マガジンのカバー画像

読んだり観たり聴いたり

98
本とかドラマとか歌の感想など
運営しているクリエイター

#読了

芝居小屋とうそとほんと 『万両役者の扇』

また偶然なのですが、 芝居小屋にまつわる本を読みました。 出版されたばかりの新作なのですが、ほんと、偶然。 んー? となって、手にとりました。 芝居をすることにとりつかれ「ほんととうそ」が曖昧になっていく人と、 その人に魅了されて(?)いく人びとの話。 簡単な言葉を使うとそれは常軌を逸した…… いや狂ってるんじゃなく冷静、 意外と冷静で、 いやいや、もう「ほんととうそ」「ほんとかうそか」 「自分ってなんなのか」が、 わからなくなっている、みたいなのかもしれない。 自分の“

雨の中 『羅城門に啼く』と『侠』

豪雨の中、野暮用で1時間歩かないといけなかった昨日昼前。 川沿いの国道沿いを歩いていたら 車やトラックがびゃーっと走ってその度にザバーッ。 無になった。 泣けてくるし怒りが湧いてくるし でも歩かざるを得ない辿り着けないことには。 ずんずん歩きながらザバーッをまた、またまた、浴びながらも、思った。 たぶん車に乗っている人は攻撃とか加害しようとは思ってもいない。 悪気はない。 あちらもただ仕事や目的のために走らせているだけでしかない。 雨の中の運転だ。あちらも危険だろう。 でも速

Over there 『Q』(呉勝浩)神について

「お前は輝け。太陽が嫉妬するくらい」 イカロスは太陽に憧れて焼け死んだが、 「そのイカロス」は高く高く跳び笑い踊る。 イカロスとはギリシャ神話に登場する若い神だが、 「神」と言う言葉は現代の推し活シーンなどでもよく使われている。 「マジで神」「神ってる」「ファンサが神」 ひとりひとりが勝手に意味を付けて神になる。神にする。 自分が。自分たちが。 「神をつくる」 このところ仕事の合間に読んでいた700ページ位の長編を読み終えた。 呉勝浩の『Q』。 クライムサスペンスでバイオ

黒 『夜露がたり』(砂原浩太朗)が凄い

表紙と装丁の元となっているのは広重の「両国花火」。 でも花火も屋形船も切り落とされている。 ただ黒洞々たる夜の橋があるばかりだ。 と、羅生門の最後の一行なぞもじりたくなったのは、その内容故かもしれない。 手にするとずっしりと重く感じるのは、 タイトルと帯に書かれた宣伝文の力もきっとある。 『夜露がたり』(砂原浩太朗・新潮社) 目次をみると全8篇、 それぞれのタイトルからも滲みが漏れ、否が応でも期待は膨らむ。 「帰ってきた」「向こうがわ」「死んでくれ」「さざなみ」 「錆び刀」「

芝居小屋と人 『木挽町のあだ討ち』

自分で自分の書いたものを改めて引用するなんて全然よくない。 でもふとそうしたくなったのは、 読み終えたとある1冊が、ほんとうによかったからだ。 読みながら何度もぐっときて、じぃんとして、 読み終えて、そうしたくなったからだ。 直木賞受賞作だし、人気作だし、 尊敬する劇作家たちも薦めていたから気になってはいた。 にもかかわらず、手に取るのが遅くなったのはすごくしょうもない理由だ。 「もう時代小説はええかなあ」 うんと若い頃一時期、ずっと時代小説を読んでいた。 心はずっと江戸

凪良ゆうの『汝、星のごとく 』 「こうである、ことが当たり前」なんて、ない

人は誰しも「思い込み」を持っていると思う。 大きなものから小さなものまで、 言うなれば 「こう、と、されている、ことを疑いすらしないこと、かーらーの固定」だろうか。 その「かーらーのー固定と凝り固まり」が、 誰かをしんどくさせたり誰かにとっての暴力となりもしかねない。 と、考えたことはあるだろうか。 「こうであることが当たり前of当たり前すぎて疑いもしない」 その向こうには、「ではない」「そうなれない、出来ない」ことやものやひと、も、「ある」「いる」。 その絶望や苦しみを考え

じゃねえから 渡辺ペコ『恋じゃねえから』を皆で読みたい考えたい

それは表現ですか? 表現ですか。 そうですか。 その表現は誰かを傷つけていませんか? それは恋ですか? 恋だったのですか。 そうですか。 相手もそう思っていますか? 相手の身体や尊厳をおかしていませんか? それにすら気付かなかったり、 気付く気付かない以前に酔ったり思い込んだりして 気付こうともしてはいなかったりしませんか? 例えば、あなたがそうしたことやそう言ったこと、それは他者への想いからですか? 自分のためですか相手のためですか? 相手のことを思っての言

