『孤島のキルケ』(18)
屋敷の中に残らず入った男たちを見渡せる庭の木に止まった私は、壊れた大窓越しに屋敷を荒らす男たちを見ていた。
きるけえを下種な言葉を叫び挑発しながら探す男達と、食堂の棚と言う棚を引っかきまわして金目の物を漁る男達。
二種類に男達の行状はきっぱりと別れた。
女と金は、いつの時代の男にとっても欲して止まぬものらしい。
きつつきの体になり、女も金も用無しとなった私は、人間の男とはかくも滑稽な生き物であったのかと、彼らの行状にため息をつくばかりであった。
「あんた達、気に入ったよ。活きのいい男の血が欲しかったところさ」
うんざりしながら止まり木を離れようとした私の耳に、すっかり聞きなれてしまったあの声が響いた。
いしゅたるだ。
地震の前に見た時とは打って変わって、肉体が人の世の者のようにはっきりと見えていた。
「女だ!女だ!」
食堂の棚という棚を引っかきまわしていた男達が、興奮した声でいしゅたるに駆け寄った。
「女だと? きるけえか」
「おい、女だ。女は食堂にいるぞ」
物欲しげにきるけえを探し回っていた男達も、その声に呼応するかのように食堂に戻ってきた。
「どの男から食ってやろうか」
緋色の衣に鮮やかな紫色の外套を纏ったいしゅたるは、にやりと笑いながら薔薇の花弁を散らした。
きつつきとなった私の眼には、いしゅたるが男たちの肉欲と劣情を掻き立て吸い取り、己の力にしているのがはっきりと見えた。
「俺が欲しいんだろ」
「見た男全員を欲しがるって言うじゃねえか。俺たち皆で天国見せてやるよ」
男たちはいしゅたるに群がっては空を切って倒れた。
「あんた達、まだまだ若いね。女はもう少し焦らして扱うのが通ってもんだよ」
いしゅたるは、いそいそと下履きを脱ぎ始めた若い男達をからかうように、緋色の衣の裾をはためかせた。
「焦らすなよ、化け物。男日照りでたまらねえんだろ」
下履きを脱ぎ捨てたいかり肩の男が、いしゅたる向かって突進していった。
いしゅたるはふんと鼻で笑うと、濃い緋色の衣の裾をはためかせた。
「一人ずつは手間だ。全員我が面倒を見てやるぞ。来い」
濃い緋色の衣が突風でめくれ上がると同時に、いしゅたるに襲い掛かろうとしていた男たちは緋色の衣が起こした竜巻の中へと消えていった。
「次はどいつだ。我が欲しくてたまらぬだろう。恋と美の女神イシュタルに恋焦がれたのであろう?」
目の前で竜巻を起こし男たちを神隠しにしたのを見て、女だ女だと興奮しきりだった荒くれ男達は、下履きをだらしなく下げたまま後ずさりをし始めた。
「いしゅたるだと。これが神猫様のお告げの御霊か」
「まずい。すぐ逃げろ」
冷静さを取り戻した男たちは、下履きを履き直しながらささやき合っていた。
だが、女に飢えた荒くれ男の方が圧倒的に多かった。
「きるけえに用があるんだよ。ババアはすっこんでろ!」
「ババアうぜえんだよ! きるけえ出せってんだよ」
「きるけえなら無料食いできるんだろ」
「きるけえは|《・》良い女なんだろ」
まずい、と思う間もなく、『ババア』と『きるけえ』と言う単語にいしゅたるの怒気が膨れ上がるのがはっきり分かった。
「我でなく、あの小娘|《きるけえ》を欲すると言うか!」
いしゅたるの腕だけが肉化し、きるけえは|《・》良い女と言い放った男の首を、野菊の花をもぐように床に打ち捨てた。
「ひいっ、殺されるううっ」
一人の若い男が金切り声を挙げたのが合図だった。
逃げ出そうとする男たちが将棋倒しになり、いしゅたるの体から放たれる薔薇の香りが、止まり木までむわっと漂ってきた。
「この頃は我の神殿も馬や羊ばかりでな。若くて荒くれた男の欲望と生き血に飢えておったのよ」
倒れて呻く男たちを鼻であざ笑うと、いしゅたるは緋色の衣の裾を翻して男たちをを竜巻の渦に飲み込んだ。
はい出るように中庭に転がった一人の男を私はちらりと見たが、いしゅたるはその男には興味を示さなかった。
