公務員、辞めたってよ。

約7年勤めた仕事を辞めました。

退職に至るまで病状が悪化するほど、本当に辞めていいのか悩みました。理由は私の職業が地方公務員だったからです。

安定が売りの終身雇用。ローンも保証会社もクレジットカードも「公務員」と書けば通るような社会。逆に街中で公務員だとバレれば知らない人に石を投げられる可能性もある社会です。

辞めると決めるまで、色んなキーワードでググりました。
「公務員 辞める」
「公務員 辞めた」
「公務員から民間」
「公務員 転職 不利」
大抵上位の検索結果は、公務員への転職を促すものや、公務員を辞めるなんてもったいない!といったもので、私の求めている「若くして公務員を辞めた人がどうなったのか」という記事(経験談)を見つけるのはなかなか難しかったです。

辞めたばかりの私には退職後の経験談はまだ書けないので私の話は後にして。

上記検索ワードに引っかかってこのnoteを見つけた人がいたなら(公務員に限らず)先に言っておきたいことがあります。

①心身の調子が少しでもおかしいと思ったらまず有給休暇で数日休んでください。

②それでも体調が改善しなかったり、復帰してすぐぶり返したりするようなら、病院に行ってください。

③もうダメだと力尽きる前に!まだエネルギーが残っているうちに!医師に診断書を貰って休んでください。

④二週間なり一ヶ月なり三ヶ月なり、はたまた一年なり休んでみて、転職しようという結論に至ったなら休職期間中に転職活動を行ってしまいましょう。職場に戻れば転職のためのエネルギーはなくなります。

転職どころか年単位で治らない体調不良に陥った元健康優良児の私からのアドバイスは以上です。社畜はここまで読んだら今すぐ寝てください。


さて、私事に戻ります。
退職の原因は過労によるうつ病です。

公務員とは社会の歯車であり、誰かがやらねば社会が回らない、かといって政治家でもないので世の中を変えられるわけでもない。それが私のなかの変わらない公務員像というものです。社会貢献!なんて夢もへったくれもありません。公僕だという罵倒に怯える日々でした。

高校時代に夢を見失ってからというもの、大学で就活の時期になってもやりたいことが見つからず消去法で仕事を探していました。

生涯働くことを考えて、お局と呼ばれない業界を選ぶと女性離職率の低い公務員が最上位に浮かんでき。

地方公務員の実情を知らない別の職種の公務員のオジサンから「総合職なら窓口接客はまずない」と言われるままに信じ、接客業だけは避けたかったので消去されず残り。

内定者懇親会で30代の人事担当者に「男性でも育休が取れるくらいライフワークバランスがしっかりしている」と言われたのをその場の皆が鵜呑みにして、残業はあまりないと認識。

しかし実情、入庁して蓋を開けてみれば、赤字まみれの県はまともな人数の人員を配置することさえできない上に、残業代も三分の一出るかどうかという始末。

残業代が出ないなら残業しなければいい。まあそう考えますよね。ところがどっこい。

人手が足りないので振られる通常業務は多いのに、窓口や電話を受ける非常勤すら雇えない。朝から夕までまともだったりまともじゃなかったりする窓口や電話応対をしていると、いつのまにか終業のチャイムが鳴っています。そこからが自分の通常業務に取り掛かれる時間でした。

そんな働き方が常態化している中、当時いた部署が過渡期に見舞われます。前例のない一大業務の最前線に立たされたのは、まだ片手ほどの年数も勤めていないひよっ子の私でした。

本来なら50代位の人がやるべき責任者を押し付けられ、下には後輩二人と、業務の説明だけで日々30分は必要とするアルバイトさんが日替わりで二、三人。

もちろん上司に責任者は無理だと訴えました。しかし人手が足りないと一蹴。ならばせめてアルバイトではなく常勤職員を一人増やしてほしいと頼んだ結果、だいぶ経ってから元職員の方が非常勤として雇用されました。

この時点で軽く絶望ですが、他に人がいないのは私も理解していました。

休日返上で職場へ足を運ぶ日々。何連勤かなど数えもしませんでした。
朝は早くに家を出て、夜は日付が変わってから最寄り駅に着く。シャワーを浴びて、後ろ倒しになっているスケジュールを調整し直しながら、次の段階の仕事の勉強。責任者の仕事とヒラがやる仕事がWで伸し掛かってるのですから寝てる暇はありません。

