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#4 この感情をどこかに置いておかないと。

momonagaです。
#3で、「夫と離れるということ」に私の心が決まったところまで書きました。
ここまで、「我慢してきた」「それによって私の体調は悪くなるばかりだった」「お互いの心地よい生活を追い求めるとどうしても二人暮らしが合わないことに気づいた」
そんな書き方をしてきたと思います。


夫との対話・もがき

今まで一方的に自分の限界について、自己理解について書いてきましたがそこに至るまでそれなりに夫とも話をしてきました。
『ストレスに感じたことはその都度言って解決していくしかないんじゃない?』と夫にも言われ、
私は『日常で結構あるけど、それをひとつひとつ伝えたら○(夫)の人格否定みたいになっちゃう。私に障害があるから配慮して、って話すのは私も辛い。夫が悪いわけじゃない。』と言ってきました。

そう、別に私は夫が悪いとは思っていない。
夫の好む生活環境が自分に合わない。夫の声の大きさ・夫の出す足音・物音にいちいち怯えてしまう。夫が人をたくさん呼んでやりたいホームパーティ的な遊びにいやでも疲れてしまう自分がいる…etc

ただ世間一般的にいう「性格や価値観の不一致」
それが私たちに起こってしまっただけ。


そして夫は私に「momonagaはどうなりたいの?」と聞くので、「元気になりたい」と答えました。

それが全てでした。

無職になってその時で2年8ヶ月。傷病手当、失業手当、そして障害年金をはしごのように受給しながら、生活の足しにして、体調の変化に日々怯えながら無力感に苛まれる生活に疲れ果てていました。双極性障害は発症すると再発を繰り返す病気(正確には寛解という時期があるだけで完全には治らないので再発防止のために一生服薬管理をしていく必要がある)。
電車に乗るのが怖かったり(普段はヘルプマークをつけて乗っている)、先々に予定を立てていてもその時の体調で行けなくなったりと不便が多く、元の元気な頃のように自由がきかない生活。どこへ行くにも何をするにも今日明日の体調にどう響くか、それが優先。好きだったひとり旅に行く趣味も、お母さんになりたいという子育てをする夢も、全てが今の自分には現実的に思えなくなっていて「幸せ」に生きていくことを諦めていました。
だから、私の願いは「元気になりたい」

この不安定な身体への負担を少しでも減らせるように。
発作を起こす苦しい時間が訪れないように。
自分らしくいられる時間が増えるように。


そして、社会復帰に向けてもハローワークの専門援助部門や自立支援センターの面談やワークを利用して自分との向き合い方を学んだり、心理士さんのカウンセリングを受けてみたりとやれることはやってきました。




割愛してきましたが、自分の特性だけでなく、夫自身の性格・特性についてもこそこそ勉強して一緒にうまくやっていく方法はないのかとももがき続けました。
それでも、一度もうやっていけないと思ってしまってからは身体が拒否体制に入ってしまい、コミュニケーションもうまくとれない。自分でも悲しいくらい夫に対して冷たく当たってしまったり、そんな自分がどんどん嫌いになっていく日々。
…自分を嫌いになっていく。それも私にとってとても苦しいことでした。

そしてその間夫との生活に限界を感じてネットカフェやビジネスホテルに一時的に逃げたり、遠方の実家に身を寄せたりしてどうにか身の保全をする方法を模索し続けていました。


やれることはやった

やったと思います。お互いの特性分析や社会復帰するためのリハビリ(ボランティア活動)を経て、その中で私は週3日一日5時間のパートにも採用され、これからの自分にとって大事なこと・必要なことをできる限り整理し、環境を整えました。

そして何度も何度も推敲して書き出した手紙を用いて、夫に別居したい旨を切り出しました。
手紙にしたのは、ついその瞬間に感情的になって考えていたことが意図せぬ形で伝わるのを避けたかったから。何度も考え選び抜いた言葉を正確に伝えたかったから。
そしてまた、夫の特性的に、耳から急に入ってくる情報より、文章として視覚的に得る情報の方が理解しやすいかもしれないことを学んだからでした。


勝手に決めた新居

私はその手紙の中で、実はもう新しい一人暮らしの住まいを決めるところまで進めていることまで打ち明けました。怖かった。。だけどキャパオーバーした私が自分を守る精一杯の方法であり、結婚生活最初で最後、最悪な、精一杯のわがままであり、本気だと伝えるための意思表示でした。

夫は私の意思を確認してかなり動揺していましたが、一番ショックだったのがその「勝手に既に新居まで決めている」ということだったかなと思います。

「まだ二人でどうにかするための話し合いができると思っていた」

そう言われました。
裏切られたと思われたでしょう。なぜこんな酷いことをされなきゃいけないんだと思ったことでしょう。夫の立場に立って考えてみても、自分が一番近くでずっと支えてきた対象からいきなり突き放されたら目の前が真っ暗になるのは想像できます。