「二瓶十兵衛。我に下らず無力な水神《エア》にすがったせいでその様だ。後悔しておるだろう」
いしゅたるは、勝ち誇ったように止まり木に捕まる私を見下ろした。
私はいしゅたるに反駁する人語もすでに操れなかった。
「お前は人では無くなった。今やろくに飛ぶことすら出来ぬ無力なきつつきよ。オオヤマネコになったトミー・ビスと同じく、愚かな過ちを犯したのだ。我に下れば良いものを、無力な者は無力な者に頼りたがる。愚かな事だ」
それでも私は後悔していない。
私は水神に下ったつもりもないが、いしゅたるに頭を下げなくて正解だったと改めて思った。
私はきつつきになったかもしれないが、私の精神は意に反して力に屈服する事を選ばなかった。
それは私にとって、最大級の誉れだった。
二十一人の男を食い散らかしたいしゅたるは、紫色の外套をはためかせて空に浮いた。
「血の気の多いばかりの雑魚は食いごたえが無い。これからきるけえに会いに来る男に用がある。今回こそきっちりケリをつける」
いしゅたる、とむとふらんそわにとってのばびろんの大淫婦は捕食動物のようににやりと笑うと、薔薇の花びらを一枚残して空へと消えた。
いしゅたるが空に消えると共に、私の興味は船に居残る紋次郎達に移った。
私は羽をばたつかせながら、波打ち際に向かった。
月明りが照らす波打ち際には、筋骨隆々とした大男が紋次郎のかたわらに立っていた。
体の作りだけを見れば筋骨隆々たる男が主のようだが、王の覇気をまとっているのは明らかに紋次郎だった。
「先遣隊二十一名全滅です」
中庭にはい出た男が、足を引きずりながら報告している所であった。
「どういう事だ。命知らずの荒くれ者たちを出したはずだぞ。化け物一匹につき百万円。きるけえを生け捕りにしたものには億を出すと告げたはずだ。この小出紋次郎、約束を違えることはない」
紋次郎は鷹のように鋭い目を更に険しくして男を詰問した。
「それが、いしゅたると名乗る化け物の幽霊が竜巻を」
「いしゅたるだと。いしゅたるはどのような姿形であったのだ。竜巻は何がきっかけで起こったのだ。どこにいて、どのように移動していたのか」
「それが、気が付いたら広間にいて、その、女で。化け物で、首をもいで、それから……」
矢継ぎ早な紋次郎の質問に対してぶるぶると震えながら答えた男は失禁し、絶叫したかと思うとうずくまった。
「ええい、らちがあかん。俺が行く」
要領を得ない返答と奇行に苛立ちをあらわにした紋次郎は、短剣を腹帯に差して館へと向かった。
「お止めください。相手は肉を持たぬ幻です。太刀も素手も鉄砲も効きません」
うずくまる男は追いすがるように紋次郎を止めようとした。
「それで怯む小出紋次郎だと思うてか。小便もらしはここにいろ。手前ら皆着いてこい」
おうっとときの声を挙げながら顔を緑色で染め上げた強壮な男たちは、紋次郎を先頭に群れになって砂煙を上げた。
「小出紋次郎ねえ」
いつの間にか私のそばにいしゅたるが立っていた。
「今回はどうするつもりかのう。三度我に恥をかかせるような事は許さぬぞ」
では紋次郎がいしゅたるがケリをつけようとしている相手か。
もしあの男が勝ってくれたら、私は元の姿と生活に戻れるのか。
私はきつつきと言う何とも頼りない姿だが、紋次郎の手助けをしようと男たちの後を追った。
土煙を上げる紋次郎の一団に、ふらんそわを伴ったきるけえが工場の方角から近づいた。
「皆様お揃いで良くおいで下さいました。我が館でおもてなししたい所ではありますが、実は先ほど大きな地震がありまして館が壊れてしまいまして……」
きるけえは私を出迎えた時のように、いきなり紋次郎に抱き着いたりはしなかった。
いきなり二十二人の男が押し寄せたので、いつもと手順を変えるのだろう。
紋次郎は顔を緑に染めたまま口上を述べた。
「お初にお目にかかります。私生まれも育ちも三河は岡崎、轟一家の小出紋次郎と発します。貴方様がこの島の女領主きるけえ様であらせられますか」