更に私は一人暮らしで、帰ったら温かい食事が待っていることも、溜まった洗濯物が綺麗になっていることもない。玄関で行き倒れた後輩のように起こしてくれる家族もいません。

朝は白米一膳、昼は白米一膳を握ったおにぎりを食べながら仕事をし、夜は見かねた隣の課の課長がくれるお菓子がご飯代わりでした。コンビニで何か買って食べればいいんですがその時間すら惜しく、また何を買ったらいいのかわからない頭になってました。

そして帰れば三日に一回は洗濯。早朝か深夜に回る洗濯機。お隣さんに申し訳なかったですが、お隣さんもなかなか帰宅の遅い社畜だったので苦情は入りませんでした。

そんな睡眠も食事もままならない状態での働き詰め。コーヒーですらカフェインでお腹を壊すのに、眠気を飛ばすためにエナドリを1日の規定の3倍飲んでました。そしてエナドリを飲まなくても一日中眠気が来なくなった頃、のちに上司から空元気になってたと言われた頃(気づいてたならそこで止めてくれ)、ゾーンに入るというか、ハイになってました。
代わりに遅れて後輩達が眠気を訴えだしたので先に帰らせる日々。スケジュール通りに進まない仕事。迫る納期。

そんなこんなで迎えたある日、就業前に吐き気と目眩に見舞われトイレに籠もっていました。就業開始のチャイムが鳴っても動けずにいたのですが、なかなか戻らない私を心配して捜索が行われてる声が聞こえてきました。なんとか這うようにして個室から出ると、介抱されて休養室に連れて行かれました。

我々の組織のほとんどの部署は、休養室にろくなベッドがありません。当時配属されていた職場は休養室自体、物置兼会議室兼面談室です。そこに学校の体育で使うマットを敷いて横たわるだけ。

寝不足なら眠れると思うでしょう。眠れません。一時間目を閉じて吐き気を収めた頃には可愛い後輩たちが心配で早々に自席に戻りました。

その日、死を察知した私はとにかく抱えている情報のすべてをWordに打ち込み、私に何かあったらこれを見るようにと後輩たちに伝えました。そして家に帰ってから姉にLINEで、毎朝就業開始時間までに生存報告をするのでそれがなかったら警察に連絡してほしいと伝えました。

その2日後ですかね。出勤するなり私の顔色を見た上司に即帰宅するように言われました。言われるがまま帰って休もうと横になるのですが眠れないのです。食欲もない、眠気もない、頭が痛く耳鳴りがする。

翌日、職場には病院に行く旨を伝えてかかりつけ内科へ。残業時間を口にしたら思わず泣いてしまった私に医師は困ったように、ここでは眠剤しか処方できないから心療内科へ行くようにと案内してくれました。

そこから闘病生活の始まりです。これは長くなるので省きます。ですが、復職と休職を繰り返しながら結局は地方公務員法のタイムリミットで退職することになりました。

ちなみに私の場合はたまたま過渡期に責任者になってしまったがために、溜まっていた小さな過労たちが爆発してうつ病になったのですが、他部署は帰れない日々が常態化しているところもあります。

そんなこんなで私は公務員を辞めました。

三十路にもなる歳で。病気を抱えてろくに働けない身の上で。人生のリスタートも何もありません。けれども、さして積んでいないキャリアを元に生きるためのお金を稼ぐしかありません。

この記事を書きあげるのに数週間かかりました。今は少し心が落ち着いて前を向けてきている気がします。

元々職人さんや専門職や夢に向かって頑張ってる人に憧れて、自分のやりたいことがないことがコンプレックスでした。やりたいことを仕事にできる人は一握りなのはわかってます。でもせめて、やりたいことに出会いたいのです。そしてそれが仕事にならなくてもいいから挑戦してみたいのです。

病気柄、就労訓練を兼ねて短期アルバイトからの社会復帰となることでしょう。そのなかで自分に向いてる仕事や続けたいと思う仕事と出会えるのでは、と考えられるようになりました。

ただし二度と公務には携わりません。民転より公務員間転職が多い業界ですが、私は御免です。

補足ですが、公務員にも職種は色々あります。ホワイトめな職種もきっとあるかもしれません。一概に「公務員」という仕事を一昔前のように「楽」だと思い込まず、これから就活・転職活動する方はよくよく調べてから試験に臨んでください。

私が言えたことではないですがね!

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