見出し画像

【回想・喫茶店日記】 秋の空、季節外れのトウモロコシ。(2021年8月17日-9月15日より)


8月17日 火曜日

お盆が明けた。今日も雨。涼しい朝出勤すると、ここで働き始めた秋をいつも思い出す。毎朝早くにマスターはスコーンをオーブンに入れるので、出勤するときは店のまわりが小麦とバターの焼ける香ばしい匂いでいっぱいになっている。この匂いに、今日も頑張るぞ、と何度も思わされる。

焙煎室の巨大プールは撤去されていた。次は岡田家が使うらしい。


8月18日 水曜日

思えばここ一週間以上ずっと雨だった。久々に雲がパカーっとわれてカウンターに西日が差し込んだ、午後5時。あまりに眩しかったから、ブラインド締めますか?とわたしが聞くと、カウンターに座る常連さんたちは声を揃えて「せっかくの久しぶりの太陽だから、浴びましょう」と言ってしばらく皆で窓の方を向いた。今日はなんだか体が重いなぁと感じていたけど、太陽のおかげで急に和らいだ気がした。太陽は偉大である。窓の外ではブワッと一斉に羽虫が飛び出して、光に当たってキラキラと空中を舞っている。きれいだねぇ、と一人の女性の常連さんが言った。薬局を営む彼女は、明日からようやく虫除けスプレーが売れるかも!と嬉しそうに言った。

その隣では、みんなに「先生」と呼ばれる彼が、「もう空が夏じゃない。秋の空だ。」と何かのセリフかのように丁寧に、そしてにこやかに言った。わたしは、本当ですね、と返してちょっとホッとした。暑いのは苦手だ。


8月22日 日曜日

「どうも〜」と言ってあるご夫婦が店の扉を開けた。

旦那様がガンの手術を東京で終え、久しぶりに山の別荘に帰ってきた。このご夫婦は別荘にくるときには必ずここに寄ってくれる。「お元気そうで」と旦那様がわたしに言ったので、いやいやそれはこっちのセリフですと、「お元気そうで、何よりですよ。」とわたしは返した。それに大きくうなずいて奥様は「ホントよね、ホントよかったわよぉ〜!」と相変わらずの、ちょっととぼけたような調子で言った。わたしは彼女の喋り方と笑い方がすごく好きだ。キッチンの奥にいても聞こえてくる彼女の笑い声にいつもつられてクスクス笑ってしまう。

旦那様は、また別のガンの手術が9月にあると言った。終わったらまた来ますと言ったので、はい、またお待ちしてます、とマスターは言った。帰る二人の後ろ姿に、「お気をつけて」といつものように声をかけたら、「は〜い、気をつけま〜す」と旦那様もまたとぼけた感じでいい、振り返らずに左手だけを振っていた。


8月25日 水曜日

久しぶりにヨダさんが来た。すごく久しぶりだった。(よりによってマスターが休みの日に…) と焦ったが、わたしがはじめに「お久しぶりです」と声をかけたら「なんか大人っぽくなったじゃない」とボソッと言ったっきり一言も喋らなかった。あんなにおしゃべりだったのに、どうやら様子が違った。でも、相変わらず駐車場に着いてからカフェにたどり着くまでは、10分以上はかかっていた。


8月27日 金曜日

今日もみきおくんは、おじさんたちが帰った後も、彼はお迎えが来るのを待っていて、誰もいないカウンターに移動してマスターと進路の話をしていた。お迎えに来たお父さんは畑で採れたトマトをくれた。


8月28日 土曜日

店は静かだった。ヨダさんが再びきた。久しぶりのマスターとの再会だったはずなのに、カウンターに座っていてもどちらからも喋りかけず、マスターはいつも通りコーヒーを淹れてお待たせしましたとお出ししただけだった。結局一言も交わさないまま、静かに彼は帰っていった。マスターはあとで、「たぶん彼、躁鬱の気がありますね。今は落ち着いている状態なのかもしれないので、しばらく様子を見ましょう。」と言った。誰のことも排除せず、共存の道を探る、そういうマスターの人との接し方はやっぱりすごいといつも思う。


