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トークイベントにて。「演劇評論家・扇田昭彦の仕事 劇評の役割」@早稲田演劇博物館

半世紀近くはやく生まれた大先輩のこと


ただの日記を書く。

10月18日に早稲田大学演劇博物館でのイベント『扇田昭彦の仕事 劇評の役割』へ行った。登壇者は朝日新聞記者の山口宏子さん。扇田さんの下で劇評を書き始めた、感じの良い方で、とても楽しいトークイベントだった。

ただの日記を書く。

扇田昭彦さんのことは知らなかった。
関東の大学で演劇を専攻していたので、もちろん演劇好きだったし劇場にもよく通ったし戯曲も演劇雑誌もいろいろ読んだ。けれど18歳まで高知を出たことのなかったわたしは、東京で処理できないほどの演劇公演のチラシの束を抱え呆然とし、情報の大波にただ流される演劇生活の中であっという間に一日が過ぎてく。
半世紀近くも後に生まれたただの演劇専攻学生にとって、新聞社の演劇批評家さんは遠い。新聞を読まないわたしは(地元で生活してると朝日新聞は見かけたこともなかった)その方の文章を読んだこともなかったし、センダアキヒコさんってよく劇場で見かける品の良いおじさまだよなー、名前聞いたことあるけどそもそも批評家って何するの、という程度。失礼ながら学生当時、苗字も正確に読めないレベルで認識できてなかった。扇田昭彦さん=センダアキヒコさんだと気づくのは、ずいぶん後の話。いまとなってはもうほんとにすみません。

とはいえ名前が繋がっても、演劇界でどんなにすごい人と言われていようと扇田さんがなぜ多くの人に愛されているのか思いおよびもしなかった。
  現代演劇の伴奏者?
  アングラの守護神?
  なんて???
なんか世代も違うしー、とか思っていた。要は、何にも考えてなかった。

でもある日、泣いた。たまたま扇田さんのとある劇評を読んで泣いた。これにはびっくりした。
『劇評』、というと語弊があるかもしれない。その文章のどまんなかに、演劇に向かい合う姿勢がまっすぐと突き立てられていて、泣いた。こんなに演劇に真っ向勝負を挑んで、けれどもアーティストの代弁者になるでなく「評論家」という立場で地面をしっかと踏みしめている、その強さとご本人の雰囲気の柔らかさに、その差にも、揺さぶられて泣いた。あいやー、この文章には人が生きている。(わたしが泣いたその『劇評』は、ちょうどいま早稲田演劇博物館で開催されている『演劇評論家 扇田昭彦の仕事』(1/20まで)で読むことができる。どの劇評かは、書かない。どの劇評も誰かのどこかにきっと届くから)

正直、文章が上手いかどうか判断する能力はわたしにはなかったし、その舞台は観ていないので書かれていることと文章の距離も掴めなかった。けれどそれは、自分のためでなく演劇と人間のために書かれた文章だと思った。裏返せばその姿勢でいることこそが自分のためだったかもしれないけれど、それ以上に演劇と人間に対してまっすぐだった。とわたしは思った。
演劇に対して「創作者ではなく“言葉”と“論理”、“熱”と“冷静さ”で向き合っている人がいる」ということが、わたしに鉛を打ち込んだ。その鉛は、生命力に溢れていた。

扇田さんの時代と、現代は違えど。

60年代以降の演劇に併走した扇田さん。1940年生まれ(しかも東京。都会だ)だから、朝日新聞者に入社した頃がちょうど60年代初めか。60年といえばカラーテレビが発売された年だ……と想像すれば、なんとなく当時の世間の情報伝達のイメージが鮮明になってくる気がする。
その60年代初めである20代の若い頃から「舞台に寄り添う言葉」を書き続け、60〜70年代のアングラ・小劇場演劇をいち早く評価し、共感を込めて論じた。それを目にした人々は、記事を通して追体験をし、演劇について「読む」喜びを知った……のだろうか。

この時代の空気を現代に置き換えることはちょっと難しい。今は、インターネットが思考回路や生活リズムに大きな影響を与えている。おかげで日々のライター仕事の中で、“文章の世代格差”をものすごく感じる。上世代の「文字は声とは違い伝え説明するためのもの」という感覚と、下世代の「文字は会話の視覚化というスピード感のもの」という感覚では、もう文章に対する認識が違いすぎる。個人差・媒体差・目的差はあるけれど。
おかげで悪文の方が読み手に伝わることもある。文章や文学を愛する大人たちが嘆いていても、現状はとりあえず現状だ。

