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あいさつをすることで緩く、広くコミュニティに所属しよう

あいさつするしないという思想信念主義主張について話題になっています。まあ、あれはあえてカウンターカルチャー的な物を出して話題にしてビューを稼ぐためにインタビューを切り取りした可能性がありそうですが、実際にあいさつをしない方も一定数おるんで、あいさつをした方が良いかどうかちょっと考えてみました。

あいさつを無視されたり、あいさつしない人がいたら、たいていの人はどう思うでしょうか。

嫌われているのかという不安な気持ちになったり、気分が悪くなったり、プラスの要素はあまりないように思います。あいさつを返す、というのは、相手に嫌な思いをさせない、他人の気持ちを考えるという意味で、あいさつというのは基本のキと位置付けられているのではと思います。

では、あいさつをすることは、自分自身にとってなんの利益があるのでしょうか。

多くの人が指摘するように、あいさつとは太古の昔から同じコミュニティで人間が生き抜くために存続してきた人間の習慣であり、敵を作らず無駄な殺し合いをしないための知恵でもあります。

同じコミュニティで「こちらは害を与えるつもりはありませんよ」「あなたを一員だと認識していますよ」「わたしもあなたのコミュニティの一員ですよ」の意思表示として、あいさつは使用されてきているのだとすると、あいさつをしない、返さない方は、コミュニティへの帰属意識がそもそも希薄、あるいはコミュニティに所属しているという意識すら無いのかもしれません。

私の上司は院内を歩いていると、誰にでもあいさつします。医師にだろうが、看護師だろうが、掃除をご担当される委託業者であろうが、売店のスタッフであろうが、「おはようございます」「お疲れ様です」とあいさつをしますし、患者さんには会釈をします。自分もそれにならってあいさつをするようになりました。

でも、逆にあちら側からあいさつをしてくれる人はそれほど多くないのです。それはきっと、同じコミュニティを生きていると思っていないからなのではないか、と推察します。確かに、同じ職種、同じ部署、あるいは他の部署の方でも知り合いであれば、あいさつをされている姿を見かけます。あいさつするという行為は、一緒のコミュニティに生きていると意思表示をしているということです。

病院全体、様々な方々と一緒に仕事をして、もしかすると動いていただかなければならないような立場の方は、自分のコミュニティにできるだけ多くの方に属してもらうか、自分ができるだけ多くのコミュニティに所属していた方が仕事をしやすいので、全ての人にあいさつをするというのは、道理にかなっています。たった一言でその意思表示ができるとすると、ものすごく効率的なのではないかと思います。

ともすると、ここから先、未来にわずかでも一緒に働く可能性がある方には、ちゃんとあいさつをして、緩くても、わずかなつながりとしてコミュニティに所属しておく、というのは働く全ての人にとって必要なことなのではと思います。同じ病院にいるのであれば、これから関わりがあるかもしれません。

自分の実体験ですが、あいさつをするようになって、顔見知りが増えました。顔見知りが増えると、そのうちの誰かが緩い繋がりとなり、何か仕事でお願いしなければならない/お願いされて信頼信用が積み重なり、少しずつ強い繋がりになり…という経験がありました。何も全員と強く繋がる必要はありません。わずかであっても、緩く、広くつなることができるのであれば、それはそれで意味があるのです。

たった一人で生きていける人は、ほとんどいません。誰もが何かしらの大小様々なコミュニティに所属しています。あいさつをしたり、人の気持ちを考えるという基本が出来れていれば、緩く、多くのコミュニティに所属することができて、結果的に自分や自分の仕事の利益になる、ということがあるような気がします。

ぜひ、同じ施設、病院のスタッフ全ての方々にあいさつをしてみてはいかがでしょうか。

それでは、自分の持ち場で粛々とあいさつをして、緩い繋がりを作っていきましょう。

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