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日本の照明は明るすぎるのか?問題2

もももろうです。
こんにちは。

「日本の照明は明るすぎるのか問題1」の続きでございます。
引き続き、読みに来ていただいて本当にありがとうございます。

今回も笑いなし!涙なし!光あり!な内容でお届けいたします。
どうぞごゆっくり、どうしようもない暇が出来たらお読みください。


さて、なぜお客さんと照明のプロの意見に差が出てしまっているか。
そして、それがなぜこんなにプロの意見が浸透していないのか。
おおむね4つそれを解く鍵がありそうです。

もうこれだけでおおかた理解していただける人もいるかも知れませんが、では、その次にどう考えるか。ここが日本人が疎かにしがちな本来大切な部分なのかなと、私なんかは思います。

照明文化と言えば北欧、西欧など、イメージは皆さんもなんとなくあることでしょう。
彼の国のことは照明関係の仕事に携わっていれば必ず比較・考察する重要な部分ですので、併せて言及していきたいと思います。
では、少し具体的にお伝えしていきますね。


「日本人、眩しさに強い問題」

まず最初は、読んで字の如くでございます。
これは照明についてということではないので、ご存じの方もたくさんおられると思いますが、我々日本人の持つ「虹彩の黒い目」というのは、欧米や西欧の人々の青や薄い茶色に比べ、光にかなり強い。

よく海外の方がサングラスをしておられます。
あれは単純に色素が薄く、我々よりも光を眩しいと感じてしまうから。
日本人は欧米人より眩しい光を取り込む事ができ、明るい中でも視認性を保てるのです。

面白いのは、暗所では欧米人の方が目が効くという点です。
その行動や生活環境を見ていると、暗い方が好きなのかな?と思うほど。
ヨーロッパの方へ行くと、毎度毎度、宿泊施設がとにかく薄暗くて不気味だとさえ感じました。エントランスからロビー、通路、そしてもちろん部屋も。
場所の分かりにくい照明のスイッチをやっと見つけて点けても、あれ?どこが点いた?とランプを確認するくらい暗い。
ただでさえ曇りが多い土地なのに、建物内までこうも暗いと、長くいつづけると心が不安になりそうだと思ったのはよく覚えております。

眩しがり屋さんの彼らは、外はもとより、室内でもやっぱり少し暗いほうがお好みのようです。

子どもの頃、暗い場所で本なんか読んでるとお母さんに「目が悪くなるで!」とよく注意されたものですが、向こうでは明るい光のもと読書すると注意されると友人から聞かされました。

そうです。暗い暗いと書きましたが、それはあくまで日本人である私の黒い目でみて感じた表現。
彼らにとってはそれがスタンダードで、心地よい明るさなのです。


「日本人、育った環境が違うから問題」

これは「眩しさに強い問題」の所以というか、さらに根本的な部分でもありますが、日本とは風土や気候が全くもって違うのです。
特に照明器具で有名なヨーロッパ/スカンジナビア地域など緯度の高い国というのは、太陽が上がってもかなり低い。太陽が低いということは、当然、空が暗いわけです。
さらに天気が悪いことが非常に多い。
出張中、旅行中に一度も太陽を見なかったなんて事はざらにございます。
皆さま、旅行の際はどうぞ良くお調べになって是非シーズンに!


また、この辺りはブルーモーメント/ブルーアワー/トワイライトと呼ばれる時間がふんだんにあります。なんだか言葉だけで素敵ですね。
これが何かと言いますと、日没から始まる青い時間の事なのです。


陽が落ちれば当然太陽は水平線の下に沈みますよね。
でも、そのすぐ下に太陽はまだいるんです。
なので空は少し明るい。

この水平線のすぐ下に太陽がいる間、それは見えず、しかし空は明るい。
この時間の長いこと長いこと。
夏の或る日ならば、日没が20時頃(この時点で既に遅い)、そしてここからブルーモーメントが4時間程度続きますので、なんと24時まで!?

