別れを覚悟で寄り添ってきたのだ ~ つい先程の享年18歳の犬の死について

私の住まいは妹の所帯と100m程度しか離れていない。
妹のところに6歳でやってきて、12年を一緒に過ごした一頭のプードルが先程息を引き取った。帰宅してすぐこれを書いている。

12年、という月日は、たかが12年でもあるが、12年もの歳月、と形容してもおかしくない年月だ。特に犬にとっては、その生涯に匹敵する時間だ。

2007年に妹の家に来たそのプードルは、心に傷を負った噛み癖のある筋肉質な6才の雄犬だった。
12年の間に妹は連れ合いと死別し、陽気で犬好きで面倒見のいい人と再婚した。かつて犬を飼うことを切望していた先夫との子供たちはすでにそれぞれの道を歩き出し、犬は当初迎えられた子供の多い家庭環境から、やがて夫婦二人と暮らす一頭となった。

とてもありがたい巡り合わせであったのは、人に警戒心を解けない犬が、妹を心から信頼してくれたことだった。妹にだけは抱かれ、妹の挙動からだけは目を離さなかった。妹との時間を、自分の人生と見定めた半生だったように思えた。

その犬が、先程、18歳の生涯を閉じた。私と私の元の妻が、見舞いに行っている内だった。おむつを替え、犬の枕頭で3人で話しをしていてふと妹が「あらまたうんちでたねぇ」と言って、替えたばかりのおむつを再び替え終わったところで、犬の目の色がすっと沈み、口がぱくっと音を立てて軽く開いた。

妹が急いで死に水を供した。妹と亭主と元妻が体をさするうちに、魂は召された。
大往生だった。もがくことなく、最愛の妹に身体を清められながら事切れた。とても清浄で高潔で安心した顔だった。

私は、犬が好きだ。
犬のいる暮らしは犬がいるだけで毎日がスペシャルデーだ、と言った人がいるが本当に本当にその通りだと思う。

ここ数年、妹の犬はたまに大きく体調を崩すことがあった。高齢化していく犬と暮らす人は、遠くない日の別れを恐る恐る想いながら、すこしづつ覚悟を育て日々を寄り添う。
妹は、愛犬との暮らしを失ったのではなく、愛犬をその腕の中で看取れる人生を得たのだと、思いたい。

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