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名前をつけない関係性


高校時代に付き合っていた彼がいました。
彼には自分から別れを告げてしまったけど、
大人になってからはじめて、結局一番自分を好きでいてくれた人で、手放してはいけなかった人だと気づいてしまいました。

とはいえ、別れてからも、一年に数回は彼と会う機会があったんです。
同じ部活だったから、仲間で会うみたいに。

彼とは住む場所も、職場も離れていたし、
私がやっぱり戻りたいと本気で願ったタイミングで彼女できちゃってたし。
飲み会で、私がいない隙に彼女がいることを周りが知り、しばらく私だけ何も知らない状態が続いてたことだってあった。
(彼女ハイスペックっぽいし。勝ち目なし。)

神様から「彼の諦めどきです」と言われたかのようで、私は次の恋人を探しました。で、今の旦那と出会って結婚したわけですが。

結婚してから、部活仲間で会ったとき、
たまたま彼と廊下で2人になる場面があって。
その時、酔った彼からの「特別なんだ。」って言葉がずっと忘れられずにいました。
普段から、本当にそういうこと言う人じゃないから、驚いたし、眠ったはずの感情が呼び起こされちゃって切なくなって泣いちゃった。

数ヶ月後も、ずっと彼のことが頭の片隅どころか中心にあったから、勇気を振り絞って彼と食事の約束を取り付けた。
「私たちの関係性ってなんなんだろう」って言ったら
「関係性は言葉でハッキリ決めない方がいい」という答えが出てきたわけで。呆気に取られたんだけど。

例えば、「不倫」「浮気」をしていたとして、もしお互いの認識の中で関係性を認めてしまったら、自分たちがそうであるかのように振る舞うようになる、といった考えでした。
これは、不倫や浮気に限った話でないな…と考えさせられちゃって。

病名においてもそうだ、世の中には診断名を下されて、それに助けられる人、逆に苦しい思いをする人両方いるが、共通していることは、「自分が〇〇である」というものに囚われすぎて、自ずとそれらしい行動をとってしまったり、乗り越える前に「私は〇〇だから…」とそれを理由にしてしまう人ってたくさんいる気がする。

だからこそ、名前をつけない方が、お互いがそれになろうとしなくてよい、という意図だと理解。

関係性を明確にした方がスッキリするだろうけど、そもそも関係性なんて歳を重ねるごとに変化していくのだから、いちいちつけてそれに拘る必要もないのか、と感じました。

ただ、彼がどう思ってるのかは一生わかりそうになく、うまくごまかされた気分。

そんなものも含めて、名前をつけないっていう曖昧さに魅力やロマンがあるのかも…。




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