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地面を削っています

古民家の縁側部分と座敷の半分くらいを取り除いて地面が出てきました。そこに石と土の構造物があらわれまして、まるで私が作ったパン窯のようで、個人的にその既視感に衝撃を受けました。前回の投稿に写真を載せています。

上の投稿を見た方から、この構造物は養蚕用の「掘り炬燵」というものだろうと情報をいただきました。

いつ頃のものだろうかと気になってググっていたら、この地域に養蚕を普及させた偉人を紹介した動画にたどり着きました。

相田嘉三郎。安政元年(1854年)ー大正10年(1921年)。

彼はこの地方に最も適した養蚕法を発案し、それを記して印刷して、岡山県下、広島県東部〜島根県西部に無料配布し、また伝習生を派遣し技術を普及させた、とのこと。

また、1917年に出版された『大日本蚕業家名鑑』によると、岡山縣、後月郡のページ、西江原村 相田嘉三郎氏の隣には、靑野村 三宅推一氏というお名前もあります。現青野町にあるこの古民家の(先日まで現存していた)「掘り炬燵」は、直接は三宅氏の指導によるものだったかもしれませんね。

大日本蚕業家名鑑  正 (著者 扶桑社 編 出版者 扶桑社 出版年月日 大正2-6)

というわけで、すでに跡形もなくなった「掘り炬燵」のその下、この古民家を建てる際に削ったであろう地面、その続きを、私は更に削っているわけです。感慨深いものがあります。歴史を未来に向けて掘り(削り)進めている、というわけです。人類の営みとはそういうものでしょう。なんつて。

↑地面を削っている動画です。わかるかな…?畑を耕すのとは違って、ほぼ石です。割れやすい石。唐鍬でカツン、カツンとやっています。きれいに平らにするのはなかなか時間がかかりそうです。

けっこう大きな凹凸があります。とても硬いので、この古民家を建てたとき(明治初期)もきっと苦労しただろうなあと思います。まさか、握っている唐鍬もその時のではないだろうな。ともあれ、ご先祖様から引き継いだ地面削り、もう少しがんばります。応援よろしくお願いいたします。

この投稿は「製粉所を作ろう」というクラウドファンディングの一環です。励みになりますので、よろしければ、クラファンへのご参加をよろしくお願いします。

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引き続きご支援の程よろしくお願いいたします。

百種ファーミング
仁城恵(ちり子)
仁城亮彦(ガス夫)

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