見出し画像

髪を振り乱して自転車に乗る母

以前、上司が美しさについて
子供を乗せて一生懸命に髪を振り乱して自転車をこいでいるお母さんは美しいんだ。。と言った。
当時私は25歳で、まだまだ母になることも想像していなかったし、
そんな話を聞いて、はいはい〜そうだよね、頑張ってる母はみんな美しいよねって受け止めた。
けれど本心は 私はそうはなりたくない、だった。
乗るならもっと余裕をもって自転車に乗りたい。
それが私のありたい姿だった。

それから10年以上たち、私も母となり保育園の送迎で自転車を使うようになった。
電車勤務の私は時間と場所上、選択肢は自転車だけだった。
いつの日か、送迎時に美容院のガラスに映る自分の姿を見て、絶望した。
髪を振り乱した母になっている自分に。

なぜか?

••••それは自分の母がそうだったからと気づいた。
と、同時に私は、あの時を思い出した。


時はバブルで、1980年代
幼稚園児だった私。
TV番組、おはようナイスデイが始まった5分後にバスが来る。
オープニングを観た後に家を出る。
そのオープニングで
今でも鮮明に覚えているのは、
ジュリアナ東京で裸に近い刺激的な服装で踊っている女性達の姿、刺激的な音楽。
マイクで興奮している実況リポーター。
ギラギラした内装。
口をポカンとあけてみている私。
私もいつかあそこで踊るのかしら?なんて。
幼稚園では、ステージでジュリアナの音楽をかけてくれて先生達と踊るのが楽しかった。

それでも幼稚園は私にとっては苦痛だった。
団地住まいだった私は10人くらいでバス待ちしていた。
お母さん達はいつもおしゃべりに夢中。
その隙をみて、私は家にこっそり帰った。
すっきり見送ったと思って帰ってきた母は、
送ったはずの我が子が家にいるのだから、大慌て。
結局その後、30分弱かけて、当時電動自転車でもないママチャリに私を乗せて幼稚園に連れていくのだ。
その時母は怒っていたかどうかは記憶にない。
ただ私はやはり行くしかないのか、
休めないのか〜という絶望感。
その時、前に必死に自転車をこいでいる母の髪は、
なんの手入れもする余裕もなくバサバサだった。

1分でも早く幼稚園に送り届けようとする母。
怒っていたかもしれないが母の表情は記憶にない。
でも私はその時間でさえ、母と一緒で嬉しかった。
母が1分1秒でも私のために動いてくれてるのが、
そばにいてくれることが、
私の中で価値があったんだろう。

そうか、私は母が好きだったのか。

そう、思い出した。

髪を振り乱して自転車をこいでいた自分の姿が
今となっては愛おしい。
私は頑張った。必死だった。
今はそう思える。

髪を振り乱したっていいじゃない
それくらい夢中に守りたい日常が私にはあったんだ。

かけがえのない人生
そう、今は思える。
美しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?