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「助けて」と言っても誰も助けてはくれない

「助けて」と言っても誰も助けてはくれない。
けれども、「助けて」と言い続けなければ、事態は好転しない。

小学生の頃から大学生まで、ずっと「助けて」と泣き叫んでも、誰も助けてくれなかった。
泣き叫ぶと言っても、いつも部屋で一人で泣いていたから、当然誰も聞いちゃいない。
本当は「助けて」なんて、人に言えていなかった。
いつか誰かが気づいてくれるんじゃないかと、勝手に期待して、勝手に絶望していたんだ。

でも、大学を卒業する少し前あたりから、少しずつ事態は好転していった。
「言わなきゃ、誰にも何も伝わらない」と気づいて、ちょっと異常なまでに、誰彼かまわず自分の傷を見せびらかすようになった。
コミュニケーションの仕方がわからなかったから、そうするしかなかったんだ。
最初は、どんなに一生懸命相手に伝えようとしても伝わらなくて、うまくいかないことばかりだったけど、トライ&エラーを繰り返すうちに上達していった。
意外とみんなが共感してくれた。
みんなが「よく生きてこられたね」と言ってくれた。
初めて「ひとりじゃないんだ」と思えた気がした。
もちろん、なかには全く共感してくれなかったり、「そんなの当たり前じゃない?自分にもあったよ」みたいに言う人も、少数だけどいた。
でも、全く共感できないのは恵まれた環境で育っていれば当たり前だし、「そんなの当たり前」と言ってしまう人はまだ自分の心の傷に気づけていない段階なのだと思えた。
いろんな人に自分の心の傷を話したことで、視野が一気に広がった。

気づけば、「話すの上手だよね」と頻繁に言われるようになった。
なかには「あなたのプレゼンの仕方を、いつも真似するように意識している」とまで言ってくれる人も現れた。
褒めてもらえることが格段に増えた。
努力してきて良かったと、心から思えた。

それまでは「どうして自分は相手のことを褒めてあげるのに、相手は褒めてくれないんだろう?」と思ったこともあった。
でもすべては因果応報で、繋がっていたんだ。
日頃から人を褒めるように意識しながら、自分自身も努力した。
だからこそ、良い歯車が回って、良い循環が起きて、毎日が充実していたんだ。

今年に入ってから、まだひと月も過ぎていないというのに、なんだかすごく悪い空気が流れていた。
たぶん、長引いているコロナのストレスもあって、気が滅入っていたんだと思う。
外にストレス発散しに行こうにも、感染が不安で気軽に外出もできない。
そのうえ悪いことに悪いことが重なって、それでもなんとか頑張ろうと踏ん張っている状態だった。
「ああ、誰か助けて」と心のなかで、ずっと叫んでいたように思う。
でもパートナーにも心の余裕がなくて、自分よりも精神年齢が幼い親には頼れるはずもなくて……息を切らしてひとりで耐えている感じが、すごくしていた。

でもついに、張り詰めていた気持ちがプツンと切れた。
ひとりでは、もうどうしようもなく耐えられなくなってしまった。
パートナーも憔悴していて、ふたりで泣いた。

こういう時の私は、本当に最高だと思う。
非常電源みたいなのが発動して、オートシステムで自分を救うように出来ているのではないかとすら思える。

私は、相談できそうな相手に片っ端から連絡を取り始めた。
長文で悩みを書いて、それをコピペしてみんなに送る。
これが出来るのは、大学の頃に視野が広がって、心が解放されたのを実感できたからだろう。
たぶん、あの時「人に相談すること」を良いことだと実感できていなければ、今も苦しんでいたと思う。
「どうせ誰も助けてはくれない」と、ベッドに引きこもっていただろう。

べつに、誰かに相談したって、誰かが何かしてくれるわけじゃない。
そんなの当然だ。
みんなそれぞれの人生を、それぞれ必死に生きているのだから、他人のために自己犠牲できるわけがない。
そもそも自己犠牲なんてしてほしくもない。
でも視野が狭まっていて、「誰か助けて」と願っているうちは、なかなかそうは思えない。
「あわよくば、自己犠牲してほしい」と、無意識に願ってしまっている。
でも「誰も助けには来ない」と悟れたとき、本当に人は救われるんだと思う。

相談したって、せいぜい真剣に話を聞いてくれて、経験からのアドバイスをしてくれる程度だ。
でも、それでいい。
それでいいんだ。
真剣に話を聞いてくれる人がいる。
ただそれだけで、本当はいいはずなんだ。

自分を本当の意味で救えるのは自分だけだ。
行動して、事態を好転させていくしかない。
けれども、人に話すことで、案外自分がまったく冷静に物事を見れていなかったことに気づけたりする。
友人の何気ない一言が、自分の視野の狭さを気づかせてくれたりする。
何気ない話のなかで、「あのときのあなたはすごかったよね」と言ってくれたりする。
たったそれだけのことで、「自分で自分を救うんだ」という覚悟さえ決まっていれば、背中は押されるんだ。

でも、そういう関係を日頃から作っておくことが、やっぱり必要で、因果応報なのだ。
普段から人に冷たく当たっていたり、人を馬鹿にしていたら、当然良い風は吹いてこない。
誰の意見も聞こうとせず、自分では何も行動しないのであれば、当然誰も真剣に向き合おうとはしてくれないだろう。
だからこそ、過去の自分に感謝してもしきれない。
人の話を真剣に聞いて、向き合ってきた過去の自分に、感謝してもしきれない。

その点、今の自分は本当に最低だった。
だからこそ、問題も酷くなるばかりだったのかもしれない。
心に余裕がなくて、人を見下して、馬鹿にしていたと思う。
そういう態度は、自分では出していないつもりでも、案外人は察するものだ。
知らず知らずのうちに、かなり心の余裕がなくなっていたんだと思い知らされる。
良かった、気づけて。良かった。

何か問題が起きても、こんな風に思える自分を誇らしく思う。
「問題が起きてくれたおかげで、気づけた」と思える自分が好きだ。
まだ心の余裕が生まれたわけではないけど、すき間くらいはできたと思う。

私の人生のモットーは「焦るな、止まれ」。
いつだってそうだ。
焦るな、止まれ。
焦るな、止まれ。
指先に意識を集めて、足元を確かめるんだ。

「助けて」と言っても、誰も助けてはくれない。
だから自分で自分を助けるんだよ。
自分の道は、誰かに預けるのではなく、自分で決めるのだ。
でも誰かに手伝ってもらうことは、ためらわない。
そうやっていつも、事態を好転させてきた。

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