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残骸から掬う火

注:『華氏451度』の軽いネタバレを含むよ

 ディストピア小説家は凄い。往々にして、社会構造をよく観察して執筆を行なっているから。どの時代の人でも、「これは今の世界に違いない」という心持ちになる。
 今回読んだ本『華氏451度』もそうだ。「赤狩り」の時代に書かれた、というこの本に登場する「テレスクリーン」の機能は、スマホにそっくり。頭を使わなくても、私たちを色々楽しませてくれる。けれど、コンピュータや携帯電話が誕生した時代にも、同じようなことが言われて嘆かれていたのだろうな。

 まさか、こんなラストになるとは思っていなかった。ディストピア小説といえば、主人公が何か社会に反旗を翻すも、最終的に諦めざるを得ないとか、何かしらバッドエンドであることが多いのに…。
 ここまで何となく清々しく、草と土のにおいが伝わってくるようなディストピア小説のラストシーンがあるだろうか?もはや物語の始まりと終わりは、別の小説のようだ。

 この作品には、「火」が一貫して書かれる。書物を燃やしたし、最後には火(+α)によって都市がひとつ無くなった。冷静に業務を遂行すれば良いものを、都度激情にかられるモンターグの姿も、まさに燃えたぎる火のようである。
 けれど、火は美しいだけではない。凶暴なだけでもない。終盤で、モンターグは「火はあたたかい」ことを知る。  
 あたたかい火とは、書物を守り続ける老人たちの脳内でもあるのだろう。どんなに世の中に冷風が吹き荒れても、あたたかく燃え続け、そして消えることはない。

 さあ、このラストの後、モンターグたちはどうするのだろう?果たしてモンターグや、長老たちの頭の中のあたたかい、消えない火は、残骸から人をまた掬い上げることができるだろうか?


 そういえば、ラストシーンを読んだ後、ふと頭に浮かんだのは↓この曲だった。出だしの歌詞と清々しい曲調が、物語のラストシーンに重なる。
https://susumuhirasawa.com/free-music/#001  
(このページのいちばん下の曲です)(うまくリンクが貼れない…。)
 『華氏451度』を読み終わった方、よければ聴いてみてね。

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