しかもこの現象、日の出前にも同じく4時間起こる。という事はヨーロッパの夏の日の出が4時頃(これは日本とあまり変わらないですね)として、その4時間前となると、あれ?0時!?
繋がってるじゃないですか!?

つまり、日没から日の出までエンドレスブルーモーメント。
私はこの最も長い時期にはいけてないのですが、これは本当に現地で一度体感してみていただきたい。
非常に不思議な気分になります。


ちなみにこのブルーモーメント。日本の言葉では「薄明(黄昏)」と表現されます。
これもなんだか素敵ですね。
黄昏といえば、今大人気のあのキャラ。かっこよくて素敵ですよね。
前項から、ちょこちょこ漫画やアニメネタ入れてきて、分からない人すいません。

余談ですがこの薄明(黄昏)の時間というのは、明るさが絶妙すぎて2種類ある視神経がちょっとわたわたして(雑な説明)ものが見えにくい状態になります。

皆さんもこのタイミングに不意に目が悪くなったなぁなんて思った事ないですか?
人によっては、脳への信号がうまく伝わらず、気を失う直前のような、蜃気楼の中にいるような感覚に陥る方もおられるようで、倒れないよう気をつけて下さいね!


なのでこの時間は人の顔が見えにくい、、おや?誰でしょう彼は?誰でしょ彼、だれそ彼、たれそかれ、たそがれ…これ本当なんですよ……ん?
そうか!顔が見えない、実態が掴めない、正体不明のスパイやから彼は「黄昏」って名前なんやー!!そういうことかー!!
いや、漫画の考察はいいんですよ、今。

話を戻しますが、日本では太陽はあっという間に沈んでしまいます。
細かなことをいうと、現地のそれをブルーアワー、日本の場合はこの短さゆえブルーモーメントと呼ばれていたりします。

「最近は日が短くなってきて、いよいよ冬っぽくなってきたなぁ」なんてよく友だちや家族や、場合によっては犬なんかと話しますよね。
しかし、ヨーロッパの方からすれば、日本の夏冬の日の長さの違いなんて誤差レベル。
「ドコガヤネン!」と言われてしまいます。
いや「ナンノコトヤネン!」程度にしか思われないかも。


この薄明時の魅力を、彼らのようにゆっくりしみじみと味わうことは日本では到底叶うものではありません。

「そろそろ点ける?」
「まだ良くない?」
「そうだね。もう少しこのまま」
「ちょうどいいわ」

なんて、サマになっちゃうような会話がなされる。
ところが日本なら

「くらっ!」
「ええ、もうこんな時間やん!はや」
「ちょっと電気つけてつけて」
「よっしゃ、仕事の続きすんでー」
となる。
流石に悪意ありますかね。でも、大体こんな感じじゃないですか?


ここで一つ興味深い話があります。

我々がよく季節の訪れを感じるものの代表格に「虫の声」というものがございます。
これ、実は海外の人には聞こえない。
というと、語弊があるので言い換えますと「虫の声」としては聞こえず、ただの「雑音」として処理されているそうです。

日本の四季は非常に多彩です。そしてそこに身を置く私たちには、意識的に虫の声に聴き入る環境がある。これがいわゆる文化の違いなんです。

光に対しても似たような事が起こっているわけです。
太陽に恵まれた我々日本人は、太陽の光が少ない土地で暮らす彼らと比べると、そもそも光というものを潜在的に意識することがあまりないのです。


「日本人、照明に関心薄い問題」

光に強く、年柄年中太陽の恩恵を受ける我々日本国民は、光の強弱や照明の使い所に関心がない。いや、意識する機会がない。
照明というものはそもそも、生活において不足する自然光を確保するための装置です。そこに先程お話しした眩しさに強いという特徴が重なる。

足りないならめいっぱい照らそうよっていう発想で解決する。
まさにお腹減ったからいっぱい食べようよ、の精神です。
ノット エレガントッ!