かぶき者 ヤンキーと精神分析を読んで旅芝居と旅役者を想う

年末に近所じゃないけど近所のおおきな商店街に出かける用があった。 その際、近くにある芝居小屋の宣伝で貼られていた 旅芝居・大衆演劇のポスターを見た親戚姐(以前にも書いた北斗の拳とベルセルクなこの人)が言った。 「なんか、、、これ、どうなん?」 わたしは答えた。「極めてとても〝ヤンキー的なもの〟やなあ」 親戚姐はつぶやいた。 「竹の子族とかよさこいとかそういう流れの中っていうか、それ的な?」 「そう、そんなやつ」 「あー」 「なんか、なんかそういう1ジャンルとして独自の進化と展

声 声なき祈りを聞き分け、形なき心の気配を感じ、結びつくこと

年をまたいで読んでいて読み終わった本が印象深かった。 昨年訪れた書店の〝新聞各紙の書評欄で紹介された本〟コーナーに 1冊だけぽつんと置かれていて何気なく手に取った。 タイトルだけをみて読み始めると「ん?」かもしれない。 〝その本〟〝それだけの本〟ではない、なかった、から。 研究者であり小説家にもなった著者による調査や研究の内容と共に「私」の話が語られる。 というか、あちこちに書かれたものがこの1冊としてまとめられた。 でも、ばらばらな話がまとめられている訳でもない。 この1冊

岸政彦のにがにが日記はにがにがでぶつぶつでよかった

岸政彦の『にがにが日記』が、よかった。 基本ぶつぶつ言っている。 社会学者のおじさんがぶつぶつぐだぐだ言っている。 起きて食って労働して書いて酒呑んで散歩して猫の世話をしてパン食ったりラーメン食ったり映画観たりつまらないけどおもしろいギャグ考えたり調査したり記録したりしながらぶつぶつ言っている。 それが日々でその日々の繰り返しじゃないけれど一日一日の中に誕生日があったり年末年始があったり尊敬する人たちとの楽しい日があったりうぜーなーあいつみたいなんがあったり自由だけど自由

梟 『みみずくは黄昏に飛びたつ』で川上未映子が村上春樹に訊く

村上春樹を好きじゃなかったり 特にめっちゃたくさん読んだわけじゃなかったり、 でも村上春樹を好きという人に出会ったり身近な人が村上春樹を好きだと知ったときに、「あー……!」とか「ぽいー!」とか思ってしまうのはなんでやろう。 でもこれって「あるある」なのではないか。 うん、わたしたちは、「村上春樹的なもの」に縛られているような、 つまりは自らそうしているような気もする、つまり、すごい、すごいなあ、すごいよなあ。 個人的には好きでない。嫌いでもない。でも好きではない。 一言で

こよひ逢ふ人みなうつくしき マキノノゾミが描く与謝野晶子と若者たちの物語に

考える。 世の中には、いや、人間は、人間だからこそ、 あまりにもあまりな〝決めつけ〟が多いんじゃないか、と。 思い込みによるそれだったり、 自分にとって都合がよくないから 見たくない聞きたくない自分の中に入れたくないことだったり。 そうして自分の気持ち良かったり楽だったり、 自分と自分だけがよかったりすることだけに甘んじたり、 それだけを事実現実として〝そうじゃないもの〟を 例えば考えたり歩み寄ってみようとしてみたり、 考えもせずに「自分とは違う」「自分たちとは違う」として、

私労働小説 ブレイディみかこが「私たち」のクソみたいな仕事をロッキンに書ききった

クソみたいな仕事ってなに? それは「自分が自分でなくなってしまう」仕事。 クソみたいな仕事をしていたら自分が自分でなくなる。 自分が自分でなくなってしまうと自分ではない、それは、ない、 ありえない、あってはならない。のに。でも。 それでも。 クソみたいな仕事をしている主人公たち、 つまりそれは著者自身であり「私」である。 そんな「私」たちの〝私労働小説〟。 『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』 この本は、 出てすぐに買って、 勿体なすぎて1章1章読んだのだが、 毎回気持ち

1冊の本、ひとつの舞台 『歌舞伎座の怪紳士』はミステリーでもホラーでもなくハートフルなあなたの私の話

タイトル、ちょっと濃い。 〝歌舞伎座の怪紳士〟 勿論あのミュージカルをもじって付けられたのであろうことはわかる。 けれど、漢字ばかりが並ぶからかな、 怪と紳士が並ぶと圧が強いよなあ、そこが、それが、ミソやんなあ。 そんなタイトルに反して、内容は、とても、とてもやさしい。 あたたかくて、やさしい話だった。ヒネクレ者のわたしでも何度かホロリ。 劇場と、人と、人びと、物語と「私」の話だった。 多作で知られる近藤史恵さん。 最近はドラマ『シェフは名探偵』の原作者としてご存じの人も