この後、最大の修羅場と呼べるものがありましたが、それはあえて伏せます。ただ、どんなに心が離れていようともやっぱりまだ夫婦。相手がどうなろうとももう自分には関係ないと簡単に割り切ることはできないと感じましたし、どうしたって大事なひとには変わりないのだと再確認しました。


別居の準備をすすめて、見えたこと

私は具体的な引越しとは別に、早めに契約した新居に入って寝袋生活を始めました。冷蔵庫も台所用品も、私物もほとんど何もない部屋から、とりあえず仕事へ通える準備を整え、住み移るからには自分にとって最大限(心身ともに)プラスな環境で過ごせるように家を整えていきました。

今までは朝から夜まで全体的に私には眩しいくらいの明るい部屋で過ごしていたけど、私一人にはちょっと暗いくらいのささやかな照明しか必要ない。
夜になったらそれよりさらに照明を落として、眠りに入る身体の準備をはじめる。
テレビも小さいもので、音量は10〜18の間で十分。(夫と暮らしていた頃は夫がガンガン音楽を鳴らしていたい・遠くからでもラジオ音声を聴こえるようにしておきたい人だったのでテレビ音量は30とか50を超えることがありました(!))
できるだけ刺激はおさえて、YouTubeで静かなヒーリング音楽やカフェ系のBGMをささやかにかける。
好きな時に好きな香りのお香を焚きたいだけ焚く。

夫には酷な話ですが、それだけで私は疲れが取れやすくなり、不安定な時に飲む頓服を服用する数がぐんと減るようになりました。

HSP気質の対策

まさに今行動に移してやっていることがHSP気質を持つ私に必要な“ひとり時間”だったのだと思います。
HSPでも、工夫して家族、夫婦、またはルームメイトなどのひととうまく暮らしている人はたくさんいるはずです。皆上手にひとりの時間を作るか、他に自分が落ち着ける策を持って外で浴びすぎてきたエネルギーを解放して次の日に疲れを溜めないように、調整して生きているのでしょう。

私には今どうしても、夫と離れることでしかその方法を見つけることができなかったけど、今この瞬間も、今までの私と同じように自分らしく生きるのに必要な環境に身を置けず苦しんでいる人たちを応援したいです。私は悲しい選択をすることになったけど、それでも一生ものの自分だけの身体だから。それを守るために勇気を出してみてほしいです。


これからも「私」と二人三脚でやっていく

私は休職をしてからこの3年間で自分を知り直し、患ってしまった病と闘い、そして大事なひとを失う覚悟と共にできるだけ自分らしく生きる方法を探すために新しい道を歩み始めました。
持って生まれた生きづらさはこれからもついて回るのかもしれない。だけど、確実に自己理解を深める中で大分生きやすくなりました。分かったことがあって、考え方に奥行きができて、ちょっとずつでも確実に変わっている。
今回大切な人を傷つけることになってしまったけど、それでも諦めたくなかった「元気になりたい」を目標にこれからも自分のことを守っていきます。


最後に最愛の夫へ

この記事を本人が目にするしない別として、夫に向けて心の整理をさせてください。

出会えて良かったと思っています。あなたと出会ったから見えた景色がたくさんあった。刺激的な知らない生活がたくさんあった。あなたと出会っていなかったら私は私のままでした。
体調を崩しやすい原因にも気付かないまま、これからも生きづらさに悩んで病んでは治り病んでは治りを繰り返していたのでしょう。
私はあなたに「支えになってもらえていない」と酷いことを言ったけど、一緒にいてくれたことで私はこの先も長く続く人生を少しでも楽に生きる術という大きなことをことを学べたのだと思います。あなたにしかできなかった。あなたとじゃなきゃ辿り着けなかった。
出会ってくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。精一杯、あなたらしくずっと支えてくれてありがとう。涙が止まらないよ
誰よりも愛していました。


この感情をどこかに置いておかないと。

書き始めたときには本当はもっと複雑な感情がたくさんありました。伝えたいことも、もっとたくさんありました。それを言葉にして出せるかな?と試すつもりで書き始めました。
書いてみたら、出てくる言葉は意外とシンプルで、苛立っていた感情や悲しかった感情は割と出てきませんでした。それほど重要ではなかったということなのでしょう。
今私がこのどこかに置いておきたい感情はおそらくこれがすべてなのです。

いや、また追記として書くかもしれないけどね。
それは別として。今の私に必要な感情の整理は、ここまで。

拙い文章を追ってくれた方ありがとうございました。あなたの大切な時間を私に分けてくれてありがとう。ではまた。







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