幸せの形とは

「お前にどれだけ金をかけてやってると思ってるんだ」
親の怒鳴り声が脳内に響き渡る。

本当の意味で、まだ私はお金に困ったことがない。
もちろん「もっと稼ぎたい」とか「もっとお金がほしい」とかは、この人生で幾度となく思ってきた。
でも、明日食べる物もないほどに困ったことはない。
まだ若いし、都心にいれば、こだわりさえしなければ仕事はいくらでもある。
若ければ、だいたいのことはできてしまう。
もしかしたらこれから年を重ねて、医療費にお金がかかったり、仕事がなかなか貰えなくなったりして、お金に本当に困るときが来るのかもしれない。
その時が来たら、今とは違う考えになっているのかもしれない。
だからお金の大切さみたいなものを、本当の意味では、まだ理解できていないのだろう。
甘々な考えなのかもしれない。
でも、それでも……私はお金よりも大事なことがあると思っている。

究極、お金で買える優しさは、幼稚園児にでもできる優しさだと思っている。
幼稚園児にお金をわたして、「これでママが喜ぶ物を買ってあげてね」と言えば、多くの子が戸惑いながらも行動に移せるだろう。
テレビ番組の『はじめてのおつかい』が良い例だ。
その【買ってあげた物】が、母親の好みとは違ったとしても、そうやってお金を使って他人を喜ばせることは、究極、誰にでもできてしまうのだ。
お金さえあれば。
それを悪いこととは言わない。
そういう優しさも、優しさの1つではあると思っている。
愛情表現の1つではある。
でも、あくまで【選択肢のなかの1つ】に過ぎない。

世の中には「お金をかけてもらうこと・かけてあげることが愛情表現だ」と思い込んでいる人があまりに多すぎる。
だから「あんなに奢ってやったのに!」という発言が、クズな恋人の定番のセリフみたいに言われているのだ。
もしも好きな相手に対する愛情表現の方法がお金をかけてあげることしか思い浮かばないのだとしたら、それは あまりに人に興味がなさ過ぎるとしか思えない。
自分のことばかり必死になっていないか、今一度落ち着いて考えてみたほうがいい。

本当に相手を想うならば、お金以外にしてあげられることがたくさんあるはずだ。
相手の話を真剣に聞き、受け止める。
相手が危ないことをしそうだったら、嫌われる覚悟で注意する。
相手が努力しているなら、目一杯褒める。
相手が疲れているなら、マッサージをしてあげたり家事をしてあげたりする。
数秒考えただけでも、こんなにも選択肢はたくさんある。
あるのに、お金で解決しようとする人はあまりに多い。

お金で解決しようとするのは、簡単だ。
さきほど「幼稚園児でもできる」と言ったが、つまりはそういうことなのだ。
幼稚園児でもできるほど、簡単な愛情表現の方法なのだ。
幼稚園児が母親を喜ばせたいと思って物をプレゼントするのが微笑ましいのは、彼らはそれしか相手を喜ばせる選択肢を知らないと、我々は知っているからだ。
幼稚園児は少ない経験値から、必死に母親が喜ぶ方法を模索する。
その結果、【物をプレゼントする】という結論に至る。
けれども、大人が全く同じことをやっていたら、哀れでしかない。

幼稚園児ですら、徐々に母親の顔色を察して、「家事を手伝おう」とか「マッサージをしてあげよう」とか思えるのに、大人がお金をかけることでしか愛情表現ができないなんて、むしろ可哀想に思えてくる。
繰り返しになるが、お金をかけてあげることは、愛情表現の方法の1つでしかない。
誕生日やクリスマスなどのイベントでプレゼントをあげる……これは【お金をかける】という選択肢を適切に使っていると言えるだろう。
でもそれですら、まるで作業のように「誕生日だから、何か適当にあげておけばいいだろう」なんて思っているようじゃ、幼稚園児以下だ。
どれだけお金をかけてもらったところで、プレゼントを受け取った側は嬉しくもなんともないだろう。

私は、親から、確かにお金をかけてもらってきたと思う。
それを「親の義務」とまでは言わないし、感謝もしている。
けれども、お金をかけてもらったことで、愛情を感じたことは、残念ながら1度もない。
逆にお金をかけられればかけられるほど、相手の、自分への興味のなさが浮き彫りになるように感じた。

「お前にどれだけ金をかけてやってると思ってるんだ」と言われながら殴られた日々。
「誰のおかげで生きられていると思っているんだ」と言われながら蹴られた日々。
暴力を振るう代わりに、お金を払われているのではないかとすら思えてくる。
そんなクソみたいな金ならいらないと、心底思う。
それならば、金なんかかけてくれなくていいから、話をちゃんと聞いて受け止めてほしかった。
殴らないで、蹴らないで、抱きしめてほしかった。
ちゃんと私を見てほしかった。

大切にされたい。

本当は、人類みんな同じなのではないだろうか。
ただ、大切にされたいのだ。
きっと、どんなにお金がなくても、「大切にされてきた」という思いがあるだけで、生きていけるのではないだろうか。
この現代社会に生きていて、やっていけないことはないと思う。
農業や建築業界は人手不足だというし、郊外で住めば、なんとか生きていけるだろう。
細々と貯金をしながら、小さな幸せを感じて生きていくことだってできるだろう。
「自分が大切にされてきた」という気持ちがあれば、自然と他人に優しく接することができる。
私達が生きるこの社会は人間関係で成り立っているのだから、他人に優しく接することができれば、それだけ良い運(人)にも恵まれやすくなるだろう。
そうして、もしかしたら細々とした生活から抜け出せることもあるかもしれない。

だから、本当に必要なのはお金ではなくて、相手を大切にすることなのではないだろうか。
殴らない・蹴らないは当たり前のことだとしても、相手を蔑ろにしていないか?「自分自分」になっていないか?相手の話をちゃんと聞いて受け止めてあげてるのか?……そういうことを、今一度考えてみてほしい。

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