道を行く今この瞬間が楽しいって感じられた☺

怒りをたくさん感じて理解できるようになったことは

私にはこんなことする人の気持ちは分からない!(分かる気もない)

って私を激昂させたり、戸惑わせたりする人たちも

いてもいいよ、ということ

あきらめた!降参です

戦わなくていいし、排除しようとしなくていいわって


恐怖

自分がそれをどうすることもできない

阻止することもできない
なくすこともできない

今までに感じた恐怖を
これから感じるかもしれない恐怖を


傷を負わせる者(物)を
苦痛を与える者(物)を

いてもいいよだなんて

すっっっごく怖かった!

それは「悪」をゆるすということで

人間社会のタブーに触れてしまう…


苦しみに苛まれている人に向かって

それは魂には必要だったとか

体が体験することは実は何ともないだなんて

それはきっと言えないし

言わない


見えない世界を受け容れる者としても

「幻想」に対して

寛容になるということだ


だって痛いもん
苦しい
怖い

頭の中の残像が、残響が
体を凍らせるほど
怖い


私が感じていることは私にしか分からないし

あなたが感じていることはあなたにしか分からない

あの人が感じていることはあの人にしか分からない


痛いなら堂々と「痛い!」って言ってもいい

苦しいなら堂々と「苦しい!」って泣いていい


テレビのニュースや、CMだったかもしれない

親が、先生が言ったりしたりしたことかもしれない


何ともないこと

他人事

お友達は笑うかもしれない

大人はそれは当たり前に受け容れるべきことだと諭してくるかもしれない


子供の頃、公共広告がめっっっちゃ怖くて(おなじみのACさん 笑)

これが常識で、この恐怖は克服すべきなんだと自分に言い聞かせてたけど

今頃、実はあれ、私には結構大けがだったんだなあ…

ってトラウマを見つめてる(笑)


人間社会は悪意に満ちていて、気をつけないと(気をつけていても)痛い目に遭うよ…

人は怖いもので
この世は怖いところ…

ショック(絶望)

あー地球も終わるんや…って
いつも心のどこかに「世界の終わり」っていうのがあったみたい(笑)

とんでもないとこに来てしまった(絶望)

これが私のインナーチャイルド初期の傷です


今のところ、こういう「恐怖の痛み」はなくならないと思うけど

それでもいいやって軽く受け止めている


「私にとっては」痛みも苦しみも
有難い贈り物です

一歩間違えると「痛みを与える側」になりかねない、ぞっとするような人間機能

嫉妬、攻撃性、狭量さ、誤った理解

それも感じられてよかったと

やっとそう本当に思えるようになってきた

まだ綱渡りしてるみたいだし
未処理の爆弾を抱えてるみたいで
心臓はばくばくだけど…

うん、でも、それでもいい


私はそうやって人間や創り出されるものについて、深く知りたいんだと思う

命がけ、此岸の命以上の存在をかけてる

「完全な善」に到達できないんだろうけど、それでもそっちの方に向かっていくことは

やめないよ、きっと


きーって激怒してわあわあ泣いても

それでも、何とか光は、救いはないかなって投げ出さないから

その度に小さなほころび、世紀の大発見、ビッグバンがあって

かたつむりのように進んでいく


すごろくの「10マス戻る」みたいなことがあると

気持ちが萎えるし、すべてを破壊したくなるけど(10マスを十無量大数マスくらいに解釈する 笑)

それでも泣く泣く、もくもく何かしてみたり、しないでみたりしてたら

芋虫が葉っぱ食べ尽くして大きくなってた!
みたいなこともある


この世は

きれいなものは汚くなるし

次の瞬間には崩れてしまうし

台無しになってしまう

それを繰り返すことしかないって

何しても悲しいし、虚しくて

もう何にも創れないって泣きながら悪あがきしてて

その課程はとても辛かったけれど


その不完全さや脆弱さの世界でそれでも完璧を目指して、上がったり下がったりしながら

調和を、美を、平和を、超越を

生み出していくそのプロセスをも含めた「作品」を創り出していくことを

私は真に愛しているのだと
やっとクリアに気づきました


そうそう、だから私は美を、芸術を
愛しているのだった

やっと戻ってこれました!

そして、今まで感じていたことはすべて正しかったのでした


こうして地に足がついたら、今この瞬間の希望に気づきました

エミリー・ディキンソンの詩に出てきたみたいな

羽毛の生きものが
私の魂にちゃんといたのです!

ありがとう

こうしてまた創ることが楽しくなってきたのでした♪


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