つまり、光の使い方や尊さは勉強しないと知る機会がない。
しかし、上で言及した通り、潤沢な自然光を長時間享受できる日本の環境と、身体的な特徴ゆえに勉強する必要がない。
英語みたいなものかも知れません。喋れなくても困らない。
喋れると人生が豊かになる機会が増える。


でも、照明演出には英語みたいな万能感も汎用性も全然ないし、重ね重ね申し上げますが知らなくても困らない。
日本人にとって、光の使い方というのはもはや「教養」のジャンルな訳です。
昔の人たちの教養といえば「楽器」「歌」「茶」「花」…
ほら!「明かり」「光」入りそうでしょ?


文献なんかをみると「我々日本人は古来より光を享受し、陰影に美しさを見出してきた国民である。全ての元凶は文明開花のおり、海外に派遣された数名が受けた異国での明るく鮮やかな夜の衝撃を受けたことに端を発する。あれ以来、日本人の頭には明るさこそが富の象徴、豊かな証だという意識が色濃く残ってしまったのだ」という意見を述べるられている方もおられますが、現代においては、光が富の象徴だから煌々と明かりを点けるという発想はもはやないでしょう。それよりも、ずっと先人の過ちみたいに扱わないで欲しいなぁなんて思いますし、今を生きるわたしたちがポジティブに次の未来のために開拓すべきことではないでしょうか。と、自分に言い聞かせておきます。


今まで明るい方がいいと仰ったお客さんは皆、ただ明るい方が好き・気持ちよく暮らせるという単純明快な理由の方ばかり。他人の好きに理由をつけることほど野暮な事はないなと思っているのですが、きっとそれも人間関係とかでよくある経験や興味の違いのようなものでしょう。


この「日本人、照明に関心が薄い問題」に関しては、我々照明に関わる人間がその価値を浸透させられていない事をあらためて省みる必要があると考えています。
日本人が照明に関心がない理由は、他ならぬ照明に携わっている全ての人間の責任だと考えているからです。
それ間違ってますよ、とか、これが正しいんですよっていう一方的な姿勢では、人はなかなか耳を傾けてはくれないのです。


ただ文明開化もそうなのですが、日本における照明の変遷は、他国と比べてかなり目まぐるしいようで、そういう意味では日本の照明文化は折り重なっていかず、ヨーロッパにおけるそれとは比べ物にならないほど未成熟であるとは思います。


「日本人、やっぱりミーハー問題」

こう言ってしまうとややトゲがあるのですが、やはりおしゃれに暮らすネイティブな海外の人に強い憧れを持つ方は多いです。
そして照明というものをライフスタイルに取り入れることが、幸せに繋がることは照明業界の人はもちろん、インテリアに興味がある人ならば気付いている部分。

ただし、雑誌で紹介されていて憧れた、素敵だった。旅行でいった時にその美しさとシンプルさに惹かれたという一時の感情だけで他国の感覚を取り入れようとすると当然暮らしに支障が出る。
「あれ?暗いな」と。

おしゃれは我慢なのよ!と、とあるファッションアドバイザーさんが仰ってました。
なるほど。このムーブをファッションと捉えると、多少の不便も納得ですね。
ナチュラルボーンライフスタイル派かファッションライフスタイル派というところでしょうか。どちらもいいし、いて当然ですよね。
自分がどちらなのか言えるとなんだかかっこいいですね、堂々としてて。


ただ、前者の主張でかつ北欧・ヨーロッパ推しの人は、国の文化を体感している前提なので、その土地に何年か住んだ事があったり、現地の人との深い交流がなければ、説得力はありません。そうでなければ、どんなに北欧を語ってもそれはやっぱり後者。言い方は少し強くなってしまいますが「日本人、やっぱりミーハー問題」を利用したビジネスでしかありません。やっぱり北欧っていうと売れますから。
そういう意味では、後者で北欧大好き!という人の方が自分の好きに素直でかえって好感が持てたりします。