8月30日 月曜日 

コトちゃんの映像作品の展示が今日で終了した。撮影したときには立派に咲き誇っていたひまわりたちもそこにもうなくて、窓の外はもうすっかり秋の空気に変わっていた。レジでマスターと彼女が挨拶をする傍ら、あの映像に映っていた面々がカウンターに並んでいた。「あ、こちらがかのハリウッド俳優たちです、ブラッドピッドとジョニーデップと・・・」とマスターは端から順におじさんたちの紹介した。みんな嬉しそうにだはははは〜と笑った。ハリウッドではないけど、日々のカウンター劇場には欠かせない登場人物であり、名俳優たちである、とわたしは思う。


9月3日 土曜日

まなみさんとたくみさんが、シュウジさんの携帯プランを魔法のように一瞬で半額以下に設定し直していた。呪文のような言葉をしゃべっていた。


9月4日 日曜日

数ヶ月前まで高校生で、お母さんの運転で二人で来ていた男の子が、今日は一人山梨から自分の車を運転して来た。今日もカウンターに座り、まずタイのコーヒーを頼んで、常連陣に自然と混じってマスターとおしゃべりする。10代でカウンターをそう楽しめる人はなかなかいないから、すごいなぁといつも思う。後から来た田中さんが、こんにちはと隣の席に座り、彼と喋りはじめた。「まぁ。遠いところから来てくれてありがとうねぇ」と、まるでここが田中さん家かのように言ったのが、なんともなんとも可愛らしかった。


9月12日 日曜日

川井さんに、「ももちゃん、最近なんかいいことないのぉ〜?」と可愛い口調で聞かれたから、「いいこと、ないですね〜」と、わたしはお決まりのように答えた。そしたらマスターが、いいことあったじゃないですか、と振り返って「ほら、ももさん、トウモロコシが獲れたじゃないですか。」といった。


9月13日 月曜日

久しぶりに、お犬様を連れた彼がテラス席に座った。お犬様はかなりご機嫌でハイテンションな様子であった。それに相反して、飼い主の彼は渋い顔をしながら、「なんか柔らかい食べ物ない?」といった。歯医者に行って来たところで、あまり固いものが食べられないのだという。わたしは、スープやケーキはどうですかと聞いたけど、どちらもNGだったのでいつも通りカウンターでコーヒーだけを飲んでいかれた。
しばらくしてコーヒーを飲み終えた彼がレジでお会計を済ませていると、外で待つお犬様が、はやくしろ〜!と言わんばかりに吠え始めた。彼はやれやれという顔で外の方に振り返り、お犬様に向かってチュッチュッと唇を鳴らした。それがあまりにも可笑しくって、しばらく思い出してニヤニヤしてしまった。

いつでも真っ白でモコモコの彼女と、愛犬と愛孫には思わず表情が緩んでしまうおじさまの関係性について。


9月15日 水曜日

月曜日に高橋さんから育てたお米を分けていただいた。純度100パーセント、混じり気のないコシシカリだからな、と自信ありげにいったが、その後に「…でもこの間食べてもらった知り合いに、そんなに美味くねぇなって言われちゃってよぉ…」とちょっといじけたようにいった。しかし、昨日炊いた高橋さんのお米はお世辞抜きで、ここ最近土鍋で炊いたお米の中で一番美味しくて、わたしは感動した。

お米と交換で、今日はわたしが庭で採れたトウモロコシを持って行く予定だったのに、うちのトウモロコシはまるで美味しくなかった。美味しくなさ過ぎてショックなほどであった。流石にこれをお渡しすることはできないと思ったら、ますますショックだった。収穫時期が遅すぎたのだと思う。

その旨を高橋さんに伝えるとがっかりだなぁと言われた。ごめんなさい、でも、高橋さんのお米はお世辞抜きで本当に美味しかったです、と伝えたら、すっごく嬉しそうな顔でニカッと笑ってくれたので、それでとても安心した。誰でも、お米を美味しいと褒められると、嬉しいものだ。苦労して育てたんだもん。わたしはトウモロコシの代わりに、大豆でお返ししますと約束した。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?