(この“文章世代格差”とは、文字コミュニケーションにおけるスピード感だけでなく、モノを伝える順番や文章構成にも違いがあると思う。原因は、テレビやインターネットによって情報交換・情報処理のスピードが格段に速くなり、さらにはネットがもたらしたグローバル化と英語教育による文章構造の違いがあるんじゃないかと思ってるけど、ここでは別の話なのでとりあえず飛ばす。)

とはいえ、扇田さんの言葉が広く届き、演劇人たちに寄り添ったのは間違いない。そして「演劇」を越えて世の中を捉えていたんだろうと思う。扇田さんは「演劇評論家」である前に「新聞記者」だった。
それに60年代といえば、たとえば00年代よりも演劇も世の中も細分化されていなかったのではないか。ひとつの演劇公演を作るのに、演劇を越えたいろんな肩書きの人が集まったという話はよく聞く。演劇の各部署のプロフェッショナルも今ほど役割分担されてなかっただろうし(公演規模によるだろうけど)、そのための演劇教育もなかった。ということは、もしかしたら今より他のカルチャーとの距離が近かったんじゃないだろうか、想像だけど。
でもって最近10年代以降は再びカルチャーを越えた融合や共作が増えてきていると思う。このボーダーレス化はグローバル社会の発展と高度経済成長時の貯金が底をついたことにより、演劇以外の業界でも起きている。

それでも、ボーダーを越えるにはセンスがいる。本トークイベントで紹介された1990年の扇田さん企画の朝日新聞新年特集『多元文化の時代』では、レポーターを林あまりさん、イラストを岡崎京子さんが担当している。二人とも当時27歳で、林あまりさんは処女歌集を出版して4年目、岡崎京子さんは『pink』出版直後くらいの時期。他にも、座談会に岸恵子さんや細川周平さんなどをアサインしたり、若手記者に海外各国の演劇を取材させ自分は日本で指揮をとったり、ひとつひとつの動きが魅力的。こんなんお正月に届いたら演劇好きじゃなくても読むみますもん、わたしなら。

またトークイベントでは、扇田さんが演劇専門記者になる前のこと、先輩記者としての姿、そのほか紙面での企画についていろいろお話を伺った。演劇評論家としてだけでない、新聞記者としての扇田さんのエピソードを知れたことは、「批評以外にも軸がある批評家は、批評を越えて信頼できる」というわたしの気持ちを裏付けた……と思ってみたり。

確かに当時と現代は違う。どこを切り取ってもちょっとずつ違う。けれど時代を越えて、ボーダーやジャンルにとらわれず空気を感じるというセンスや心意気みたいなものが、扇田さんにはあったんじゃないのかなぁと、お会いしたことないながらにやっとわたしは実感するようになってきた。遅ぇか。まあ、ご本人を存じ上げないので、確信は持てないけれど。
ただ常々わたしは「“狭く深く”を突き詰めた先と、“広く浅く”を突き詰めた先は、見える景色が似ているんじゃないか」という仮定を感じていて、広く世間を見る新聞記者という立場から、文化さらには演劇というひとつのジャンルに寄り添い続けた生き方は、素敵だなと思う。

「扇田昭彦」という時代ができちゃったことについて

2015年1月29日・30日、扇田さんと蜷川幸雄さんとの新聞紙面を介した最後の“大喧嘩”のこと。扇田さんがその年の5月にお亡くなりになった後、市村正親さんが「この舞台、扇田さん喜んでくれるかなあ」と言ったこと。そんなトークを山口さんから伺いながら、わたしはいつの間にか扇田さんのことを大好きになっていた。いや、もともとお話したこともないのに好きだったけれど、そこに「大」がついた。たぶん会場の人の「大」が移ったのかな。

そうやって多くの人に良い影響をいまだ与え続けていることからも感じられるように、たぶん扇田昭彦さんは「扇田昭彦の演劇評論」を作っちゃった人なんだろう。良かったのか悪かったのかはわからないけれど、とにかく「扇田昭彦」という時代ができちゃった。トークイベントでも、そのことについてQが呈された。

 扇田昭彦=「アングラの守護神」のイメージは正しいのか?
 扇田昭彦評論の発表媒体の性格、書籍化された本の傾向は?
 扇田昭彦は演劇をどう考えていたのか?

