標準化される時代において個人としては本当に重要なのは、標準化の外にあること
安全で質の高い医療を提供するにあたって、「標準化」は避けては通れないものです。
マニュアルや業務フローをみえる化して、それを共有し、教育することで、だれが業務を行ったとしても、ある一定の質や安全を担保した医療を患者さんに対して提供することができます。
私が病院で任されている業務は、医療の質の改善を推進することですが、多くの部署に対して標準化できるように支援させていただいています。
さて、ここまでは、病院の管理者、運営側の目線です。
病院に雇われている側からすると、標準化されたことを標準化された通りにやる、というのが大事なのは大前提ですが、「自分に価値が蓄積されていく」ために本当に重要なことは、標準化の外にあると思います。
なぜなら、個人に付与される価値とは、「その人にしかできない」「その人がやると成果が高い」ということなので、標準化とは真逆だからです。
つまり、標準化された業務をしっかり自分のものにしつつ、標準化された業務以外のところで、価値をつけていくしかないのです。
今回は医療者の自分に価値がつく働き方を、2つの観点から見てみましょう。
標準化する側にまわること
患者さんや他のスタッフのニーズを満たすために、まずは属人的に新たに業務を作ったり、品質を良くしたり、効率化し、それを検証して業務確立した後でみんなができるように標準化を進める。これは、標準化する側にまわるという価値の見出し方です。
ここで重要なのは、一旦は属人的に進めて、最後は標準化する、ということです。ずっと同じ仕事を属人的に進めることに価値はつきません。なぜなら、その人は同じ仕事を同じようなやり方で、何年も続けることになるからです。新たな業務を広げていく、もっと良くしていかないと、価値を提供することはできません。
このループを回し続けられる人は、価値がついていきます。組織に所属する人たち全体や組織が提供するものの価値をどんどん上げることができるからです。
組織としてはこのように標準化する側にまわることができる人は、重宝します。
また、そこでの検証結果を外部に発信していく、ということも自分に価値をつけてもらう重要な方法です。外部に知られなければ、外部の人から見たらやっていないのと同じだからです。
ぜひやってきたことを積極的に外部に発信することで、価値をさらに上げていきましょう。
標準化できないこと
もうひとつの標準化の外とは、絶対に標準化できないことで差をつけるというものです。
医療は患者さんを相手に提供します。それだけでなく、スタッフとも接して、チームで医療を提供していきます。なので、医療や処置をどのように提供するか、他のスタッフ相手にどのように情報を提供するか、という手順は標準化することができますが、どのようにコミュニケーションをとりながら…という部分は標準化できません。
例えば、患者さんに針を刺す手順は標準化されていますが、不安にさせないようにどのような声かけをしたほうがよいか、こちらはどのような表情で声をかけるか、刺した後の痛みの確認の聞き方をどんなトーンで聞くかなどは、標準化できません。
患者さんやスタッフの性格は千差万別ですし、精神状態によって捉え方は異なります。相手と自分との関係性という文脈もあります。すこしの相手の雰囲気や表情を捉えて、「こう思っているかもしれない」「こう声をかけたほうがよいかもしれない」というアンテナを張りながら業務を進めることができる、というのはその人にとっての価値になります。
医療に携わるものとして、標準化したことをできるようになる、というのが第一段階であり、そのあとの第二段階に進めることができるかどうか、というのがその人の価値を決めていくのだと思います。
かのウォルトディズニーは、仕事を「Duty(作業)」と「Mission(役割)」に分けて考えていたといいます。
つまり、標準化された業務というのは、仕事ではなく、作業なのです。今回の2つの観点こそが、いわゆるディズニーランドで言う「本来の仕事」「役割」「仕事の本質」です。
患者さんやスタッフのニーズを満たすことが、我々の仕事の目的だとすると、今回の2つの観点から考えるということはその目的を十分に果たすことができそうです。
まずは自分の持ち場で標準化したことを習得し、粛々と標準化の外で仕事をしていきましょう。
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