「ええ、いかにも」
きるけえは怯えた風もなく、いかにも島の女領主といった風情で返答した。
「本日は、こちらの島の珍しき品などと私共が集めました諸国の珍品を取引していただけないかとご挨拶に伺った次第です。しかしながら、今はそれどころではなさそうですな」
紋次郎はううむとうなった。
「きるけえ様さえ宜しければ、私共で館の修繕の手伝いを致しましょう」
「宜しいのですか」
「ええ。もちろん」
紋次郎の申し出に、きるけえはほっとしたような笑みをもらした。
「これは酷い有様だ」
ひしゃげた玄関に湯屋、そして窓が割れ、いしゅたるの起こした竜巻で中の調度品も四方八方に飛び散った食堂を見ながら紋次郎は頭を搔いていた。
「この分では貴女が夜を越すことすらできぬ。直ぐにでも修繕したいのは山々ですがもうすっかり真っ暗だ。どうです、今宵は我が船にて一夜を過ごされてみては」
きるけえは逡巡したように、ふらんそわを見た。
「よろしい。そちらもお客人としてもてなしましょう」
ふらんそわがきるけえに近づいて、そっと頭をきるけえの膝にこすりつけた。
「わかりました。お言葉に甘えます」
きるけえの返事に、紋次郎は大音声を張り上げた。
「野郎ども、俺は一旦きるけえ様と共に船に引き上げる。今夜はこの海岸で野営してろ。ヨモギを炊くのを忘れずにな。朝日が登ったらまずは館の修繕から始めるぞ。館の中には俺が来るまで一切手を付けるんじゃねえぞ、分かったか」
「ういっす」
「綺堂、皆の衆を宜しく頼む」
綺堂と呼ばれた筋骨隆々な大男は、背を直角に折り曲げて紋次郎ときるけえを見送った。
私はきるけえをふらんそわに任せて、海岸に残された男たちを見張る事にした。
背を折るように深々とお辞儀をする男たちは、きるけえと紋次郎の姿が波の彼方に遠のくとヨモギの入った守り袋を取り出した。
「こいつは本当に効くんじゃないか。眉唾だと思っていたが案外化け物除けにはなりそうじゃないか」
男たちはヨモギを揉んでは汁を出し、それを顔や首筋、腹などに塗っていた。
「それにしてもいい女だなあ。化け物でもいいからお手合わせ願いたいぜ」
「先に行った奴らもヨモギの汁を塗っていたはずだろう。どうして全滅したんだ」
「さあな。紋次郎の大親分の気で化け物が大人しくなったんじゃないのか」
ヨモギの香りが、かがり火を焚いた海岸に充満した。
私は久方ぶりに春採れのヨモギをふんだんに練りこんだ餅を食べたくなったが、きつつきと化した今の体では到底無理だ。
しかし紋次郎次第では、人に戻って再びヨモギ餅を食べられるかもしれないと思えば、久方ぶりに心も踊った。
「紋次郎の大親分は湯に浸かっちまったらヨモギ汁がとれちまうんじゃないのか。それで大丈夫なのかね」
「きるけえを一緒にヨモギ風呂に入れるつもりなんじゃないか」
「それで化け物が大人しくなって生け捕りに出来るかね」
男たちはヨモギを塗ったその手で、団子を懐から出して火で炙っていた。
団子をもくもくと食べていた痩せて肩幅のやけに狭い男が、ふっと顔を上げた。
「ちょっと待て。紋次郎の親分は俺たちが邪魔で一人で船に戻ったんじゃ」
「大親分直々に今夜きるけえを生け捕りにする算段か。ならば億の金は誰にも払われないって事じゃないか。そりゃ道理が通らねえ」
「紋次郎の兄いは、きるけえをその気にさせて生け捕りにした者にゃ億を払うって約束したじゃねえか」
男たちがにわかに気色ばむ中、綺堂と呼ばれていた大男がすっくと立ちあがり口を開いた。
「生まれも育ちも上州桐生、轟一家の円綺堂。義兄弟の誓いに賭けてわが義兄小出紋次郎の助太刀を致す」
大音声で宣うや否や、綺堂は腰に下げた酒を一気飲みにして小船に駆け寄った。
※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。
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