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学び方の正解はひとつではない、という話。

先日、こんな記事を書かせて頂きました。

こちら、最初は「発達障害(の中でもLD=学習障害)の子どもの学び方にヒントを」と思い、その旨を取材オファー時にお伝えしていました。タイトルにも「LD」という言葉を使う予定でした。
取材をお願いしたのは神戸女子大学・教育学科の田中裕一先生。田中先生は元文部科学省特別支援教育調査官という経歴もあり、国が発達障害の子どもの支援をどのようにとらえているかも踏まえて、さまざまなお話が伺えるかなと思っていました。

取材が始まると、最初にお話くださったのが、LDという言葉についてでした。LDのDの部分には、複数の単語が当てられるというお話です。
田中先生は『LDの子が見つけたこんな勉強法』という本の中で、LDを次のように解釈されています。

「多数派とは学び方が異なること=Learning Difference(LD)」

発達障害と診断されているかどうかにかかわらず、学校でみんなと同じように勉強しているはずなのになぜかうまくいかない。これがLD(Learning Difference)で、「決められた学び方にこだわらず、さまざまな学び方を試してみると、自分に合った方法がきっと見つかる」と田中教授は言います。

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一般的にはDisordersあるいはDisabilitiesのほうが知られているとは思いますが、Differenceと解釈する田中先生の思いが、取材冒頭でしっかり伝わってきました。医療分野ではこう捉えるけれど、教育分野ではこう捉えている。医療よりも教育のほうが、LDをより幅広く捉えている。……でも本当はさらに広く捉えて、子ども一人一人としっかり向き合っていけたらいいですよね、ということだと感じました。

田中教授:LDは発達障害のひとつとされていますが、実は医療側の捉え方と、学校や文部科学省など教育側での捉え方は異なるんです。LDの「D」の部分も、医療的には「Learning Disorders」、教育的には「Learning Disabilities」と、2つの言い方があります。

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このお話を伺った時点で、タイトルに「LD」とつけるのはやめようと思ったのでした。

ちなみに、お話する中で気付いたのですが、文科省では、学習障害を【「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算する」「推論する」といった学習に必要な能力のうち、ひとつあるいは複数の能力について習得や発揮が難しいこと】と記述しているのですが、そこには医療側の診断の有無については一切触れられてはいません。
そういうことではなく、現場で実際に、困難を抱えている子がいれば工夫をしていきましょうという話になっています。
こう診断されているからこう対応する、という答えがあるわけではなく、子どもとよく向き合って、どういう部分が苦手なのかを見極めて、工夫していきましょうというのが文科省の考え方だということです。
学習指導要領の各教科等編の解説にも、「学習活動を行う場合に生じる困難さに応じた指導内容や指導方法の工夫」というのがあるそうです。

さて、ここから無料塾の話になります。

私が運営している無料塾にも、立ち上げた当初から、発達に凸凹がある子が毎年のように入って来ています。医療機関で診断を受けていて、入塾前に教えてくださるご家庭もあれば、医療機関は未受診だけれどどう見ても集中力が続かないなとか、文字を書くのが苦手なのかなといった子たちもいます。

7〜8年前、他の無料塾の運営者たちと話しているときに、「発達障害の子は受け入れているか」という話題になったことがあります。
うちは「そこはあまり関係なく受け入れています。あらかじめ聞くこともありません」という姿勢でしたが、他の無料塾では受け入れ不可としているところもありました。
私自身、発達についてすごく詳しいわけでもなかったので、正直最初は「難しいことはよくわからないけれど、その子ができるペースで、工夫しながら学習サポートを進めていけばいいのでは?」「みんながみんな、偏差値競争で勝ち抜かなければいけないわけではないし、競争で勝つためではない勉強のやり方があってもいいんじゃない?」なんて考えていました。
まあ今も同じ考えなのですが、当時は「よくわからないので、深く考えずに」そうしてきた部分がありました。

で、いろいろな子どもが入ってきて、いろいろなボランティアの大人とコミュニケーションをとる様子を見ている中で、うちは大人たちがかなり柔軟に対応をしてくれるんです。
集中力が続かない子には細切れにお休みを入れてくれたり、様子を見ながら雑談を振って、ふと集中力が戻ってきたタイミングでうまく勉強に戻してくれたり。絵やカードを使ってやってみるのは?とか、音読は?とか、工夫してくれる方が多いんです。
私ひとりではそんなたくさんの知恵は出せなかったと思いますが、「今日この子にこうしてみたら、結構食いついてたよ」「このやり方なら覚えやすいのかも」と塾の後のミーティング(という名の飲み会)でフィードバックしてくれます。
生徒自身が、「学校でこういうやり方にしてもらったら、急にできるようになった」とフィードバックをくれることもあります。
メンタルの浮き沈み、得意不得意を見たり、その背後にどんな要因があるのか、コミュニケーションの中でうまくヒントを引き出してくれたり、とにかくみんなが子ども一人一人をしっかり見てくれてきたことで、最初は「よくわからないけど、受け入れていた」ところから、確信を持って「発達の凸凹によって線引きはしない」というスタイルにすることができたのでした。

