間が空くと、魔が差す
間が空くと、魔が差す。
ということはきっとあると思う。
だから間を空けるということは、怖い。
宮本武蔵の生涯を、
禅味を帯びた筆致で描いた「バガボンド」という漫画がある。
作中、若き日の宮本武蔵が公衆浴場で、
「風呂に入ると日々の構えがほどけてしまう気がして、
入浴しないようにしているだろう」
と柳生兵庫助 (ひょうごのすけ) に言い当てられるシーンがあった。
行住坐臥 (ぎょうじゅうざが) ~歩き、止まり、座り、臥す~という、
日常の全ての所作に有事の緊張を解かない心構えが、
入浴中に一瞬ほどけるかも知れない。
その間を怖れて自ら律してきた武蔵と、
それを看過した同等の力量を持つ兵庫助の邂逅の、
作中でも特に印象的なシーンだ。
フィクションとしてのエピソードなのだろうが、
作者の劇中へのトランス力が強烈な作品なので、
このエピソードもノンフィクションの一場面のように
記憶していた。
継続は力なり、とは誰の、いつの言葉なのか知らないが、
格言化する必要があるほどに、
人は継続が苦手なのかも知れない。
食欲や性欲のような根源的で快楽的な要素の濃い行為であってさえも、
人はその継続が難しい。
そのような存在だからこそ、
継続は力、なのだ。
千日回峰行を行う修行者は、
それを一度こころざしながら成就できなかった際には
自害することが約定で、
だから日夜、自決用の短刀と埋葬料10万円を携えているのだと
聞いた。
武蔵でなく、阿闍梨でない者も、
魔が差さないように間を空けまいと、
継続に、日夜苦闘している。
これまでに感じたことのない光明を
感じることがあるかも知れないと思いながら、
私もこれでほぼ4か月、毎日noteを継続している。
この継続が私の力にも、誰かの力にも、
なるようだったら、ただ僥倖だ。
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