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#考えたこと

不適切とモヤとスタート地点 ドラマ『不適切にもほどがある!』を再び考える

ドラマ『不適切にもほどがある!』が、結構叩かれているみたい。 「せやろな」「せやな」と思った。 1話目を観たわたしはうれしかった。 笑ったり笑ったり、なつかしさを感じたりもしていたから。 時事ネタがではない。 「よく観ていた頃の小劇場」感、がちゃがちゃごちゃごちゃ生き生き感、ギャグやオフザケを散りばめながら「言いたいことを伝える」を感じてだ。 でも、かな、だから、かな。でも、かな。 2話目くらいから「ん?」を思い始めた、「ん?」と「んー?」だ。 「ああ、これは、叩きがいがある

かぶき者 ヤンキーと精神分析を読んで旅芝居と旅役者を想う

年末に近所じゃないけど近所のおおきな商店街に出かける用があった。 その際、近くにある芝居小屋の宣伝で貼られていた 旅芝居・大衆演劇のポスターを見た親戚姐(以前にも書いた北斗の拳とベルセルクなこの人)が言った。 「なんか、、、これ、どうなん?」 わたしは答えた。「極めてとても〝ヤンキー的なもの〟やなあ」 親戚姐はつぶやいた。 「竹の子族とかよさこいとかそういう流れの中っていうか、それ的な?」 「そう、そんなやつ」 「あー」 「なんか、なんかそういう1ジャンルとして独自の進化と展

こよひ逢ふ人みなうつくしき マキノノゾミが描く与謝野晶子と若者たちの物語に

考える。 世の中には、いや、人間は、人間だからこそ、 あまりにもあまりな〝決めつけ〟が多いんじゃないか、と。 思い込みによるそれだったり、 自分にとって都合がよくないから 見たくない聞きたくない自分の中に入れたくないことだったり。 そうして自分の気持ち良かったり楽だったり、 自分と自分だけがよかったりすることだけに甘んじたり、 それだけを事実現実として〝そうじゃないもの〟を 例えば考えたり歩み寄ってみようとしてみたり、 考えもせずに「自分とは違う」「自分たちとは違う」として、

20XX年に 北斗の拳、ベルセルク、旅芝居の芝居

古いアニメや漫画を語ったり、 キャラの台詞や引用をすると「さむっ」「知らんし」となる時代らしい。 『ベイビーわるきゅーれ』の主人公たちが言っていた。 このところ仕事中のBGM代わりが『北斗の拳』だったわたしには「!」である。 せやけどここからどんどん広がっていった、考えた、色々。 「さむっ」「知らんし」すみません。 すごく長くなりましたが、よろしければお付き合い下さい。 きっかけは先月放送されたNHK『アナザーストーリーズ』(再放送)だ。 原哲夫&武論尊による「制作秘話」を

熱と氷と人とナカミ 私的・川上未映子論

バケツに入った氷水を頭からかぶる。 次に氷水をかぶる人を指名する。 指名された人は24時間以内にチャレンジする。 チャレンジしたくない場合は100ドル寄付する。 チャレンジ後に寄付をしてもいい。 すべてはSNSへ投稿され、リレー方式で繋がってゆく。 9年前の夏前から夏に流行ったいわゆる「アイス・バケツ・チャレンジ」。 アメリカで始まったそれはチャリティー活動、 筋萎縮性側索硬化症 (ALS)の支援拡大を目的としたものだった。 世界でも日本でも芸能人や著名人(某企業とか)が参加

そのタイトルに 『教誨』

ひとりだと、ひとり。でもそれが群れや集団となると、別だ。 集団は、時にとてもこわい。 〝個人のはっきりした言葉や意見よりも集団としての和〟 〝集団の中で波風を立たせずに生きることが美徳〟 〝空気を読め〟 そうして集団で「YES」となったことは時に絶対的に間違ったことであっても「YES」となることがある。 そうさせられてきたり、そうすることそのことを疑いもしなかったり、 いや、そうしないと排除されたりするから黙ること。 そんな暴走や暴力や沈黙が他者の尊厳や命さえ直接的にも間接的

プロとプロの仕事と気持ち テレビという舞台(リング)で

「ジョブチューン」という番組をつい観てしまう。 気付けば、仕事のBGMがわりのはずが、結構ガチで観てしまう。 何度か炎上案件にもなったのでご存じの方も多いかもしれない。 例えば大手のコンビニやファミレス外食チェーンの人気メニューを、その道の職人というか海外でも活躍する日本を代表する(らしい)シェフやパティシエたちが「ジャッジ」をする。 試食し、合格か不合格かの札をあげて、理由や能書きをのたまう。 のたまう一流シェフだのパティシエだのはなんかパンチの効いた感じの人が多

