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豊島美術館で心を奪われた話

2023年7月、瀬戸内の豊島(てしま)にある豊島美術館へ行った。

正直なところ、アートへの造詣は深くない。
普段美術館に行くこともないし、現代アートも、よくわかんない。解説を読んで、ふーん、と思ったり、思わなかったり、くらいの熱量のなさ。
それが、いろんな経緯で豊島に行くことになり、豊島美術館へも行くことになった。

到着すると、海の見える気持ちの良い場所に芝生が広がっていて、遊歩道と、白いドーム型の建物。ドームにしては、平べったく、芝生の中に埋まったような形である。

右奥に見えているのはショップとカフェの建物


入り口で受け取ったパンフレットを見ると、展示スペースはアートスペースとされているたった1つだけ。「?」と思いながら、おしゃべりしつつ遊歩道を進む。

パンフレットの中の地図。遊歩道をぐるりと歩くとアートスペースへ。

遊歩道はぐるりとまわる形になっていて、芝生から森、森から海が見え、また森に入り、少し進むと芝生に開けて、ミュージアムの入り口に到着する。

遊歩道の途中からは海が見える

入り口手前でスタッフの方の説明(撮影禁止、おしゃべり配慮、足元注意)を受けた後、靴を脱いで、中へ。

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入り口と思しきところに立って、声を失う。

真っ白な空間と、ぽっかり天井にあいた穴。
建物のなかで、それぞれ思い思いに、座ってみたり、寝転んでみたりしている人。
静かな空間で、カバンが身体に当たる音すら反響する。

画像はベネッセアートサイト直島HPより


「・・・(おおお・・・)」と声にならない声をあげ、一緒に来た先輩と顔を見合わせる。

少し進むと、足元に水が。
水含めて、アートってこと?と思って水を見ていると、水がすーっと動いていくではないか。そしてさらによく見ると、小さな穴から、水が湧き出ているではないか。

湧き出ては、ちょっと進み、止まって滞留し、そこにまた後から湧き出てきた水が合体したり、しなかったり。
合体してある程度の大きさになると、中央の大きな湖のような水たまりにむかって生き物のように水が走っていく。
もしくは、少しだけ空いた穴に、コポポポポ・・・と音を立てながら流れ込んで落ちていく。

画像はベネッセアートサイト直島HPより


これはおもしろい。
いや、、、とてもおもしろい。

水を観察してみたり、穴から見える空や雲、木々を楽しんだり、座ってみて、また別の場所に動いて眺めてみたり。
それにより、聞こえる外の音も変化したり。

先輩ともいつの間にか解散し、それぞれ存分に空間を味わう。

休日に美術館めぐりします、のような人と話すと、アートを楽しめるような高尚な人間に生まれたかったな、とかたまに思ったりもするのだが。
そういう人たちに、別に歴史とか背景を知らなくても、感覚で楽しんだらいいんだよ、とか言われても、
んー、まあ、そうなのかなあ?なんて思っていたけど。

豊島美術館のアートスペースにいる間には、いろんな考えが湧き起こってきた。

画像はベネッセアートサイト直島HPより

水の厚みがすごくあって、これだけ丸っと表面張力で綺麗にまとまるってことは、すごく撥水性の高い塗料なのかな、とか
どうやって建設したのかな、こういうの作る時って、アーティストはデザインと建築物としての設計能力、両方1人でやるのかな、それとも誰かと組むのかな、プロトタイプとか作って試行錯誤したのかな、とか
現実的なこともあれば、

水が湧き出た後に水が止まっていたり、走り出すような様子を見て、
周りの加勢とか、その時々の追い風や向かい風、環境なんかで、どっちにどう転がるかやそのスピードって、変わるよね、とか
何かが生まれる、生み出されるような胎内の感覚を味わったり。

いろんな考え事が捗ってしまい、途中少しクラクラしてしまうくらい。

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その後、同じくクラクラし始めた先輩とカフェスペースへ移動。

ショップ内のカフェスペースで余韻を楽しむ

心地よさをなんと言葉にしたらよいのかわからない、とカフェスペースにたどり着いてから先輩が言っていたが、まさにそのとおりの感覚。

でも、自分の感覚のままにアートを楽しむってこういうことなのかな、と少しわかった気がする。

帰宅後もその心地よさが忘れられず、いまさらこの展示の意味や背景を調べたりも。職場のPCのデスクトップも、このままだと明日には豊島美術館の写真になってしまうだろう。

完全に心奪われてしまっている。ということで備忘録も含めてnote記事に。

ショップで買って帰ってきたいちごジャム。美味。

またいつか、行きたいな。

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