帰りました。
まあダイエット中だしいい運動だ、と自分に言い聞かせながらとぼとぼと。

前回の雑文に、私がくるりを好きになったいきさつを「さておき」しましたが、つまりこういうことです。

私は挫折してからロックを聴くようになりました。
ロックが要らない体質だった頃の私は、私自身がロックだったと思います。
とくに10代が一番ロックだったと思います。
自分の中にロックがあったら、ロックは聴かなくていいのです。

昨日の客層は、20代の頃行っていたライブの客層と似てました。
だいたい私より年上です。
ライブ内容も似てました。
技巧的で、レベルの高い演奏。よく通る声や楽器同士の共鳴。溢れるリズム。高揚感。質の高い音楽です。

私は大人だったのです。

挫折する前の私だったら、昨日、終演後飲みながら盛り上がって、帰りはちゃっかり誰かに送ってもらうとかしてタクシー代を浮かしてたと思います。
なんか、イヤな感じですが、なんか、妙にその図が浮かぶのです。

あの頃私はもっと大胆で、楽しむことに貪欲で、いまみたいに懐疑的ではなく、自分がほしいものやしたいことが手に入らない葛藤など抱えていませんでした。そんな気がします。

そういう人にはロックは必要ないのです。

他方、ロックでは悩み、こじらせた思いを歌詞に込め、叫び、発散する。
弱い自分や弱い他人に優しく、強いものに逆らう。
うまくいかないもどかしさ。微妙な気持ち。言葉や気持ちの裏側にあるもの。
不安な未来。かすかな希望。すがりつきたい気持ち。
失敗。毎日すり減り、それでも生きてこうとする心。

そういうものを音楽に求めるようになったということだな。

#ロック #ジャズ #音楽 #雑文 #日記 #散文

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