一方で、もちろん私たちももうちょっと成長していかなくてはいけないこともあります。
たとえば、単語帳をご寄付でいただいて、生徒たちに配ることがあるのですが、「単語帳を使っている子がえらい子」「受験生なのに使ってないのはまずい」みたいな考え方が、大人の考え方のどこかにあったりすることがあります。
立ち上げた当初は、私も「こういうのがあるなら使った方がいいんじゃないか」と思っていたんですが、これもだんだん違和感を感じるようになりました。
なぜなら……よく考えてみたら私自身、単語帳を使って物を暗記できたことなど一度もなかったのでした。何なら作ろうと思って挑戦してみたものの、書くのがめんどくさい、見返すのがめんどくさい、何冊かあると管理ができない。英単語、一語一語覚えるよりも、文章をだーっと書いて翻訳していく中で覚えていったほうが効率よくない??というのが私のやり方でした。
ということで、単語帳に関して話題が出たときには、この5〜6年くらいは「単語帳が合う子はやればいいと思うよ」「でも私は合わなかったから使ってなかったよ」「自分に合う方法を見つけられるといいよね」と意識して声を掛けるようにしてきました。

ただ、これ、私がやっていなかったことを「やれ」っていうのもな〜というわかりやすい例だったのでよいのですが、他にも私が気付いていない押しつけがあるんじゃないかなと思うんです。

数学なら「途中式を書く」のは確かにメリットは大きいし、そう指導することが多いけれど、もしかして、書字が苦手な子にとっては、「丁寧に書け」と言われること自体がものすごく苦痛なんじゃないかとか。丁寧に書いたつもりでも「汚い」と言われ続けてきたら、ますます嫌になっちゃうんじゃないかとか。
そういえば、卒業した子の中には、数学は大好きで積極的に難しい問題をやりたがるのだけど、その解き方を見ているとどう解いたのかわからない発想のメモが残されているのみで、しかし正解している……という子もいました。彼も、「途中式を書け」とよく言われていましたね。
でも考えてみたら、途中式を書くことが数学の目的ではないんですよね。

みたいなことに、私たち大人がどんどん気付いていって、「それが苦手ならこうしてみたら?」と一緒に考えることができていければいいなぁと思うのです。
学校の勉強についていけて、さらにそこそこ点数もとれてきた私たち大人が、自分たちの成功体験だけに基づいて「このやり方でやれなければ、いかんのだ!」と決めつけていることが、いろいろな子どもの学びの妨げになっているんだろうな〜と。これは大人が精進しなければなりませんよね。
同時に、「こういう特性があるなら、このやり方が合うに違いない!」と答えを拙速に求めないことも大切だと思います。特性だけでなく、家庭の事情、過去の経験など、さまざまなことが結びついて「今はこのやり方がいい」「このやり方は苦手」というのができあがっていると思うのですが、そもそも「どういうことが苦手か」を細かく分析してわかりきること自体が、めちゃくちゃ難しいことなのだと思うのです。

そして、そういうことは医療機関と連携してとか、教育の専門家がやるべきだ、みたいに思う人もいるのかもしれませんが、私は大人みんながそう考えていけなければ、学びづらい子の学びづらさはそのままになってしまうと感じています。

田中先生へのインタビューでは、最後に学びづらさを感じている子どもたちにこんなメッセージをいただきました。

田中教授:自分に合った学び方は必ずあります。勉強に苦手があることは中・高生にとってはつらいかもしれませんが、そこで自分を全否定しなくても大丈夫です。勉強が苦手でも生きられないことはありませんし、あるときわかるようになることもあります。大人も子どもも、みんな凸凹があって、多かれ少なかれ困りごとを抱えているものです。勉強に限らず、自分の得意なこと、不得意なことを考えながらラクになる方法を模索していくことが、大人になってから必ず役に立ちます。

—— 自己否定をしないことは大切ですね

田中教授:困ったときには、誰か相談できる大人を見つけてほしいと思います。といっても、答えを出してくれる人を見つける必要はありません。話を聞いて、一緒に考えてくれる人はどこかにいるはずです。

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最後の「答えを出してくれる人を見つける必要はない」「話を聞いて、一緒に考えてくれる人はどこかにいる」というのは、私たち大人に対しての課題でもあると思います。
お話を伺えて、無料塾でのスタンスを改めて「こうしていこう」と固めることができました。田中先生、ありがとうございました。

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