「何を甘えたことを言ってるんだ」と言われるような夢

私には夢がある。

それは、なるべく人と関わらないことだ。

正確に言えば、優しくてあたたかい人たちとだけ関わって生きていきたい。

そして お金にある程度の余裕をもち、自給自足できることはして、家の設計を自分でしたい。
自分で使うお皿やコップを自分で作りたいし、テーブルやら椅子やらも 自分で作りたい。
気持ちを絵に表現して、壁に飾るのも楽しいだろう。
音楽や映画や本の世界に浸りながら、澄んだ空気を体いっぱいに取り込みたい。
たまには旅行をして、非日常を感じたい。

でも、世の中には 嫌な人もたくさんいる。
嫌な人…というよりも、気の合わない人。
過干渉な人、無愛想な人、自分の価値観を押し付けてくる人、意思がない人、無駄に距離感が近い人、気を遣いすぎて距離が遠すぎる人。

さて、そんな特徴を言い出したらキリがない。
そして、まわりには誰一人いなくなっているかもしれないね。

この世の中には、完璧な善人も 完璧な悪人もいないんだと思う。
" 性善説 "なんてよく聞くけど、どうなんだろうね?
私は、生まれながらにして 人間は悪にも善にもなれる存在なんだと思うよ。

学校に、体罰をしていた教師がいた。
いつも眉間にシワをよせて、怒鳴り声をあげていた。
後から聞いた話だけど、当事、その教師の母親が認知症を患っていたようで 彼はその介護をしていたらしい。
働きながらの介護。
想像以上の疲労が彼を襲ったのだろう。
保護者からクレームがきて、彼は休職することとなった。
彼の母が亡くなり、復職したとき、肩の荷が降りたように 落ち着いた表情をしていた。

休職する前の彼を知っている生徒たちは、みんな動揺した。
休職する前の彼を知らない生徒たちは、その" 優しい先生 "を慕った。

環境で、人は悪にも善にもなれる。
タイミングで、人は悪にも善にもなれる。
最終的には、その人自身がどう思うか どう行動するかが重要なわけだけど、それは経験や関わる人の反応次第でも変わってくる。

たとえば、あなたにとって大切な人が殺されたとき 殺した犯人を許せるだろうか。
犯人を殺してやりたいと願うほど、強い憎しみを感じるのではないだろうか?

そのとき、そばに凶器があって " 殺していい法律 "があって 誰もあなたを責めないならば、あなたはどう行動するだろうか?
" 誰からも責められない保証 "があって、人を殺したとき、それは善なのか?悪なのか?
私には、わからない。

あなたの大切な人を殺した犯人のことを、大切に想っている人がいるかもしれない。
あなたがもし 犯人を殺したら、犯人を大切に想うその人は あなたを恨むだろうか?
「犯人は あなたの大切な人を殺したんだから、殺されて当然だ」と、素直に思えるだろうか?
その人は、あなたを殺しに来るかもしれないね。

たとえばあなたの大切な人が、犯人をレイプしたんだとしたら?
「レイプされたから殺したんだ」と言われたら?
もう、私には何が悪で何が善なのかわからなくなる。

世の中には「レイプされるような格好をしていたやつが悪いんだ」「そいつが誘ってきたんだ」と言う人もいるだろう。
犯人は 本当は、元々恨みがあって 被害者を誘ったのかもしれない。
でも、本当に ただ単に 先に被害を受けただけなのかもしれない。
もしくは、親にお金で売られたのかもしれない。

一体 誰が悪くて、誰が善くて、どう振る舞えば正解かなんて もうわからなくなる。

ほとんどの人は「自分が正しい」と思って生きている。
「自分は根っからの悪党だ」と思っている人は、少数派だ。

「100%正しい」とは思えなくとも、正当化するための都合の良い言い訳を用意する。
言い訳なんて、そこらじゅうからわき出てくるからね。
「○○だから仕方ないよね」と、 65%くらいOKなら 善しとする。
すべての問題に対して、真正面から向き合い続ければ 自分が壊れてしまうことを、本能的に知っているんだ。

答えのない問題に応えるには、そうするのが一番早いし楽なんだ。

こんな風に語った時点で、私の生きづらさが理解できるだろうか?(笑)
私は、語れば語るほど 人から「生きづらそうだね」と失笑される。
こんなことを考えるのは" 今だけ "じゃない。
わりと、常に だ。

だからこそ、ね。
だからこそ、なるべく人と関わりたくないんだ。

私にとっての悪い人が、誰かにとっての善い人だったりする。
そして、私が改善を求めると その人は" 善い人 "に変わってくれたりもするんだよ。
でも、せっかく変わってくれても 私はその人を許してあげられない。
そのことが、つらいんだ。

許さなくていいとも思ってる。
その人が原因で私が傷ついたなら、そのことに関しては許さなくていいと思ってる。

だから過去のことは考えず、今のその人を見たいんだ。
なのにね「油断したすきに、またやられたら嫌だな」と思ってしまう自分がいるんだ。
私は弱い、人間だからね。

関わるなら、ほどよく愛想がよくて、ほどよく意思があって、ほどよく距離の近い人がいいな。
なにごとも" ほどよく "が一番だね。

ほどよく田舎で、ほどよく子供の声が聞こえてきて、ほどよく笑いあいたいよ。
ほどよく仕事をして、ほどよく楽しいことして、ほどよくのんびりして、ほどよく傷つきたいよ。

その" ほどよい傷 "はさ、自分の間違いを教えてくれる 大事なもんだと思うからさ。

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