人間の、人間な ある舞台や映画やドラマから

松尾スズキが好きだ、いや、好きではないかもしれない。 役者としての松尾じゃないよ。 ショッカーの創設者だったり 相撲のワル親方だったり競馬で負けて60円しか持っていないお巡りさんだったりじゃない。 劇作家として作家としての松尾さんがつくるものが好きだ。 よく使うモチーフは下ネタ・宗教・障がい者・格差・セックス・ギャグ。 好きとは言いたくない、好きではない、そう言いたい。でも。 芥川賞受賞作『ハンチバック』を読んだ時のわたしの感想は以前に書いた。 他の感想をひろっていると

氷室冴子の『いっぱしの女』が嫌いな人はいないんじゃないか

大好きな作家の大好きなエッセイが2年前に「復刊」していたことを今更知った。 あ、いや、たぶん書店に並んでいるのは見ていた気がするのだけれど。 先日、移動中にとおった古書店で「あ。」と懐かしく手に取って移動中に読み終えた。 ああ、どの話もはっきり覚えてる、と、ページをめくった。 この本を語るに使い古されまくっているから言いたくないけれど 「時代をこえてもみずみずしい」「不朽」 まさにこれだったし、現代、現在だから、より響くものがある、みたいのも同意同感。 復刊し、あたらしく解説

私はここに居る、釈迦はここに居る 『ハンチバック』

容れものと中身、身体と気持ち、 両のバランスがうまくとれている人って、世の中にどれくらいいるんだろう。 誰しもがいつもどちらかに傾いたりバランスをとれずにいたりするのではないか。 そのズレ故に自分自身や他者とのもやもやや苛々、摩擦や不調を感じているのではないか。 話題の芥川賞受賞作『ハンチバック』を読みました。 主人公は自由に(という言葉の意味もよく考えたらわからないけれど)体を動かすことが出来ない。 それこそ本屋にも行けないし、紙の本を読むたびに体が押し曲がるようだと言う

祭 ある本と盆踊りと人間と

若竹千佐子さんの『かっかどるどるどぅ』を読んだ。 2017年下半期の芥川賞受賞作『おらおらでひとりいぐも』の著者は 前作でタイトル通り老いた人の孤独からの「ひとりで」を選んだ生き方を描いた。 第二作目となる本作にも、同じく孤独を抱えた人々が登場する。 でも彼女たちや彼らが思ったことは選んだのは「みんなで生きる、生きてみよか」だ、と思った。 生きづらさを抱える人たちが集い、皆でご飯を食べ、たくさんの会話を交わす。 その中には戦争もコロナもウクライナもロシアもアメリカも、そして生

喜劇とか悲劇とかからの新しいかたちへ netflix 『離婚しようよ』のこと

宮藤官九郎&大石静による『離婚しようよ』 (先月配信されたnetflixオリジナル作品)、もう観られましたか? 二世政治家と国民的人気女優が「離婚するっ」を目指して共にがんばるお話です。 キャラの濃い人ばかりが登場します。 皆、皆それぞれに主張と言い訳とやはり主張があります。 その主張に至る理由もあります。けど、理由を超えたTHE感情!!があります。 というのが、〝そんなもの〟の究極が見える政治や芸能の世界を通して描かれます。ふふふ。 地方(地方性)、家族の形、SNS、建前と

人と人、利他と人 『ぼけと利他』

最近のわたしの口癖は「他者(人間というもの)は理解できない」なんです。 ちょっと語弊があるな。 「理解しようと思ったって自分じゃなく違う人やねんからたぶん無理(と思うくらいがいいのかも)」 これも語弊があるかも。 「理解したと思って他者を判断したり決めつけたり(さらに区別したり)だなんてめっちゃ傲慢だ。他者は他者だ。だから考え、接し、(例えば悩みながらも)続けなくてはいけないのだ。それって楽しいかも」 これが近いかなあ? 理解できない、とか、無理だから、「マイナス」ってか後ろ

『ごめんね青春!』 そしてやっぱり、「皆と」「皆で」みたいなこと

先月、『ごめんね青春!』というドラマを観ていました。 2014年のTBSドラマ、ネットフリックスから配信中。 同じ宮藤官九郎作の『タイガー&ドラゴン』や『俺の家の話』は もう台詞の物真似を出来るくらい好き。という話は以前にも書きました(これ)。 でも、この『ごめんね青春!』は本放送時、途中だったか1話目で観なくなっていたのです。 その頃リアタイ出来なかった理由もあったのかもしれない。 でもそれだけじゃなく、観始めて全体的にちいさな「ん?」をたくさん感じたからだと思う。 この「