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仕事という言葉から「人」を思う人と「事」を思う人がいる。

両親の出自の影響なのか、仕事をすることは好きでも、会社員とか組織人になれる気が堪えてしなかった。若い頃から志向性が完全に職人だった。

学生時代に友人が、早々と内定をもらったと言ってとても嬉しそうにしていたが、正直私は一緒に喜んであげることができなかった。

「内定」は、「内偵」とか「泣いて~」くらいの不穏な用語に思えていた。
(どこかの組織に属さなくてはいけないことの何がそんなに嬉しいのだ)と訝しく思っていた。

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父は東北の寒村の農家の次男坊で、母は下町の刷毛職人の娘で、私には勤め人の血が入っていない。血を更にさかのぼったところで、武士やら役人やらという勤め人はいないだろう。

父は東京に上京し勤め人になり家庭を為したが、会社員というものに向いていないのがモロバレだった。
苦しそうに働いて早くに脳梗塞を起こし、長患いして亡くなったが、私の夢には若く快活な姿でちょくちょく現れるので、おかげで生前の父への心残りはない。

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そんな私も、何十ものアルバイトを経た後に、22歳で正社員になった。
広告制作プロダクションに入社し、コピーライターとして勤め始めた。

職人的な志向性を生かしていきたい気持ちはあれど、周囲からはもちろん社会人、会社員、新人サラリーマンとしての振る舞いを求められる。

洞窟の中で矢じりを研ぐような仕事がしたかったが、原始時代ははるか遠く、そこは昭和の東京だった。

昭和であっても、広告の世界には「フリーランス」という働き方はすでにあり、私はその「フリーランス」というスタイルにひたすら憧れた。
「フリーランス」になれば(会社員としてでなく仕事人になれる)と思っていた。
洞窟の入口に「矢じり研磨研究所」という看板を出して仕事に励むことができるのだ。

その目論見はあたり、いくつかの会社勤めを経てフリーランスになった私は、やはりこのスタイルが最適なのだと、日々、自分の仕事に没頭しながらそう感じた。

もちろん、制作や企画だけをしていれば良いわけではなく、たくさんの営業も提案もしていくのだが、クライアントとの付き合いくらい、社内での人間関係の煩わしさと比べれば何のこともなかった。

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大きな会社で重役にまでなったような人は、社内の人間同士の軋轢や圧力に何十年と耐え抜いてきた人なのだから、人格がいびつでも高給を取っていても、それは当然だろうと思って接してきた。

彼は私が避けてきた道を押し通り、長い道の果てで功名を立てた。
彼にとっての人生とは会社員人生で、私にとってのそれは仕事人人生だった。
異な縁で上場企業と仕事をし、そこの重役陣と知遇を得ても、結局、敬意は払えても関心は持てないものだとも知った。

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「仕事」というのは文字通り、「事」に仕えるのだと私は思っている。
昨今よく耳にする医療従事者という単語の「従事」もまた、「事」に従う者と書く。

「人」より「事」という性根の者は、長く会社員でいることなどできない。
組織人としての他人も自分も、重んじることができないで終わる。

仕事人人生が会社員人生よりハイリスクローリターンだとしても、生きられない人生は生きられないのだ。
肚を据えて覚悟を決めて、仕事に没頭し「事」に仕える人生を、明日も生きるのだ。






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