 扇田昭彦の仕事の「相対化」は可能か?
 扇田昭彦評論を「聖典化」することの是非は?
 扇田昭彦評論と比較できる文献はあるか?

まだ答えはない。なんなら扇田さんが書かれてきた演劇人の方々は答えを必要としていないかもしれない。でも演劇批評の未来をつくるためには誰か……できれば演劇評論家・批評家が、その答えを論理化していかなきゃいけない気がする。(扇田さんはあくまでも「論理」によっての方途を探し求めた、と本人も明言している。論理。)。演劇評論・批評について知識がないので、もっと適した答えがあるのかもしれないけど、とりあえず、わたしはそう思う。

演劇評論の役割は ①? ②? ①+②? or +α?

最後にトークイベントは、扇田さんの仕事を越えて「劇評の役割」の話題になっていく。

「劇評とは何か」というと、いろんな劇評家さんのご意見がありそうだけれど、とりあえずここでは“舞台芸術を批評性を持って、言葉にすること”という感じだった。

 ・「いま」へ働きかけ
 ・歴史を作る

それが劇評。けれども演劇評論の「担い手が変質」しているという。たしかにSNSには批評的な言葉が溢れ、個人の発信先が広範囲になりすぎたゆえに、一部で盛り上がるという「場の縮小」が起きた。しかもそのSNSって言うのが意外に狭い世界の出来事のことで、例えば日本でTwitterのユーザー数は企業アカウントや複数アカウントを入れても人口全体の40%にも届かない。その中の積極的に活用している人のまたさらにその一部ということは、ほんとに狭い。それが時には爆発的に広まることはあるけれど、そんなのひとつまみ。
そうなると、最近どの業界でも言われているけれど、圧倒的影響力を持つトップが出づらくなる。国民それぞれのライフスタイルが分散し、新聞だって読まない人が増えた、テレビを見ない人も増えた。良いか悪いかは別として、そうなると大きな流れを生み出すことが難しくなる。批評の影響力は低くなり、影響しなくなると求められなくもなるし、成り立たなくなる。とくに日本は資本主義社会のうえに国の借金もモリモリで国際的な立場もいまや強くないので、資本に余裕がないと求められないものに金は出せない。うーん困った。

「誰が演劇評論を継続するのか」「演劇史の書き手はどうなる?」

山口さんが最後に呈した問いに、たぶん答えを出せている人はいない。まぁもし脳内に仮定はあっても、実践・実現するにはかなりの労力と時間がいると思う。そもそも評論を継続する以前に、言葉や文章や言語や文化を継続することがたぶん必要だ。言葉が廃れて評論はあるのか?(映像など他ジャンルを手段として評論するのならあるかもしれない。でもそれは果たして評論か?評論ってなんだろう?)

もし『演劇評論の役割』「①演劇史を記録し組み立てる」という部分に置くのならば、文章という手段以外でも方法はあると思う。また「②演劇の“いま”に伴走し価値化していく」ということであれば、ちょっと大変だけれど文章でもなせる方法がなくないと思う(個人的には産官学いずれか2つくらいとの結びつきがかなり重要だと思うけど)。
でも①と②両方を同時に担うものが演劇評論だとしたら、それは叶うのだろうか。アーティストが評論をするという方法もあるし、かつてはそんな場も多かったと聞くけれど、いまそれを実現するとしたらかなりアーティスト個人の負担が大きいんじゃないか、むしろ「論理的なアート」みたいなことになったりしない? いやそもそも①や②だけでなく劇評の役割にはまだ③も④もあるだろうしどうすればいいの?

なんだか「評論」「批評」「演劇評論」というものの全体像・役割の再構築が問われているような気もする。ちなみにこの“再構築”は、演劇というジャンルにも求められていると思う。(ほかにも銀行など既得権益を持つ分野にはおおむね求められる時代であり、構築し直さないのならばイノベーションは起こらないだろうとも言われている。)

個々人としては、「自分は演劇に対してどういう立場で、何をしていきたいのか」を明確にしながら問いかけながら歩んでいくしかないと思うけれど、ジャンルとしてはどうなるんだろう。もっと評論家さん、批評家さん本人の意見を聞いてみたい。

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