見出し画像

オラが街の空港バラ園

毎年この時期になると、空港には数百種類のバラが美を競い合うように咲き誇る。今日、愛娘(芝犬16歳)と女房殿のパシリでやってきた。

元サッカー小僧、現日本代表監督(あくまで自称)の私は、そのバラの中でも特に、”ジョージ•ベスト”と名付けられた真っ赤なバラを楽しみにしていた。赤色はサッカーフリークなら誰でも知っているイングランドのプレミアリーグの名門マンチェスター•ユナイテッドのチームカラー。

小さめの花だけど、ここ数年立派に咲いていた。今年もそのバラを見るのを楽しみにしていたのに、どうしても見つからなかった。残念! もしかしたら見落としたのかなあ、、、

ジョージ•ベストは私の選ぶ世界一のドリブラーだった。熱いナイフでバターをすうっと切り裂く、と称された美しく柔らかい、そして無敵のドリブルで、文字通り相手ディフェンスをすいすい抜いて行った。”ベストをとめるベストな方法は、彼を殺す事だ。”、と物騒でベタなシャレで誤魔化した某チームの監督すらいたらしい。

それほどのフットボーラーだったが、ワールドカップには出られなかった。彼はイングランドやスコットランドと言ったワールドカップ出場の常連国ではなく、サッカーは弱かった北アイルランド出身だったからだ。

英国には”Home International”という詐欺としか思えない、彼らの言う国際試合がある。国際とは言っても、イングランド、スコットランド、ウエールズ、そして北アイルランドの4チームが競う大会。例えば、日本なら北海道・東北、関東、中部・関西、中国四国九州(?)といった地域で争う大会なのだが、英国にとってはれっきとした国際試合である。現にFIFAではその4ケ国(?)が個別の投票権がある。サッカーの母国としてそうなのかな、とも思う。この試合で試合前のnathional anthem(国家)を各々のチームは何の曲を演奏するのか、私は知らないが、誰か教えてくれないかな。

北アイルランドも同じ英国だから、インクグランドに帰化する、等はなからあり得ない。当時、北アイルランドのワールドカップ予選など放送があるはずもなく、彼の北アイルランドチームでのプレーは見れなかったが、どんなプレーをしたのか見たかった。多分誇り高く、あのドリブルで縦横無人に相手ディフェンスを切り裂いたのだと信じたい。

以前、イングランド人に、英国として1チームにしたら、ワールドカップでもっと優勝できるだろうに、とジョージベストを思い出して聞いてみた。彼は、”xxxxxxxxxx”と訳のわからんこと、つまりは、4つの投票権がいるのだ!と主張していた(と思う)。

確かにサッカーの母国として、1966年イングランド大会ではゴードンバンクスという伝説のゴールキーパ、ボビームーア(キャプテン?)、ボビーチャールトン(後にサーの称号をもらった)、ジャッキーチャールトン(ボビーのお兄さん)というスタープレイヤーを要し、決勝戦では、宿敵西ドイツ(当時はドイツは西と東に分かれていた)を延長戦で4-2で破り初優勝はできた。(ただイングランド3点目のジョフハーストのゴールバーをたたいたシュートが果たしてゴールだったのかどうかは議論を呼び、今のVARだとノーゴール判定されたかもしれない。)

その時の西ドイツは、後にその優雅で気品あふれるプレースタイルで、サッカーの皇帝と称されたフランツ・ベッケンバウワーがワールドカップデビューした。リベロと呼ばれる最後列のディフェンダーが、攻撃にも参加しシュートまで放つという神業を編み出した。

オランダのFlying Dutchman(空飛ぶオランダ人)と呼ばれたヨハン・クライフ率いる全員攻撃、全員守備のトータルサッカーは衝撃的だった。

1970年メキシコ・ワールドカップのサッカーの神様ペレーが率いるブラジルは、決勝でイタリアを4-1で破る、圧倒的な強さを示した。私は歴代の全てのサッカーチームの中でこの時のブラジルが最強だったと今でも思う。中でもペナルティーエリア外でディフェンスと1対1になったペレーが、全く後ろをみていない(ように私には見えた)のに、ひょいと斜め後ろにパスを出し、それを右サイドバックのカルロス・アウベルトがレーザー光線のようなまっすぐなシュート決めた4点目は、史上最高のゴールだと思う。試合後、ペレーは、何故後ろを観ずに、バックスが上がってきていると分かったのか?と聞かれて、笑いながら、”知ってたんだよ”と答えた。(ように記憶する)

1986年2回目開催のメキシコワールドカップでは、マラドーナ率いるアルゼンチンが、順々決勝で、フォークランド紛争の敵国イングランドを破り、決勝では西ドイツを下して優勝。対イングランド戦ではセンターライン付近でボールをもらったマラドーナが、左足一本で、スパイクの接着座を塗りボールを足から放さないようにしてんだろう、と思えるくらいに、ボールを自在に操り、ディフェンス、最後にはキーパまで5人をごぼうぬきしてゴールをきめた。日本のTVアナウンサーは、そのドリブルを、ただただ”マラドーナ、マラドーナ、マラドーナ、マラドーナー”と連呼しただけだったが、そうとしか説明しようはなかっただろう。妙に覚えているのは解説をした岡野俊一郎氏(当時日本サッカー協会理事。学生時代は東大サッカー部で日本だ学サッカー選手権で優勝。当時の東大はサッカーが強かった)が、”いやあ~ 何人抜いたですかねえ~”とベタな解説をしたことを覚えている。

要するにサッカーは楽しい、ワクワクする。特に国を代表して戦うワールドカップは全てのサッカー選手の夢舞台だと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?