緯度の高い国から日本に来られた方は「日本って眩しいね」ってよく仰います。でもそれは当然なので、私の国おかしいかなって過剰に反応する必要はないのです。
日本人は海外の人にはっきり意見されるとハッとなってしまいがちですが。


彼らに「快適だね!」って言ってもらうためには、日本人に「暗いね」って言わせる事になるので、やっぱり芯の部分でしっかり自分の主張があるといいですね。

ポール・ヘニングセン、ヨハンソン・パッペ、アルヴァ・アアルト。
照明業界の名だたる巨匠とそのプロダクト。

計算された光の反射角、光量、光色、そして空間における主張など、自身の魂と対話するように生み出されたそれらを、我々日本人が本当の意味で享受出来る事はないと、敢えて言い切らせて頂きます。
さらにいえば照明に関わりのない人であれば、魅力として捉えられるのは、つまるところ意匠とブランドが9割を占めるでしょう。

彼らが切実に、執拗なまでに追求した自分たちのアイデンティティは、他でもない彼らの愛国心、そして人生の賜物。私が惚れ惚れするのはここです。

もし皆さまがどこかで巨匠の照明をご覧になられたときには、ぜひ一度、そんな事を考えながら見て頂けたらと思います。


最終的な私の考え

では、照明業界にいる立場で、この問題についてどうすればいいのか。

まずは日本の過去から今日に至るアイデンティティの変化を知る。
大事にしたい部分、見失っている部分、それを念頭に、感情を抜きにして冷静に現状に触れる。
結局、こういう事って全てにおいて大切になってきます。


ヨーロッパの人は暗くて何ならキャンドルが好き。あったかいですからね。
向こうはお国が寒いこともあって、明かりと温もりが直結します。この2つの親和性が非常に高いのです。

そして、日本人は今のところ明るくて、白い光が好きな傾向にある。
これに留意した状態で、その人が知らない考え方を提案していく。
押し付けるのではなく、あくまで気付いていってもらわないといけない。

だって例えば、辛いのが好きな中国の人に、美味しさとは旨味なんだよって諭すのはなんだか違うでしょう?
こんな味も実はあって、こういう効果があるんだよってお薦めるするのが理解を深めるという事なんじゃないかな、と思います。

日本における照明のあり方を見直したい我々は、言葉を慎重に選ばなければならない。
日本の照明の明るすぎる問題は、言い換える必要があるのです。

つまり「日本人は光に対する扱いが雑だよね問題」ということです。

…ん?これでいいですか?どう?なんかしっくりきます?これ。何よりわたしの言い換えの方が雑ですか?

まあともかく、だから光の使い方を考えていきましょう、伝えていきましょう。
ということなんですよね。

明るすぎるんですよ、って言ったところで「え?そうなの?」ってなるだけなんです。
「ちょうどいいよ?」ってなる。
だって、すぎることがよく分からないんですもん。


一言目に、日本はやっぱり明るすぎっしょ。とか、夜は電球色でないとダメっしょ。なんていうと、相手が有識者であればあるほど、こちらがただの北欧かぶれと思われてしまう。実際にそういう人は業界にもおられます。


なのでこの問題に対して、私が言いたい事は「ああやねん、こうやねん」とか「そうやねん、違うねん」ということではなく、改めて光というものを日本の文化としてちゃんと考えてみませんか?という事。


いや、間違えました。
考えていくので、皆さま是非とも応援お願いします。
そして共感頂けたら、一緒に高め合っていければと思っています。


長々語らせて頂きましたが、私の個人的な考え方としてはこんな感じでございます。
誰か最後まで読んでるんかなこれ。
ともかく、そんな事で、今後ともどうぞよろしくお願いします。


陰翳礼讃!!!(この締め方、気に入りました)






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