世界で「生活」を体験してわかった、生きる喜びを得る方法
今日インド生活で何が楽しかったか聞いてくれた方がいて、気が付いたことがありました。
私は人の生活を見たり体験したりするのが好き。
「世界の生活体験家」
と名乗ってもいいくらい、色んな国や地域で生活を観察、見学、体験してきた。
今日話しになったのはインドでの暮らし。
インドの田舎暮らしは、水道がなくて井戸水を使っていたり、ペットでもあり食用でもある鶏やヤギを飼っていたり、
シンプルで、本質的で、感動することが多かった。
人間の営みが見えやすいって幸福度高いなということを、肌で感じた。
当時大学生だった私の幸せ観は、熟考されていなかったんだけど、
生きるって何だろう?という、人間の営みが複雑で見えにくい東京で育った私にとっては生活の細部ひとつひとつが感動だった。
初めてその田舎に行ったのは2013年のことで、
世の中の価値観の多様性は今より少し低かったように思うし、
AIももう少し遠い存在だったりと、「人間らしさ」を考える機会も「人間らしくありたい」と思うことも少なかったように思う。
それでも、この人達は「人間らしい」暮らしをしてるなぁと感じた。
私は、中学生のときにハッとする経験をして、人生っていつ終わるかわからない!だから毎日自分の足で踏みしめて人生を歩みたい。人生を噛み締めたいという考えがアイデンティティに刷り込まれている。
それもあってか、生きることと直結している生活というものに興味があって、
インドなどの外国に行った時には料理をしている様子を見るのと同等に、川で手洗いした洗濯物を干している様子なんかもよく観察させてもらってきた。
その中で料理ってやはり一つ抜きんでて私にとって特別で、その理由は大きく分けて2つある気がする。
①自分の食べるものを自分で作る→自分には生きる力があるという根源的な喜びが湧いてくる
②平和的な活動→コミュニケーションが生まれる
①の根源的な喜びというのは、現在の活動、マインドフルクッキングに繋がってもいる。
都市で暮らしていると、獲物を刈ることも、野草を採ることも、農作物を育てることもなく、
動物として生きる力を直接感じられる場面が少ない。
でも料理をすると、自分の命に自分で燃料を入れているというか、自分が生きることに直接貢献できる感覚がある。
食べるものさえ作れれば最低限、生きていける。
②のコミュニケーションは現在のもう一つの活動、ボーダーレスクッキングに繋がっている。
食を囲んだコミュニケーションは世界共通、違いを越えて人と人を繋いでくれる。
だから私は、料理を介したコミュニケーションに高い幸福感を感じるんだと思う。
私は料理を一緒にすることで、色んな人と仲良くなってきた。
きっとそれは洗濯を一緒にする、とか、家を一緒に建てるとかでもいいんだけど、
洗濯よりもコミュニティの全員で「おいしいね」と言えることや、家の建設よりも成果物がすぐに目の前に見えることという点で優れているのかな。
理屈よりも、何よりも食べることは皆たのしい。
丁寧に料理ができて、丁寧に生きられる暮らしをしていきたいと思う。
生きる喜びはそこから湧いてくる。
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