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贖罪と書くことと、そして、大きなものへの抵抗と~『ボダ子』など~

作家・赤松利市さんの書くものに圧倒されて
初期の作品を次々と読み続けた時期がありました。
藻屑蟹、鯖、らんちう、ボダ子、純子、犬、女童、下級国民A……
「人間ってこうだ!こうなんだ!」とがんがん叩きつけられるような衝撃。
中でもご自身と娘の過去をモデルとした『ボダ子』にはただただ圧倒されました。
ご自身と〝ボーダー〟境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害)を持った娘さんを
実体験から描かれた一冊です。

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主人公である父親はマジでどーーーーーしようもありません。
ほんと、どーーーーーしようもない。
そう、この父親は赤松さんそのもの、
赤松さんが実際にやってこられたことだそうなのです。
どこまでが本当かはわからないけれど、「よぉ書いたなここまで」。
何人もの妻から逃げる。娘からも逃げる、〝ボーダー〟で人並外れて美しい娘から
仕事が忙しいなどと口実を作って、なのに好みの女を愛人にしたりしながら。
(ちなみにこの女性は貧乏が似合う幸薄そうななんでも聞いてくれそうな田舎っぽい人妻←男目線!)
娘がどうしているかとかどうされているかなど見ないふりをし続け、
やっと向き合おうとした時には……。

私はね、この本は〝懺悔〟なのではないか、と思いました。
これでもか!これでもか!と飛び出す露悪的なシーンや書き方で過去と自分を出す。
書くことで読者ではなく自らを痛めつけるかのように。
あの頃ああだった己の汚さ醜さううん弱さを書く、見せる、曝け出しているんじゃないか、と。
でも痛まない、傷つかない。書いても。見せても。曝け出しても。己は。
娘は!ボダ子は!あんなに傷ついたのに!傷つけたのに!俺が!
そんな気持ちが伝わってくるような気がしてならなかった。

赤松さんはデビュー当初は「無職、住所不定、ネットカフェで執筆」という謎の作家でした。
そうして出した作品『鯖』が大藪春彦賞になった。(そしてまた『犬』も!)
しかし赤松さんはこの作品の前後から次第に
ネットや各誌のインタビューに登場し過去を語り始めました。
顔出しもされています。その容姿は正直ギョッとします。
ぞろっとした格好に黒いサングラス。
異形の風貌は「わざと」じゃないかと私は思ったりします。
まるで決してええやつじゃない、とアピールするかのように。
Twitterもやられていいます。
かなり赤裸々に日々の様子がすべて報告されているのに驚きながらもなんとなく頷きます。
『ボダ子』については「反応は気にしない」と語っておられました。
けれど、一時Twitterで常に感想を拾っておられた。
俺よ!これではいけない!
俺はこんなにチヤホヤされてはいけない!
こんなことでうぬぼれてはいけない!そうじゃない!俺はそんな人間じゃないんだ!
そんな風に私は(勝手に)感じていました。
でも褒められていることで作家としてのやりがいと歩みを確認されているかのような。
深読みかもしれません。うん、せやな。

私が読んだ作品たちは初期作品、から、そちらへ移行していくちょうどそのあたり、のようです。
「これからは作風を変えます」と宣言されておられた。
初期は性や暴力など過剰さに満ち満ちた描写が多かったがこれからはやめます、と。

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でも私は知っています。
人は両方を兼ね備えているんだ自分の中に。
痛めつけようとする気持ちと、もうひとつ、逆の気持ちを。
今、彼の怒りや衝動の矛先はまっすぐにもうひとつ別の方向に向かっているように見えます。
今、私たち皆が怒りを向けているあのおおきなものに……。
その〝おおきなもの〟へ目を向けながら、
この作家さんはさらに「人間」を書いてゆかれるのだな。そう思うとゾクゾクします。

さらに生き急ぎ、自分を苛めながら、まるで懺悔のように。でも怒りや衝動を持って。
「俺はこんな人間だ」「そんな俺はここに居る!」「そんな俺はこう抵抗する!」とでも叫ぶように。
懺悔と、衝動と、怒りと、快楽と、苦しみと、書くことと。

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